六神情報戦
神戸山口組が10日、実話系週刊誌3誌の編集部員を神戸に呼び出し、六代目山口組に立った誤った記述について厳重に抗議という。
・マスコミに圧力かけて提灯記事書かせる神戸山口組
・T組姐の抗議云々もT組姐を黙らせた神戸山口組関係者側が一方的に流している情報
・神戸山口組の正木年男(パク・ニョンナム)は六代目山口組での広報担当者
・マスコミとの窓口だった人物だけにメディアや記者の情報も収集してると見ていいだろう
情報戦で劣勢の「六代目山口組」の激白5時間 「カネ、カネ、カネ」だから叛乱は事実か?〈週刊新潮〉
2015年10月2日(金)8時1分配信
六代目山口組体制に不満を募らせ、ついに謀叛を起こした有力組長らの処分から間もなく1カ月。雑誌などには「抗争」、「激震」、「組長の首」といった物騒な文字が躍るが、実際は何が起こっているのか。六代目山口組の直系組長4人が初めて明かす裏切りの内情。
「メディアは今回の件を分裂と書くし、一般の方から見ても分裂に見えるんかもしれへんけど、実は分裂でも何でもない。単なる謀叛で、謀叛を起こしたモンが絶縁や破門処分になっただけです。徒党を組んで神戸山口組を名乗り、菱の代紋を勝手に使っとるようやけど、そんなことこっちは認めておらんし、いわば似非(えせ)山口組やな。一和会の騒動とは違うんですわ。あの時は、四代目の親分の盃(さかずき)を飲むの嫌や言うて出て行った。これは分裂ですやん。新しい親分に付いていけへん、言うて出て行ったわけやから。今回は司の親分の盃飲んだモンが、その盃を返すことなくほったらかしにして出て行っとるんやから、これ、謀叛ですやんか。しかも、これは逆縁と言うて、我々の世界では犯罪。犯罪の中でも、万死に値するもんです」
そう語るのは、指定暴力団「山口組」の直系組長である。山口組が、有力直系組長だった井上邦雄・山健組組長や入江禎・宅見組組長、寺岡修・侠友会会長など13人を絶縁、破門処分にしたのは8月27日。そして9月5日、13人は神戸市内の山健組本部に集まり、「神戸山口組」の発会式を行った。井上氏が山健組と兼任する形で組長に就任、入江氏が副組長、寺岡氏が若頭となった。
本誌(「週刊新潮」)は山口組と神戸山口組、双方に取材を申し込んだ。結果、山口組は直系組長4人が揃って取材に応じたが、神戸山口組は、「取材はお断りさせていただきたい」とのことだった。
「我々の世界の根本に何があるかというと、盃事なんです。汚い世界のたった一つキレイなところ、と言うてもええかもしれません。今回、彼らは我々の世界の根本にあるルールを破った。その時点で、向こうに百に一つの言い分があったとしても、それは通らない、ということなんです。
山口組を含め、この業界では、一切の権利、一切の縄張りは親分のモン。先代と代替わりした時には、先代のカマドの灰まで当代のモンなんです。山口組の親分は、ええモンも悪いモンも全部引き継ぐ。その親分に白い物を黒や言われても、それは認める言うて我々、盃飲んどるんです。そんな大事な盃をほったらかしにして出るなんて、絶対にやってはならん。彼らには山口組を名乗る資格はない。
しかも、彼らの中核、中心人物は今の体制を推し進めてきた人間ですよ。例えば、総本部長やってた入江さん。彼、まともなこと言うてましたよ。お前の若い衆は、お前のモンやないんやぞ、と。親分から預かっとる若い衆やぞ、と。そう言うとった張本人が今回みたいなことしてますねん。前出てきてきちんと説明してもらわんと。
方向性が違うと考えたならば、なぜ彼らは中にあって改革しなかったんですか? 一回でも彼らが腹切る覚悟で親分に諫言しましたか? それが出来ない言うて、オレもう知らんわ言うて、徒党組んで出て、これが通ると思います? そら無理でしょう。中で何もせずに、逆縁を犯してまで勝手に出たというのは、許されないことです」
■抗争になりようがない
9月5日、神戸山口組が発会式と同時に発表した「御挨拶」と題する文章には、以下のように書かれている。
〈現山口組六代目親分に於かれては表面のみの「温故知新」であり中身にあっては利己主義甚だしく歴代親分特に三代目親分の意を冒漬する行為多々あり此の儘見て見ぬふりで見過ごしにする事は伝統ある山口組を自滅に導く行為以外考えられず我ら有志一同の者仁侠道の本分に回帰致し歴代山口組親分の意を遵守する為六代目山口組を離脱致し新たなる「神戸山口組」を発足し歴代親分の訓育と魂魄を忘失する事なく心機一転肝刻致し新しい神戸山口組に身命を賭す覚悟であります〉
「我々からしたら、あんなわけのわからん回状出して、我々の親分に対する思いを逆なでしとる。あれ、全国の山口組以外のモンが見たら“ああ、この程度か。山口組の執行部におったもんの考えってこの程度か”と思うやろうし、我々も恥ずかしいし、カーッともくる。でも、それで鉄砲でも持ちだしたら、一発で特定抗争指定暴力団に指定され、全国の事務所は閉鎖ですわ。向こうはそれを狙っとる。あるいは、そういうことを見越して、彼らは出て行ったんでしょう、今回。
だから、向こうの挑発に山口組は一切関わるな、との通達が徹底されとる。窓ガラス撃たれたら、窓ガラス代えたらしまいですやんか、と。マスコミは鉄砲をバンバン撃つんじゃないかと煽りますが、そんなことは起こらへんのです。ピストルは撃っただけで10年、人に当たったら20年、相手が死んでもうたら無期ぶちこまれるんでっせ。後、誰が面倒見てくれるゆうんですか。
大阪のミナミが危ない、なんてマスコミは嬉しそうに書きますけど、出て行った側ときっちり棲み分けができてますから、抗争になりようがない。また、組の電話はあけたままにしてある。“若い子が相談にきたら聞いてあげて”というのが親分の考え方です」
実際、9月1日、神戸の山口組総本部で開かれた定例会で配られた司忍組長の手紙には次のように書かれている。
〈離脱者の多くから心情を訴える相談が多数あると聞くが、罪のない若い者、この人達に対しては非を咎めることをせず、寛容な気持ちで相談に乗ってあげて欲しい。今、様々な形での噂、流言飛語が飛びかっていると聞くが、真実は皆が一番知るところである。軽挙妄動を慎み、全組員が連絡を密にして平常通り斯道に励み、この困難な時代にこそ男としての真髄を極めることを希望する〉
「歯がゆいのは、向こうに情報のコントロールをうまくやられてしまったことやね。出て行った正木さん(年男・正木組組長)いうのが元々広報担当やっとったし、喋りもうまい。彼だけやのうて、警察通じても向こう側からの情報を出され、あることないこと書かれた。今、いろんな雑誌読んだら司の親分のこと、すごい悪いように思うわな。
彼らは、逆縁というやってはいけないことやって出て行った。必死に情報を出さなアカン、自分らを正当化せなアカン立場やというのがよう分かっとるんでしょう。また、彼らとしては何か出ていく大義を作らなアカン。それで、司の親分が山口組の総本部を名古屋に移そうとしていた、なんていう作り話をするわけです。こんなんわざわざ否定するのもアホらしいようなありえへん話です。司の親分は一回もそんな計画を口に出したことはないし、そんな考えが頭をよぎったこともないでしょう。だいたい、今は暴力団排除条例とかのせいで、近所に病院や学校がある場所には暴力団の事務所を置けんのです。だから、弘道会の本部に山口組の本部を移転するなんて、そもそも無理なんや。出て行った彼らもそれは分かっているのに、ペラペラそういうウソを言いふらすんですわ。彼らが新しい組織の事務所を淡路島の侠友会の事務所に置こうとしているのは、その周辺に条例にひっかかりそうな施設がないからです。
出て行った人らは、司の親分のことを“カネ、カネ、カネ”の金にがめつい人間のように仕立てあげたいようやけど、これも全然違います。我々直系組織が支払う会費は、100万円前後です。まず、これらは山口組を運営するために必要な金であって、司の親分の懐を豊かにするためのものじゃないのは言うまでもありません」
■異変の兆候
「出て行った人らは、この会費の額が高いと言っとるようやが、山健組は山口組本体より高い金額の会費を集めています。同じように宅見組も高い会費とってますよ。
こちら側は“カネ、カネ、カネ”の守銭奴みたいな言い方をされていますが、司の親分の体制になってから、引退する親分に元々は1億円の餞別を払っとったんです。直系組長が100万円くらいずつ分担拠出するのはその時ですわ。ただ、親分の引退が相次いで、その1億円がなかなか支払えなくなり、金額は5000万円になり、ついには2000万円になってしまいましたが……。
ミネラルウォーターや日用雑貨を月額50万円以上、強制的に売りつけている、というのもウソですわ。水、買うてるのは事実やけど、組員の数に応じて、せいぜい月に5万円分から20万円分くらい。組員が100人超えるとこで20万円てとこやろ。
水の事業をやっとるのは、神戸市にある『アトレジャパン』いう会社で、元々、これを作ったのは今回、出て行った中の1人です。この会社は、我々が『会館』と呼ぶ葬祭場を持っているんやけど、毎月思たように葬儀もないし、組葬もできない。それでも維持費はいるし、社員の給料も固定資産税も払わなアカン。それで始めたのが、組員に水とか雑貨を売る事業ですわ。
そもそも、出て行った彼らは、組員に水を売りつけてなんやとか言うとるけど、山健組は自分とこで水作って自分とこの組員に売ってますからね。どの口が言うねん、いうことです。
何度も言うようやけど、山口組本部の名古屋移転の話なんてあらへんし、司の親分が金にがめついなんてこともない。それから水の話も今回の謀叛には関係ないんです」
ではなぜ今回の裏切りは起こったのか。この人がいれば謀叛は起こらなかったのではないか――として直系組長はある人物の名前をあげる。恐喝の罪で懲役6年の刑が確定し、昨年6月、刑務所に収監された高山清司若頭である。
「頭(かしら)(高山若頭)の事件は、頭本人も俺らも絶対無罪になる思うてたけど、実刑打たれてしもた。入江さんは若いモンをもっと直参に上げろと上から言われて、このままやと宅見組はバラバラにされてしまうんやないか、と考えてアタマがグニョグニョになったんやと思いますわ。で、1人で考えて考えて、今回、頭がおらん時にこんなことした。頭がおったら絶対に無理です。
でも、今回の件でヨーイドンから謀議しとったんは、井上さん、正木さん、池田さん(孝志・池田組組長)の3人やろう。寺岡さんは舎弟になってからこの3人に加わり、そこへ入江さんも入って行った。
異変の兆候はあったんです。舎弟さんにも総本部の当番があるんです、水曜日に。当番といっても、2階の応接間でテレビ見てタバコ吸うとるだけですけどね。最初はそれぞれ1人で来とったんですが、池田さんが来る時に正木さんが来る、正木さんが来る時に寺岡さんが来る……。入江さんや井上さんがそこに顔を出すこともあった。で、みんなでチンチンになって(熱くなって)たんですわ。
そうやってずっと燻っとったわけやけど、まず8月12日、山健と別の組が20団体ほど連れて出るという怪文書が回っとるいう情報が流れた。この時は一旦、ガセネタと判断したんやけど、21日にはもっとはっきり名前が分かってきた。で、26日に“27日に緊急執行部会をやる”と言うたら、井上さんと入江さんが、行きませんと伝えてきたんや。そんなことがあって、27日に向こうは慌てて盃しよったんですわ」
■金銭に関する資料?
「出て行ったモンは確かに悪い。でも、彼らを追い詰めたことは我々も考えて反省しなければならない。
しかし、出て行った彼らは、今の山口組は弘道会支配で人事も何もかも決めてる言いますけど、あの人らが出る前までの執行部の顔ぶれを見ると、圧倒的に山健組、宅見組出身が多いですよ。彼らは思い込んでしまいよったんです。司の親分、高山の頭、竹内さん(照明・弘道会会長)、このラインで決まってもうてる、と。もう決まっとるなら、応援することもないやろ、と。山健組に非ずんば山口組に非ず、と言われた時代があって、山健の枝の葉っぱの先の毛虫みたいなヤツまでエラそうにしとった。で、今度は自分らの思い通りにならんから言うて出て行ったら、そらあきませんわね。
でも、そもそも竹内さんが八代目になる、なんてことが今から言われることがおかしい。山口組の組長は生涯現役で、基本的には終生親分であり続ける。まだ親分がおるのに次の話をすること自体がありえへんわけやけど、本来は長男である頭が次を取る。高山の頭は、竹内さんにとっては親分やから、その人を七代目に推すのは当たり前」
9月5日に行われた神戸山口組の発会式に際しては、“サプライズ”が1つあった。住吉会幸平一家の加藤英幸総長が姿を現し、“発会式の見届け人を務めた”と見られているのだ。
「加藤さんの件については、我々はこう聞いています。以前、加藤さんが体調を崩している時に井上さんがお見舞いに行ったことがあった。加藤さんが、その返礼に伺いたいが、いつがいいか、と聞いたら、井上さんに9月5日に来てください、と言われて行った、と。
主に出て行った側がワーッと情報を流すから、情報が錯綜しているように見えるかもしれませんが、錯綜しているんじゃなくて踊らされているだけです。例えば、出て行った側に山口組の会計に携わっとった人間がおって、資料をいろいろと持ち出していて、当局がそれをもとに脱税などで捜査を始める、といった話が流れとります。あんまり追い込むと資料もってチンコロ(密告)するぞ、という我々に対するプレッシャーなのかもしれませんが、そもそも、金銭に関して詳細に記した資料自体が山口組には存在しませんよ。あの人らが持ち出した言うたら、事始めとかの儀式に使う金の盃と金の茶瓶を勝手に持って行きよりましたわ。
彼らは自分らを正当化するためにチラシ撒いてみたり、滅茶苦茶なことが書かれた文書を出してみたりしとるようやが、それを見て日本中のヤクザがバカにすんなと思ったはずですわ。盃がまだあるのに、親分の悪口雑言を並べ立てるなんてとんでもない、と」
■トロイの木馬
「我々は、出て行った側の人数を1000人弱と計算しています。山健組が600人、宅見組が300人、あとは数人から数十人の組やからね。で、向こうが似非山口組を立ち上げてから2週間ちょっとですが、山健組から150人、他団体から50人がすでにこちらに戻ってきています。自分とこの親分がやっとるのは大義のないことや、こんなもん逆縁や、あるまじき行為や、ということで続々と戻ってきとるわけです。戻ってきた中に向こうのスパイがおって、トロイの木馬みたいなことになったら困りますから、きっちり身元を調べた上で戻す。戻ってきた者は、山口組のいろんな組織に振り分ける。近々、戻ってきた者がどこの組織と縁組した、ということが分かる書状を回す予定になってます。当初は櫛の歯が抜けるようにこちらに戻ってきとったが、今では入れ歯がポンて取れるような感じやで。
そんな今の状況も彼らにとっては誤算なんやろうけど、彼らは元から計算を間違うとった。七十数人おった直系組長のうち、40人ほどが行動を共にし、全体の人数も数千人になると思うとったんでしょう。でも、フタを開けてみれば直参はたった13人で、全部で1000人弱。今ではそこからさらに減って、全体で800人もいない。
今後、向こうの組織を出る者はますます増えていって、勝手に自然消滅しよると思いますよ。今、井上さんは山健組の組長と、新しく作った組織の組長を兼任しとる。井上さんは山健組の四代目組長やから、五代目を誰かに譲って、自分は新しい組織のトップに専念すべきですやん。なんでそれをすぐにせえへんのか分かります? それをしたらワーッと人が出て行ってしまうからです。井上さんが、山健のトップから、今度新しく作った組織のトップになる時、元々あった子分たちとの盃は水に流すことになる。で、新たな組織のトップとして盃をせなアカンのですが、その盃を受けずにこっちに戻ってくる者がようけ出てくることになるんですわ。
盃直しをきちんとやっとらんから、あの組織は妙なことになっとる。新しい組織の若頭になった寺岡さんは、山健組の若頭と同格になる。一般の人には分かりにくいかもしれませんが、これはこの世界ではすごくおかしなことなんですわ。山健組の若頭いうたら、山口組の三次団体の組長です。山口組の執行部メンバーまでやった寺岡さんと、三次団体の組長が同格とは、誰が見てもおかしいでしょ。このままずっと同じ状態で行くわけにはいかんが、盃を直すと人が出て行ってしまうからできへんわけです。
あと、向こうの組織にとって頭が痛い問題は他にもある。抗争事件でジギリを掛けて(組織のために身命を賭けて)、まだ刑務所から帰ってきていない者がおるんです。彼らは山口組のために自分の体を賭けた。それやのに似非山口組に迎えられたら、帰ってきた人間、どない思います?
最後に、世間一般の方々には、今回の件でお騒がせして申し訳ありません、と謝罪させていただきたい。こういうことになった原因がどこにあるのかを検証し、今後は世間に迷惑をかけることのないようにしていきたい、と考えております」
参照元 :
BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり
まとめ
・「神戸山口組」は逆縁で犯罪、謀叛です
・「神戸山口組」は取材拒否、山口組は直系組長4人が揃って取材に応じた
・山口組総本部の名古屋移転話は、「神戸山口組」の作り話
・「神戸山口組」事務所を淡路島に置くのは、身の丈に合っている
・山健組と宅見組の会費は、山口組直参の会費より高額
・ミネラルウォーターや日用雑貨を月額50万円以上、強制的に売りつけている、という話はウソ
・水を買うてるのは事実やけど、組員の数に応じて月に5万円~20万円分くらい。(組員が100人超えるとこで20万円)
・山健組は自分とこで水作って自分とこの組員に売ってます
・「神戸山口組」の首謀者は、井上、正木、池田の3人
・9月5日の「神戸山口組発会式」に住吉会幸平一家の加藤英幸総長が姿を現したのは、「お見舞いの返礼」
・「神戸山口組」は、山口組の儀式に使う金の盃と金の茶瓶を勝手に持って行きよりましたわ
・「神戸山口組」の勢力は、直参13人、全体で800人(山健組が450人、宅見組が300人、あとは数人から数十人の枝ばかり)
・「神戸山口組」は井上と盃直ししとらんから、「神戸山口組」若頭と山健組の若頭が同格(直参と三次団体の組長が同格)
六代目山口組HPより
世間で騒がれている山口組分裂の騒ぎだが、元より任侠道の大義にかなわない。侠道界の契り、盃事とは、神との契りなのであるから、神国日本の伝統と仕来たりからくる、慣わしに叛く事となるのである。
古来からの成り立ちがただの形なのではない。それが一番の問題なのだ。まして本家山口組に対抗するかの様に、神戸山口組を名乗り、全てが勝手なのであるから、何の重みも感じられない。
一和会の二の舞を踏まぬ為に、苦肉の策なのか解らないが、余りにおそまつな行為であり、それがまかり通れば、それは任侠人とは程遠いものだ。あれから数日の間、殆んどの人間が道を誤った親方を見限って脱退している事を見ても、いかに行為が誤っているかは歴然である。
T組姐さんは、『親の言う事を聞かぬ者は嫌いです』と言ったそうだ。また、全国の侠道界諸兄より、『任侠道は一つです』と、表敬訪問に訪れているというから、道を誤った者達が是非を糺されるのも時間の問題であろう。
現在の勢力図四派
(1)神戸派
(2)名古屋派
名古屋に不満を抱きながら態度留保してる残留派
(3)組長引退まで様子見
(4)タイミング次第で神戸移籍
六代目山口組総本部付
絶縁状
井上邦雄(四代目山健組組長)67歳
入江 禎(二代目宅見組組長) 70歳
寺岡 修(侠友会会長) 66歳
正木年男(正木組組長) 68歳
池田孝志(池田組組長) 70歳
破門状
毛利善長(毛利組組長) 74歳
岡本久男(二代目松下組組長) 69歳
剣柾和(二代目黒誠会会長) 51歳
奥浦清司(奥浦組組長) 71歳
高橋久雄(雄成会会長) 54歳
宮下和美(二代目西脇組組長) 67歳
清崎達也(大志会会長) 45歳
池田幸治(四代目真鍋組組長) 48歳
絶縁 = 復帰出来ない
破門 = 本人次第で復帰出来る
絶縁・破門ともに他所は拾わないでくれ、付き合いしないでくれ。
現実ではそうではない。菱に限らず全国の組織が破門を承知で拾っている組など数えきれないほどある。絶縁も同様で金で元の組織に復帰したり名前を変えて他の組織に入ったりしている。黙認を含めると日本中のヤクザがそれに関与している。自分のところの絶縁・破門だけが有効だと胸を張って言える組織などない。
絶縁・破門は身内に対しての処分だが他団体との縁を切る「義絶」というのもある。当時、一本独鈷だった九州の西部連合は道仁会とトラブルになり双方と親戚関係にある工藤會が仲裁に入ろうと執行部が西部連合を訪ねるが総裁の西山(当時)は門前払いして会おうとしなかった。激怒した工藤會は西部連合との親戚を解消。全国に「義絶状」を送り縁を切った。西部連合は現在、弘道会に拾われている。
西部連合(当時は西武連合)は割れた経験があり、二代目双葉会の和田会長を中心に太住会を結成して抗争に発展。割った側の和田会長は双葉会会長→太住会会長→福博会会長→福博会総裁。
福博会は山口組とは親戚関係にあり友好団体であり、割った側と付き合いしても良いし親戚になってもいいと山口組自ら証明している。
■山口組三代目田岡組長は工藤會初代VS工藤會二代目の抗争■
(工藤組VS草野一家)当時、工藤組若頭の草野は山口組との抗争で服役。未決拘留中に工藤組を離脱して草野組解散声明を出し、工藤組長は一方的な親子絶縁であるとして草野若頭を破門。刑期を終え、出所した破門された草野を出迎えたのは山口組三代目の田岡組長。
田岡は山口組として破門の身の草野の放免祝いを盛大に行った。田岡は草野を山口組に迎え入れようとしたが草野は断り山口組に加入しなかったが山口組最高幹部の伊豆組、伊豆健児組長と五分の兄弟分となる。
草野は工藤会(工藤組)と同じ北九州で草野一家を結成し、山口組系の石井組や伊豆組が助っ人に入り抗争へ発展、稲川会の仲裁で手打ちが行われて抗争は終結。工藤組と草野一家は合併し、工藤連合草野一家となり草野は初代総長。
司忍が心酔している田岡も離脱・破門者側についた歴史があるということだ。
【神戸山口組組織図】
組 長 - 井上邦雄(四代目山健組組長)
◆執行部
副組長 - 入江 禎(二代目宅見組組長)
顧 問 - 奥浦清司(奥浦組組長)
若 頭 - 寺岡 修(侠友会会長)
舎弟頭 - 池田孝志(池田組組長)
総本部長 - 正木年男(正木組組長)
本部長 - 毛利善長(毛利組組長)
舎 弟 - 岡本久男(二代目松下組組長)
舎 弟 - 宮下和美(二代目西脇組組長)
若頭代行 - 織田絆誠(邦道連合総長)
若頭補佐 - 剣 柾和(二代目黒誠会会長)
若中・組長秘書 - 高橋久雄(雄成会会長)
若中・組長秘書 - 池田幸治(四代目真鍋組組長)
若中・組長秘書 - 清崎達也(大志会会長)
◆幹事
中田広志(五代目健竜会会長)
與 則和(與組組長)
中橋勝久(中橋組組長)
藤森吉晴(二代目松藤組組長)
水田忠好(三代目村正会会長)
物部浩久(三代目妹尾組組長)
今村仁志(二代目勝心連合組長)
山田 一(三代目杉本組組長)
平良辰雄
新福 孝(新友会会長)
井上憲生(六代目諏訪一家総長)
高木 昇(昇伸会会長)
伊藤 誠(伊藤組組長)
東 正春(東組組長)
神崎 誠(神崎会会長)
丸山隆英(二代目岡本会会長)
前本憲壮(前本組組長)
神田清正
上田昌浩
幅多潤也
清水克也(清水組組長)
【六代目山口組組織図】(分裂時)
組 長 – 司 忍/篠田 建市
◆執行部
若 頭 – 髙山清司
舎弟頭 – 入江 禎(二代目宅見組組長)※絶縁 神戸山口組
統括委員長 – 橋本弘文(極心連合会会長)
本部長 – 大原宏延(大原組組長)
若頭補佐 – 青山千尋(二代目伊豆組組長)
若頭補佐 – 井上邦雄(四代目山健組組長)※絶縁 神戸山口組
若頭補佐 – 藤井英治(五代目國粹会会長)
若頭補佐 – 江口健治(二代目健心会会長)
若頭補佐 – 森尾卯太男(大同会会長)
若頭補佐 – 光安克明(光生会会長)
若頭補佐 – 高木康男(六代目清水一家総長)
若頭補佐 – 竹内照明(三代目弘道会会長)
◆顧問
石田章六(章友会会長)
◆舎弟
川合康允(川合組組長)
鈴木一彦(旭導会会長)
青野哲也(七代目一力一家総長)
寺岡 修(侠友会会長)※絶縁 神戸山口組
正木年男(正木組組長)※絶縁 神戸山口組
池田孝志(池田組組長)※絶縁 神戸山口組
◆幹部
総本部事務局長 – 毛利善長(毛利組組長)※破門 神戸山口組
岡本久男(二代目松下組組長)※破門 神戸山口組
総本部事務局次長 – 剣 柾和(二代目黒誠会会長)※破門 神戸山口組
組織委員長 – 高野永次(三代目織田組組長)
慶弔委員長 – 野村 孝(三代目一会会長)
【六代目山口組組織図】(最新)
組 長 - 司 忍
◆執行部
若 頭 - 高山清司
統括委員長 - 橋本弘文(極心連合会会長)
舎弟頭 - 青山千尋(二代目伊豆組組長)
本部長 - 大原宏延(大原組組長)
若頭補佐 - 藤井英治(五代目國粹会会長)
若頭補佐 - 江口健治(二代目健心会会長)
若頭補佐 - 森尾卯太男(大同会会長)
若頭補佐 - 光安克明(光生会会長)
若頭補佐 - 高木康男(六代目清水一家総長)
若頭補佐 - 竹内照明(三代目弘道会会長)
◆顧問
石田章六(章友会会長)
◆舎弟
川合康允(川合組組長)
鈴木一彦(旭導会会長)
青野哲也(七代目一力一家総長)
◆幹部
組織委員長 - 高野永次(三代目織田組組長)
慶弔委員長 - 野村 孝(三代目一会会長)
藤原健治(三代目熊本組組長)
茶谷政雄(茶谷政一家総長)
富田丈夫(國領屋一家総長)
組長付 - 清田健二(十代目瀬戸一家総裁)
組長付 - 薄葉政嘉(十一代目平井一家総裁)
慶弔委員長代理 - 能塚 恵(三代目一心会会長)
総本部責任者 - 安東美樹(二代目竹中組組長)