“伝説のヤクザ”が神戸山口組に合流 復帰組が続々
2015年10月22日 6時0分
分裂以降、山口組と神戸山口組の間で激しい引き抜き合戦が続いている。そのなかで、かつて絶縁や破門になった伝説のヤクザたちが続々と復帰しようとしていた。なかでも注目されるのが、神戸山口組に参加すると話題になっている三島組三島敬一元組長だ。警察関係者は次のように話す。
「三島元組長は、山健組傘下の健竜会の最高顧問だった。五代目山口組渡辺芳則組長が立ち上げた健竜会は名門で、神戸山口組の井上邦雄組長は四代目会長を務めていた。三島元組長は渡辺五代目、また中野会の中野太郎会長(宅見組宅見勝組長の射殺事件で絶縁処分)とも兄弟分だったとされる超大物ヤクザ。長く大阪市西成区の覚醒剤売買を取り仕切っていたが、山口組に司忍六代目が就任後、『山口組で禁じているシャブを扱った』として絶縁処分を受け、熊本に戻っていた」
ほかにも注目される神戸山口組の復帰組がいる。三島元組長と同じ健竜会で元三代目会長を務め、山健組若頭補佐だった山本一廣元会長だ。
「7日に山口組の幹部が東京の板橋区にある住吉会系幸平一家の本部事務所を訪問したが、その際に山本一廣元会長の姿があって、われわれマスコミは驚きました。復帰したことは知らなかった」(ヤクザ界に詳しいジャーナリスト)
山本元会長は、幸平一家の加藤英幸総長と兄弟分といわれる。井上組長の先代の健竜会会長として山健組を支えた有力幹部だったが、司六代目体制下で山口組を追われていた。今回、神戸山口組に合流し、山健組の舎弟頭補佐に就任。山口組を追われた元山健組幹部の復帰は神戸山口組の作戦だという。
「山口組六代目に就任した司組長は、五代目の出身母体である山健組の力を削ぐために、多くの山健組有力幹部を追放してきた。神戸山口組側はそのときに処分を受けた人間を戻すことで、司組長の行為の不当性をアピールできる。この流れは今後も続くだろう」(前同)
「伝説のヤクザ」まで飛び出した仁義なき引き抜き抗争。次なる秘密兵器が、拳銃やナイフでないことを祈るばかりだ。
(週刊FLASH11月3日号)
参照元 : 女性自身
▼三島敬一元組長
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑯ ~秘策~
2015.10.27
創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。
影で動く大物OBたち
ついに、神戸山口組が六代目山口組の組員数を上回った。
離脱分裂当初は神戸山口組は六代目山口組の組員数の約半分程度であったが、離脱分裂から2ヶ月が過ぎた現在では、神戸山口組の組員数は急増し、六代目山口組の組員数は減少傾向にある。これは、ヤクザ暴力団業界の中で六代目山口組の名古屋主義に嫌気がさしている組員が多いという事を意味しているだろう。
六代目山口組内では「(現在、服役中の)高山若頭がいたらこうはならなかった」という声とともに六代目山口組統括委員長と舎弟頭に対して「お前がしっかりしていないからこうなった」という叱咤叱責が飛び交っている。
神戸山口組の急増については、その方針に共鳴する人たちの拡大もあるが、神戸山口組の影の協力者の存在と影響も大きい。分裂以前の六代目山口組内における名古屋支配管理体制が全盛だった頃、名古屋一派は神戸一派に対して執拗かつ強圧的に人員の切り崩しを続け、功労者やベテランクラスや様々な生き証人たちを除籍、絶縁、破門、引退へと追いやっていった。彼らのひとりひとりがミスター山口組であり、まさに山口組の個性そのものであったが、名古屋一派はまるで急速な世代交代と新時代の到来とばかりに切り崩し、人員処分という組織改革を強引に行った。
その結果、様々な確執と因縁を発生した。現在の六代目山口組にはもうケンカが出来るヤクザはいないとまで言われている。その手の人たちのほとんどが名古屋支配管理体制時代に粛清されたからである。
そういった、不本意に山口組から追い払われた方々は、神戸一派の応援者となり、やがて、神戸山口組の影の協力者となった。
「ヤクザは肩書きではない」という言葉がある。神戸山口組の影の協力者たちは、別に、山口組を追いやられて肩書きを失った事に対する恨みつらみで活動しているわけではない。あくまでも「山口組を離れた今でも、やるべき事はやらなければならない」という一念で歩んでいる。繰り返すが、ヤクザは肩書きではない。生き様なのである。
起死回生の一手はあるか?
とはいえ、いったん渡世を離れたら、渡世事はすべて消えてなくなるというケジメもある。
しかし、一口に盃といっても、いろいろな種類のものがある。例えば、兄弟分の盃で言えば、割り盃というものがある。これは盃を交わした段階で盃を割り、何があってももう元(=盃事の前の段階)に戻すことはしない、という意味が込められている。はっきり言えば、兄弟分が絶縁になろうが破門になろうがどうなろうが、割り盃を交わしたらずっと兄弟分なのである。そして繰り返すが、ヤクザは肩書きではなく、生き様である。
ヤクザ組織という物はそもそも縁ある人々の任侠集団である。たとえゴロツキと呼ばれてもそもそもは任侠道の名のもとに縁した者が集まっている。ヤクザ組織に就職制度等はない。軍隊でもマフィア組織でもない。
現在の六代目山口組内では、組長交代という声も密かに囁かれている。その話が、現在の六代目山口組組員たちの声を反映した交代案なのか、離脱分裂騒動により崩れた名古屋支配管理体制を再構築再強化するための秘策なのかは定かではないが、どちらかと言えば苦境に立たされているのは六代目山口組のほうなのかも知れない。
(取材/文=藤原良)
参照元 : RZONE
健竜会
五代目健竜会(けんりゅうかい)は兵庫県神戸市中央区中山手通2-22-3に本部を置き兵庫県神戸市中央区中山手通6-3-18に本家を置く暴力団で、神戸山口組の三次団体。上部団体は四代目山健組。
◆健竜会系譜
初 代 - 渡辺芳則
二代目 - 桑田兼吉
三代目 - 山本一廣
四代目 - 井上邦雄
五代目 - 中田広志
◆五代目健竜会組織図
会 長 - 中田広志(四代目山健組若頭代行)
◆執行部
若 頭 - 萩本正志
舎弟頭 - 西浦徹守(西浦興業組長)
組織委員長 - 山下唯雄(神仁会会長)
公報委員長 - 福富 広
舎弟頭補佐 - 吉田光守(武龍会会長)
舎弟頭補佐 - 津山盛路(津山組組長)
舎弟頭補佐 - 若林忠壱(忠道会会長)
舎弟頭補佐 - 兵頭孝一(兵頭総業組長)
舎弟頭補佐 - 中山和也(中山連絡所代表)
舎弟頭補佐 - 望月 実
若頭補佐 - 吉田耀一(一誠会会長)
若頭補佐 - 蜜岡伸貞(侠伸会会長)
若頭補佐 - 板谷金太郎
若頭補佐 - 石掛 勝(竜仁会会長)
若頭補佐 - 金子勝則(広勝会会長)
若頭補佐 - 太田光甠
事務局長 - 山田弥一(山田興業組長)
◆舎弟
北本 肇(北本組組長)
山本靖秀(二代目八将会会長)
金本将典
新垣武吉
◆幹部
山本壱也(四代目竜心会会長)
清水 優(清水組組長)
岡田尚之(二代目一竜会会長)
田中 学(二代目金谷興業組長)
小林信一(小林会会長)
城後保博(城後組組長)
花井博臣(志竜会会長)
山口謙誠(神誠会会長)
松尾 淳
初代健竜会組織図
二代目健竜会組織図
三代目健竜会組織図
四代目健竜会組織図
五代目健竜会組織図・平成27年
参照元 : wiki/健竜会
2015年10月22日 6時0分
分裂以降、山口組と神戸山口組の間で激しい引き抜き合戦が続いている。そのなかで、かつて絶縁や破門になった伝説のヤクザたちが続々と復帰しようとしていた。なかでも注目されるのが、神戸山口組に参加すると話題になっている三島組三島敬一元組長だ。警察関係者は次のように話す。
「三島元組長は、山健組傘下の健竜会の最高顧問だった。五代目山口組渡辺芳則組長が立ち上げた健竜会は名門で、神戸山口組の井上邦雄組長は四代目会長を務めていた。三島元組長は渡辺五代目、また中野会の中野太郎会長(宅見組宅見勝組長の射殺事件で絶縁処分)とも兄弟分だったとされる超大物ヤクザ。長く大阪市西成区の覚醒剤売買を取り仕切っていたが、山口組に司忍六代目が就任後、『山口組で禁じているシャブを扱った』として絶縁処分を受け、熊本に戻っていた」
ほかにも注目される神戸山口組の復帰組がいる。三島元組長と同じ健竜会で元三代目会長を務め、山健組若頭補佐だった山本一廣元会長だ。
「7日に山口組の幹部が東京の板橋区にある住吉会系幸平一家の本部事務所を訪問したが、その際に山本一廣元会長の姿があって、われわれマスコミは驚きました。復帰したことは知らなかった」(ヤクザ界に詳しいジャーナリスト)
山本元会長は、幸平一家の加藤英幸総長と兄弟分といわれる。井上組長の先代の健竜会会長として山健組を支えた有力幹部だったが、司六代目体制下で山口組を追われていた。今回、神戸山口組に合流し、山健組の舎弟頭補佐に就任。山口組を追われた元山健組幹部の復帰は神戸山口組の作戦だという。
「山口組六代目に就任した司組長は、五代目の出身母体である山健組の力を削ぐために、多くの山健組有力幹部を追放してきた。神戸山口組側はそのときに処分を受けた人間を戻すことで、司組長の行為の不当性をアピールできる。この流れは今後も続くだろう」(前同)
「伝説のヤクザ」まで飛び出した仁義なき引き抜き抗争。次なる秘密兵器が、拳銃やナイフでないことを祈るばかりだ。
(週刊FLASH11月3日号)
参照元 : 女性自身
▼三島敬一元組長
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?山口組実録シリーズ 「菱の血判」その⑯ ~秘策~
2015.10.27
創立100周年目の山口組に起きた「別れ」という離脱分裂劇。マスコミ等では分裂理由を、主に会費の高騰、と紹介しているが、血で血を洗いながら100年間も続いた組織の分裂理由はそんな単純なものではない。
「11年前に戻っただけや」
分裂理由の真相を知る幹部たちは残念顔でこう言った。山口組は11年前から神戸一派と名古屋一派との間で確執が生じていた。脈々と沸々と続いていたものがこの度遂に分裂というかたちで表面化したのである。六代目山口組の分裂劇とは一体何なのか? 山口組に詳しい藤原良氏に解説してもらった。
影で動く大物OBたち
ついに、神戸山口組が六代目山口組の組員数を上回った。
離脱分裂当初は神戸山口組は六代目山口組の組員数の約半分程度であったが、離脱分裂から2ヶ月が過ぎた現在では、神戸山口組の組員数は急増し、六代目山口組の組員数は減少傾向にある。これは、ヤクザ暴力団業界の中で六代目山口組の名古屋主義に嫌気がさしている組員が多いという事を意味しているだろう。
六代目山口組内では「(現在、服役中の)高山若頭がいたらこうはならなかった」という声とともに六代目山口組統括委員長と舎弟頭に対して「お前がしっかりしていないからこうなった」という叱咤叱責が飛び交っている。
神戸山口組の急増については、その方針に共鳴する人たちの拡大もあるが、神戸山口組の影の協力者の存在と影響も大きい。分裂以前の六代目山口組内における名古屋支配管理体制が全盛だった頃、名古屋一派は神戸一派に対して執拗かつ強圧的に人員の切り崩しを続け、功労者やベテランクラスや様々な生き証人たちを除籍、絶縁、破門、引退へと追いやっていった。彼らのひとりひとりがミスター山口組であり、まさに山口組の個性そのものであったが、名古屋一派はまるで急速な世代交代と新時代の到来とばかりに切り崩し、人員処分という組織改革を強引に行った。
その結果、様々な確執と因縁を発生した。現在の六代目山口組にはもうケンカが出来るヤクザはいないとまで言われている。その手の人たちのほとんどが名古屋支配管理体制時代に粛清されたからである。
そういった、不本意に山口組から追い払われた方々は、神戸一派の応援者となり、やがて、神戸山口組の影の協力者となった。
「ヤクザは肩書きではない」という言葉がある。神戸山口組の影の協力者たちは、別に、山口組を追いやられて肩書きを失った事に対する恨みつらみで活動しているわけではない。あくまでも「山口組を離れた今でも、やるべき事はやらなければならない」という一念で歩んでいる。繰り返すが、ヤクザは肩書きではない。生き様なのである。
起死回生の一手はあるか?
とはいえ、いったん渡世を離れたら、渡世事はすべて消えてなくなるというケジメもある。
しかし、一口に盃といっても、いろいろな種類のものがある。例えば、兄弟分の盃で言えば、割り盃というものがある。これは盃を交わした段階で盃を割り、何があってももう元(=盃事の前の段階)に戻すことはしない、という意味が込められている。はっきり言えば、兄弟分が絶縁になろうが破門になろうがどうなろうが、割り盃を交わしたらずっと兄弟分なのである。そして繰り返すが、ヤクザは肩書きではなく、生き様である。
ヤクザ組織という物はそもそも縁ある人々の任侠集団である。たとえゴロツキと呼ばれてもそもそもは任侠道の名のもとに縁した者が集まっている。ヤクザ組織に就職制度等はない。軍隊でもマフィア組織でもない。
現在の六代目山口組内では、組長交代という声も密かに囁かれている。その話が、現在の六代目山口組組員たちの声を反映した交代案なのか、離脱分裂騒動により崩れた名古屋支配管理体制を再構築再強化するための秘策なのかは定かではないが、どちらかと言えば苦境に立たされているのは六代目山口組のほうなのかも知れない。
(取材/文=藤原良)
参照元 : RZONE
健竜会
五代目健竜会(けんりゅうかい)は兵庫県神戸市中央区中山手通2-22-3に本部を置き兵庫県神戸市中央区中山手通6-3-18に本家を置く暴力団で、神戸山口組の三次団体。上部団体は四代目山健組。
◆健竜会系譜
初 代 - 渡辺芳則
二代目 - 桑田兼吉
三代目 - 山本一廣
四代目 - 井上邦雄
五代目 - 中田広志
◆五代目健竜会組織図
会 長 - 中田広志(四代目山健組若頭代行)
◆執行部
若 頭 - 萩本正志
舎弟頭 - 西浦徹守(西浦興業組長)
組織委員長 - 山下唯雄(神仁会会長)
公報委員長 - 福富 広
舎弟頭補佐 - 吉田光守(武龍会会長)
舎弟頭補佐 - 津山盛路(津山組組長)
舎弟頭補佐 - 若林忠壱(忠道会会長)
舎弟頭補佐 - 兵頭孝一(兵頭総業組長)
舎弟頭補佐 - 中山和也(中山連絡所代表)
舎弟頭補佐 - 望月 実
若頭補佐 - 吉田耀一(一誠会会長)
若頭補佐 - 蜜岡伸貞(侠伸会会長)
若頭補佐 - 板谷金太郎
若頭補佐 - 石掛 勝(竜仁会会長)
若頭補佐 - 金子勝則(広勝会会長)
若頭補佐 - 太田光甠
事務局長 - 山田弥一(山田興業組長)
◆舎弟
北本 肇(北本組組長)
山本靖秀(二代目八将会会長)
金本将典
新垣武吉
◆幹部
山本壱也(四代目竜心会会長)
清水 優(清水組組長)
岡田尚之(二代目一竜会会長)
田中 学(二代目金谷興業組長)
小林信一(小林会会長)
城後保博(城後組組長)
花井博臣(志竜会会長)
山口謙誠(神誠会会長)
松尾 淳
初代健竜会組織図
二代目健竜会組織図
三代目健竜会組織図
四代目健竜会組織図
五代目健竜会組織図・平成27年
参照元 : wiki/健竜会
はじめまして、三島敬一さんとして私の父の写真を間違って使用しているので削除してほしいです。
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