2016年8月30日火曜日

北朝鮮のヤクザや半グレ事情

北朝鮮で「半グレ抗争」勃発…レンガやショベルで無慈悲に滅多打ち

2016年8月25日 6時30分配信

 

意外と知られていないことだが、北朝鮮にも裏社会は存在する。90年代までは、「チュモクセゲ」と呼ばれる反社会的勢力が存在した。直訳すると「拳の世界」。実に単純明快なネーミングだ。

彼らは徒党を組んでシノギや抗争で組織を拡大し、時には当局と裏で手を組みながら裏社会に君臨していた。しかし、90年代中盤から北朝鮮を襲った「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉を通じて、社会全体が混乱し、さらに当時の金正日体制が徹底的にヤクザを弾圧したことから、ほぼ壊滅状態となる。

(参考記事:【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男

しかし、それまでのヤクザは消滅したものの、大飢饉を通じて新たな「半グレ集団」が生まれることになる。

21世紀の少年パルチザン
苦難の行軍は、コチェビと呼ばれるストリートチルドレンたちを生み出した。彼らは当初、市場などで物乞いをしながら、その日暮らしをしていたが、徐々に集団化し窃盗などに手を染めるようになる。

近年では、盗品を売りさばく裏ネットワークも構築。窃盗手段も走行車両に飛び乗って部品を盗むなど、ますます大胆になっており「21世紀の少年パルチザン」と呼ばれるほどだ。

(参考記事:ストリートチルドレンから半グレへ…北朝鮮コチェビの今

地獄絵図の生存者が
コチェビたちが、半グレ化するなか、より凶悪な半グレ集団となっているのが「松葉杖組」と言われる集団だ。元々は、勤務中の怪我で障がいを追った栄誉軍人(傷痍軍人)たちだ。

(関連記事:北朝鮮の半グレ集団「松葉杖組」とは?)

1989年4月には、平壌開城高速道路の建設現場で橋が崩落し、500人以上が死亡。現場の川原には無残な死体が散乱し、見るに耐えない光景が広がったという。この時に生き残ったが障がいの残った約200人の栄誉軍人には、配給などで様々な優遇措置が施された。ところが、「苦難の行軍」によって、福祉制度も配給制度も崩壊したため、彼らの一部は半グレ化していく。

(参考記事:【再現ルポ】北朝鮮の橋崩落事故、500人死亡の阿鼻叫喚…人民を死に追いやる「鶴の一声」

松葉杖組の抗争は激化し、8月はじめには、死者まで出る事態になっていると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は伝える。

レンガで滅多打ち
咸鏡北道(ハムギョンブクト)在住のRFAの情報筋によると、抗争の舞台となったのは道内の端川(タンチョン)市。

端川駅周辺の地域が縄張りの「海運洞(ヘウンドン)組」と、汝海津(ヨヘジン)駅周辺の地域が縄張りの「検徳(コムドク)組」の間で利権をめぐるいざこざが起きた。

海運洞組は、縄張りにある港で水揚げされる海産物の卸売を取り仕切っていた。そこへ8月4日、検徳組が乗り込んできて、力づくで利権を奪おうとしたが、海運洞組の返り討ちにされた。そして、検徳組は報復に出る。

検徳組は、人手を多く集めた上で、2日後の明け方、海運洞組が根城としている港口洞(ハングドン)の旅館を奇襲した。寝込みを襲われた海運洞組の組員たちは、逃げる隙もなく、レンガ、棍棒、シャベルで無慈悲に滅多打ちにされ、その結果、組員2人が死亡、10数人が重傷を負った。

抗争が悪化した1つの要因は、保安署(警察署)の対応が後手に回ったことにある。最初の時点で、介入していたものの、首謀者を逮捕するなどの対策を取らなかったため、大事件へと発展してしまった。その教訓からか、全国で傷痍軍人の犯罪行為に対する取り締まりは厳しくなり、清津(チョンジン)市浦港(ポハン)区域で、傷痍軍人の犯罪組織の組員7人が逮捕された。

一方、息子を軍隊に送った親からは次のような不満の声も出ている。

「お国のために軍隊に行って障がいを負った。しかし、国家が何の補償もしないなら、犯罪に手を染めるしかないだろう」

「人民第一主義」を掲げながらも、まったく内実が伴っていない金正恩体制下で、起こるべくして起こった事件といえる。

参照元 : 高英起 | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト


北朝鮮の半グレ集団「松葉杖組」とは?

2015年08月01日

北朝鮮で「栄誉軍人」と呼ばれる傷痍軍人。発電所、道路、アパート建設に動員されて、事故で障害を持った軍人のことだ。この傷痍軍人が「半グレ化」していると米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の内部情報筋によると、傷痍軍人たちは清津(チョンジン)市内の各市場を闊歩しながら、様々な嫌がらせや暴力を繰り返しながら住民たちに嫌がらせを繰り返している。こうした傷痍軍人たちは、5人から7人で1組で「松葉杖組」と呼ばれる。

「松葉杖組」は、朝早くから市場の入口に立ち、通りがかった人にガムやキャンディを10倍の値段で売りつける。その後は、市場の隅々を周り、同じようにガムやキャンディを押し売りして回る。買おうとしない人を松葉杖で殴りつけたり、店の商品をひっくり返したりするなど、その傍若無人ぶりで住民たちから恐れられている。

本来なら社会的地位が高く、様々な優遇策の恩恵を受けるはずの傷痍軍人たちが、なぜそんなことをするのだろうか。

咸鏡北道の別の内部情報筋によると、金日成時代には軍勤務中に事故で怪我をした傷痍軍人たちに対して、様々な優遇策が与えられていたが、金正日時代に入ってから、冷や飯を食わされるようになってしまった。

国家の財政が悪化するなか、大規模建設の増加で傷痍軍人の数が急増。さらに、90年代の大飢饉「苦難の行軍」によって国が彼らの面倒を見る余裕がなくなった。その結果、彼らは社会的に疎外される存在に落ちぶれてしまったのだ。

とはいえ、傷痍軍人たちの社会的地位の高さだけは残っているため、厄介な存在になっている。

問題を起こした傷痍軍人を保安員(警察官)が諌めようとしても「捕まえるもんなら捕まえてみろ!」と悪態をつき、保安員を困らせる。市場管理員も彼らの姿を見るとどこかに逃げてしまい、結局は商人がいくばくかのお金を掴ませてなだめているという「やりたい放題」だ。

こうした状況に対処するため、金正恩氏は去年の8月10日に「栄誉軍人の間で発生している社会的犯罪を厳格に取り締まることについて」という指示を下したが、「あまり効果はない」とRFAの情報筋は語る。さらに「松葉杖組」を生み出した責任は「国家にもある」と指摘しながら一定の同情を示した。



平壌の地下鉄にある傷痍軍人用の優先席

「国があの人たちをほったらかしにしているからこういうことになる。彼らを責め立てるのではなく、社会の関心と彼らを支えるシステムが必要だ」

参照元 : dailynk


【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男

2016年05月16日

「北朝鮮にも腕っぷしが強くて徒党を組む愚連隊のような連中をはじめ、裏社会の人間はいる。実際、俺自身が裏社会の人を通じて北朝鮮を脱出できたわけだからね。ただ、日本のヤクザみたいに巨大で組織的じゃないね」

そう語るのは60代半ばの脱北者、崔勇男(チェ・ヨンナム)さん。1970年代に大阪から北朝鮮へ帰国した崔さんは、かの国の現実に絶望し、2008年に脱出。命がけの逃避行の末に、生まれ故郷の日本に生還した。

「北朝鮮のヤクザ」と言われても、にわかにイメージしづらい。なぜなら、北朝鮮には「人民保安部(警察)」「国家安全保衛部(秘密警察)」、そして「朝鮮人民軍」という3つの強大な治安機関があり、「ヤクザ」や「不満分子」など反社会的勢力に対する徹底的な監視体制を敷いているからだ。

軍隊も一目置く

そもそも北朝鮮という国家自体が、麻薬や偽札などなど、ヤクザ顔負けの違法行為に手を染めている。さらには複数の国家機関が、違法な「シノギ」をめぐって仁義なき戦いを繰り広げている。こんな国では到底ヤクザなんて存在できるはずがないと思われるが、やはり北朝鮮にもヤクザは存在した。そのなかには、「愚連隊」に過ぎなかった不良グループが拡大し、組織化された武闘集団になった例もある。

1991年、北朝鮮のある都市でソク・ギョンチョル(仮名)という28歳の青年が軍人に射殺される事件が起きた。彼こそ、地元住民が恐れ警察や軍隊でさえ一目置いたという「ソク・グループ」を率いるヤクザの親玉だった。弱冠28歳でヤクザの親玉まで上り詰めたソクとは何者か――。

ソクは高校時代から喧嘩自慢で素行が悪く、近隣の若者達から恐れられる存在だった。盗みを働いて警察に逮捕されることも数知れず。その度に、地元の有力者だった父親のおかげで罪を逃れていた。

恐怖政治で国民を押さえつける北朝鮮当局や、秩序を重んじる大人からは忌み嫌われたソク。しかし、若い不良連中からは「強い漢(おとこ)」として尊敬を集め、ソクの周りには喧嘩自慢の若者達が徐々に集まりはじめる。

「普段の生活は、国が決めた思想学習会や組織活動でがんじがらめ。大した娯楽もなく、日頃の楽しみと言えば酒やコソッと内輪でやるバクチぐらい。そんな社会でエネルギーをもてあます若いヤツらが徒党を組んで喧嘩や反社会的な行為に走るのは、当然だろう」(崔さん)

暴力性でライバルを圧倒

高校を卒業したソクは軍隊の入隊を希望するが、日頃からの「素行不良」がたたって入隊できなかった。

もちろん、大学にも行けるはずのないソクは、否応なしに企業所(国営企業)に所属する。しかし、そこで働いて得られるのは日々の生活が精一杯の月給と配給のみ。

軍隊に入隊できず、やけくそ気味のソクは、徐々に企業所にも出勤しなくなる。無断欠勤が続けば、罰を与えられるケースもあるが、そこは賄賂や父親のコネでなんとか逃れられたようだ。

そんなソクを中心に、自然発生的に愚連隊のようなグループが出来ていく。となると当然のように、他の愚連隊との間で対立や抗争も起きる。ソク・グループは荒っぽさで他の愚連隊を凌駕し始め、その名前は他の地域でも響き渡るようになる。ソク・グループと衝突した愚連隊は、後々の報復を恐れて敢えて喧嘩を避けたり、わざと負けることもあった。

また、「団結力」と「義理」を重んじるソクという人間を慕って、彼の元に集まる荒くれ者も増えていき、次第にソク・グループは、「愚連隊」の枠を超えていく。

「韓国の男は頼りない」

ところで、ソクや彼のような不良連中は、北朝鮮の女性の目にはどう映っていたのだろうか。

北朝鮮の女性として真っ先に思い浮かぶのが、日本や韓国でも話題となった「北朝鮮美女応援団」。彼女たちのような、しとやかで清楚な北朝鮮女性達からすれば、ソクみたいな無頼者はさぞかし毛嫌いされる存在だったに違いない——と思いきや、意外とそうではなかった。

「直接は知らないけど、ソクという人の噂は聞いたことがあります。女子には相当モテたと思いますよ。北朝鮮にも不良男子にあこがれる女子はいますから」

そう語るのは2010年に脱北して現在は韓国・ソウルに住む李京花(イ・キョンファ)さん(50代)。ソクの名が轟いていた頃に、10代後半の多感な時期を過ごした李さんは、自分の少女時代を懐かしむかのように言葉を続けた。

「北朝鮮では、韓国以上に男子は『男らしさ』が求められるので、年頃の女子が不良に憧れるのもなんとなくわかる気がする。不良が嫌いだった私でも、こっち(韓国)に来てから韓国の男子が頼りなくていらいらする時もあるぐらい。『北朝鮮の男を見習え!』って(笑)」

カネより貴重なもの

勢力が拡大していったソク・グループは、喧嘩に明け暮れるだけでなく、日本で言う「シノギ」のような収入源も手にした。

最も大きなシノギはあらゆるトラブルの「仲裁」。度々起こる他の愚連隊同士の抗争や勢力争い。解決しにくい個人間のトラブルが起こった場合は、ソクの出番だ。仲裁して解決し、その見返りとして「酒」「食べ物」「衣類」などを受け取る。

金銭ではなく、物資で報酬をもらうという点が興味深いが、このあたりは当時の北朝鮮社会の実情を反映している。物資が圧倒的に不足している北朝鮮で、生活必需品はヤミ市場で売買すれば、十分「現金」になる。

実際、ソクのようなヤクザだけでなく、一般住民、そして党の幹部や軍人さえも国家から支給された物資をヤミ市場に横流しして金品に換えるのだ。時と場合によって「物資」は「現金」以上に信頼できる交換手段だ。

ソク・グループは、食糧倉庫などを衝撃し、物資を盗むこともあった。もちろん、下手を打って構成員が逮捕され「教化所」に送られることもある。

激しい拷問

日本の刑務所にあたる北朝鮮の教化所は、想像を絶する厳しい拘置施設だ。

日本や諸外国のような「受刑者の人権」がない教化所では拷問も日常茶飯事だ。ソク・グループの構成員も厳しい拷問にさらされたことは容易に想像できる。

しかし、団結力が強くソクとの義理を命のように重んじる構成員達は、厳しい拷問にも耐えながら決して組織のことはしゃべらなかった。また、ソク自身もグループが大きくなり組織化していくにつれ、現場に出ることは希となり、警察もなかなか尻尾をつかむことができなかった。

正確な数字は不明だが、最終的にソク・グループの規模は100人から200人に達したと言われている。ソクは既に愚連隊のリーダーというより、ヤクザの親分のような存在になっていた。その姿には、愚連隊から出発して「安藤組」を起こした「安藤昇」のイメージが重なる。

軍人と衝突

しかし、そんなソクにも最期の時が訪れる。ある日、ソクが子分を引き連れて町を歩いていると、朝鮮人民軍の軍人2人が、醤油が入った大量のペットボトルを運んでいた。軍隊は統治機関でもあり、住民から最も恐れられる国家機関だが、ソクからすればお構いなしだ。ソクは彼らに話しかけた。

「そのペットボトルに入っているのは酒だろう?それ飲もうぜ」

「冗談だろう?本当に飲むのか?」

笑いながら答える軍人達。すると別の子分がすごんだ。

「だから、そこに入っているのは酒だろう!だったら、俺たちにもくれや」

軍人達は、相手があのソクだということを知っていた。しかし、こんな風に因縁をつけられて引き下がっては、軍隊のメンツにかかわる。声を荒げてソク達を罵倒しはじめた。

「お前はバカか?軍人が真っ昼間から酒を持ち歩くわけがないだろう。ここに入っているのは醤油だぜ」

「醤油だと?何をバカなことを言っているんだ。フザけるな!」

振り向きざまに銃を…

たわいのない言い争いだったが、お互いが馬鹿にされたと思い込んだことから、軍人とソク達の間で喧嘩が始まった。

ソク側は4人で対する軍人は2人。形勢不利と見た軍人達は、慌てて逃げ出し始めた。彼らを追いかけるソクのグループ。そのとき、軍人は振り向きざまに腰から銃を抜き出し、構えながら叫んだ。

「お前達、止まれ!止まらなければ撃つぞ!」

銃を向けられて、さすがにソク以外の構成員は逃げ散っていった。しかし、逆に面子を失った思ったのか、ソクの怒りは収まらない。銃をかまえる軍人達に近づいたソクは、手に握りしめていたナイフを振りかざし彼らに投げつけた。投げられたナイフが軍人達の足下にのめり込んだその瞬間・・・

「パン!パン!」

身の危険を感じた軍人が発砲。銃弾2発がソクの胸を直撃し、彼は胸を血だらけにしてその場に倒れこんだ。即死だった。

激怒した構成員たち

ソクが死んだという噂は、その日のうちにグループの構成員達や住民の間に広まった。

参照元 : dailynk

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