ラップするホンモノの組長も実在! 【MC漢とD.O】がぶっちゃける“ラップとヤクザ”のウラ事情
2015.10.18
――日本版ギャングスタ・ラップの立役者である漢とD.O。前者は新宿を、後者は練馬をレペゼンしながら、共にドラッグ、バイオレンス、セックスなど、アンダーグラウンドの現実を歌ってきたラッパーである。そんな2人のダイアローグを通して、日本におけるヒップホップとヤクザのリアルな関係をあぶり出してみたい!
『ストレイト・アウタ・コンプトン』という、日本では劇場公開すら危ぶまれていた作品が、アメリカでは3週連続で興行成績1位を獲得するヒットを飛ばしている。1986年にカリフォルニア州コンプトンで結成されたラップ・グループ=N.W.Aのキャリアを描いたこの映画のタイトルを、文脈を踏まえて訳すならば「コンプトン刑務所から出たら仕返しするためにお前の家に直行するからな!」となるだろうか。そこには、アメリカの中でも特に犯罪率が高く、ギャングが横行する暴力都市として知られていた80年代後半のコンプトンのリアリティが反映されている。
また、映画のヒットによって、N.W.Aが89年に発表した同名のデビュー作もビルボード・チャートの4位にランクインするなど再び注目されているが、そもそも、このアルバムは26年の間に累計300万枚以上を売り上げ、ギャングのアティテュードやライフスタイルについて歌う“ギャングスタ・ラップ”というジャンルを形成し、それはすでにアメリカ文化のひとつとして認められているのだ。
ところで、ギャングを日本文化に置き換えるとチンピラ、今風に言えば半グレということになり、一方、マフィアがヤクザに当たる。ただし、アメリカのギャングには地元に密着したアウトロー集団というようなニュアンスもあって、いわゆる地回りヤクザに近いようにも思える。そして、日本でも映画『ストレイト~』は年末公開が決定したものの、ラップ・ファンにしか注目されていないということは、つまり、N.W.Aの持つリアリティが理解されていないということである。
そこには、この国で地域社会が弱体化し、追い打ちをかけるように暴力団を排除する法律が強化され、ヤクザが身近なものでなくなったどころか、タブー化したことが関係しているだろう。あるいは、日本のラップ・ミュージックは基本的にアメリカで起こったムーヴメントをその都度翻訳することで発展してきたが、日本版ギャングスタ・ラップ=ヤクザ・ラップは一般的になっていない。例えば、現代日本におけるN.W.Aとでも言えそうなレーベル〈9SARI GROUP〉による、ギャングの抗争を模した映像作品「9SARI HEAD LINE 番外編」が、拳銃ではなく水鉄砲で撃ち合うという設定なのも、臭いものにフタをするそのような状況を皮肉っているのだ。
それにしても、実際のところ、日本におけるヤクザとヒップホップの関係はどうなっているのか?〈9SARI GROUP〉のオーナーで、日本のストリート事情を赤裸々に歌ってきた漢と、同レーベルに所属し、バラエティからニュースまでお茶の間をにぎわせてきたD.Oに話を訊いた。
地方の繁華街を仕切る”地回り”とラッパー
――漢さんの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)には、「そのディールはトラップだった。(中略)相手は大人の不良、つまりヤクザだった。(中略)大切な仲間を巻き込むし、危険をおかして稼いだ金もすべて失った」「身内のあいだでMC漢がシャブつながりでヤクザとつるみ、本人もヤクザになったという黒い噂がささやかれていた」といったように、ヤクザに関する記述がたびたび登場しますね。
D.O(以下、D) オレらはヤクザと誤解されてるだけなんだけど、今は元極道のラッパーとか元ラッパーの極道とかって珍しくないよね。
漢 Y市のTというグループの初代メンバーは、あるときラップをやめて組に入って、そのうちのひとりは組長をやってる。今度、オレらは今のTのパーティに呼ばれて出るけど、ソイツが「久しぶりにマイク握りたい」と言ってるらしい。
――そういうケースは、お2人がラップを始めた90年代から見られましたか?
(以下省略)
参照元 : サイゾーpremium
漢 (ミュージシャン)
漢(かん、本名:川上 国彦、1978年 - )は、日本のヒップホップMC。株式会社鎖グループ及びヒップホップレーベル「9SARI GROUP」代表。新宿を拠点に活動するヒップホップグループ・MSCのリーダー。漢 a.k.a. GAMI(カン・エーケーエー・ガミ)表記での活動が多い。
略歴
「MSC (音楽グループ)#来歴」も参照
2000年にヒップホップクルーMS CRU(現:MSC)を結成。2002年6月10日、MS CRUのメンバーとしてEP『帝都崩壊』でデビュー。収録曲「幻影」でDABOをディスし、数年に渡りビーフに発展する。
詳細は「#DABOとのビーフ」を参照
2002年8月、B BOY PARK 2002 MC BATTLEで優勝。2005年1月26日、1stソロアルバム『導〜みちしるべ〜』をLibra Recordsより発売。初回限定版に付属されているDVDでは、「極論」のミュージック・ビデオと、フリースタイル風景が収録されている。同年から開催されたMC BATTLEの大会ULTIMATE MC BATTLEをLibra Recordsと共に立ち上げる。
2011年3月24日、シングル「I will show you」をiTunes限定で発売。2012年5月29日、ミックスCD『HURTFUL - MIXED BY DJ GATTEM』を自身のレーベル「9SARI GROUP」とCDショップ「CASTLE-RECORDS」共同で1000枚限定で発売。同年8月8日、株式会社鎖グループを設立し、ミックスCD『MURDARATION』をMC漢 & DJ琥珀名義で発売[2]。2014年9月24日、ソロEP『9sari』を9SARI GROUPより発売。
MC BATTLE 戦績
2000年、B BOY PARK 2000 MC BATTLEでは、本選出場もKREVAに敗れ二回戦敗退。
2002年、B BOY PARK 2002 MC BATTLE優勝。
2003年、B BOY PARK 2003 MC BATTLE4位。
2005年、ULTIMATE MC BATTLE 2005準優勝。
2009年、3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE準優勝。
鎖グループ
2012年5月29日発売のミックスCD『HURTFUL - MIXED BY DJ GATTEM』に合わせてヒップホップレーベル9SARI GROUP(クサリグループ)を設立。同年8月8日、株式会社鎖グループ(くさりグループ)を設立。2014年にはスタジオとカフェが併設された「鎖オフィス」を西早稲田駅近くにオープン。
鎖グループ設立計画の協力者であり2014年3月5日に事故により死去した元PヴァインのA&R佐藤将がかつて設立したレーベルBLACK SWAN(ブラックスワン)との合同記者会見を2014年6月4日に開き、BLACK SWANはDARTHREIDERが代表を引き継ぎ鎖グループ内のレーベルにする事とMSCがBLACK SWANに所属する事、両レーベルに所属するアーティストなどが発表された。旧知の間柄であった佐藤将とは水面下で会社を合併しようという計画を立てていたとされ、その流れでスタジオや事務所を建設していたと明かした。
また、自身及びMSCが所属していたLibra Recordsへの告発や提訴の準備をしているとする発言もされ、Libra Records関係者による執拗な暴力や恫喝があった事、共催関係にあったULTIMATE MC BATTLEの運営に関する問題、印税・給与などの金銭問題などについて触れ、Libra Recordsとのビーフの開始を宣言した。これについてLibra Records代表の西原慶祐は反論はあるが公式的にリアクションすることは考えていないと述べ、ULTIMATE MC BATTLEは予定通り開催すると述べた。
所属アーティスト
9SARI GROUP
漢 a.k.a. GAMI ※代表
D.O
HI-BULLET
DOGMA
LORD 8ERZ
BLACK SWAN
DARTHREIDER ※代表
MSC
GOKU GREEN
PONY
LIBRO
FOREMAN
DJ 琥珀
DABOとのビーフ
自伝『ヒップホップ・ドリーム』でDABOとのビーフについて詳細に書かれており、DABOを敵対視するに至った理由は「リアルでない」という事が主な理由であり、その例として2002年にDABOが発表したシングル「恋はオートマ」のミュージック・ビデオではDABOが車を運転している演出があるが、別のインタビューによるとDABOは車の免許を持っていないと述べていた事を知ったという事や、同年にDABOが発表したアルバム『HITMAN』のジャケットではDABOが銃を構えているものとなっており、これについて漢は「銃を構えることがどういう意味を持つか考えてほしい」と述べ、これらのDABOの行為に対し「日本のヒップホップのリアルとは何か?」というデリケートな問題として捉えビーフに発展させる。ディスの応酬を収録した楽曲は以下の通り。
なお、2004年7月にShibuya O-EASTで開催された妄走族のMASARU主催のイベントでDABOと初めて直接対面することとなる。初めに、会場へ向かう道中でDABOが通りすがるのを車内から発見し、「いまのDABOじゃないか!」と叫ぶもDABOはそのまま過ぎ去る。続いて、MSCのメンバーと共に会場の控室で待機していると、挨拶回りをしていたDABOが控室に来る。ここで初めて顔を合わせるも、DABOはドアをそっと閉めて去る。
その後イベントではDABOのライブが行われ、漢をディスした曲「おそうしき feat. 般若」を披露する。その途中に漢がステージに乱入し、DABOにフリースタイルを仕掛けるも、DABOは自身の持ち曲で返したためバトルらしいバトルにはならなかった。その後、2005年1月に総括的なディス曲「Take Candy From A Baby」を発表。すると、般若から仲裁が入りDABOと電話で会話する事となり和解に至る。
後にDABOはTwitterで漢について、2012年7月に「初めての体験をさせてくれたかけがいのないマイメン[注 1]」、「初めてのビーフがあいつでよかった」、2013年には「リスペクト漢!いぇいいぇい♪」等とツイートしており、好意的なアピールをしている。
(以下略)
参照元 : wiki/漢_(ミュージシャン)
高校生ラップ選手権大会オープニングで登場した、ダースレイダー 漢 a.k.a. GAMI D.O(ディーオー)豪華ライブ
動画1分40秒付近から登場
2015.10.18
――日本版ギャングスタ・ラップの立役者である漢とD.O。前者は新宿を、後者は練馬をレペゼンしながら、共にドラッグ、バイオレンス、セックスなど、アンダーグラウンドの現実を歌ってきたラッパーである。そんな2人のダイアローグを通して、日本におけるヒップホップとヤクザのリアルな関係をあぶり出してみたい!
『ストレイト・アウタ・コンプトン』という、日本では劇場公開すら危ぶまれていた作品が、アメリカでは3週連続で興行成績1位を獲得するヒットを飛ばしている。1986年にカリフォルニア州コンプトンで結成されたラップ・グループ=N.W.Aのキャリアを描いたこの映画のタイトルを、文脈を踏まえて訳すならば「コンプトン刑務所から出たら仕返しするためにお前の家に直行するからな!」となるだろうか。そこには、アメリカの中でも特に犯罪率が高く、ギャングが横行する暴力都市として知られていた80年代後半のコンプトンのリアリティが反映されている。
また、映画のヒットによって、N.W.Aが89年に発表した同名のデビュー作もビルボード・チャートの4位にランクインするなど再び注目されているが、そもそも、このアルバムは26年の間に累計300万枚以上を売り上げ、ギャングのアティテュードやライフスタイルについて歌う“ギャングスタ・ラップ”というジャンルを形成し、それはすでにアメリカ文化のひとつとして認められているのだ。
ところで、ギャングを日本文化に置き換えるとチンピラ、今風に言えば半グレということになり、一方、マフィアがヤクザに当たる。ただし、アメリカのギャングには地元に密着したアウトロー集団というようなニュアンスもあって、いわゆる地回りヤクザに近いようにも思える。そして、日本でも映画『ストレイト~』は年末公開が決定したものの、ラップ・ファンにしか注目されていないということは、つまり、N.W.Aの持つリアリティが理解されていないということである。
そこには、この国で地域社会が弱体化し、追い打ちをかけるように暴力団を排除する法律が強化され、ヤクザが身近なものでなくなったどころか、タブー化したことが関係しているだろう。あるいは、日本のラップ・ミュージックは基本的にアメリカで起こったムーヴメントをその都度翻訳することで発展してきたが、日本版ギャングスタ・ラップ=ヤクザ・ラップは一般的になっていない。例えば、現代日本におけるN.W.Aとでも言えそうなレーベル〈9SARI GROUP〉による、ギャングの抗争を模した映像作品「9SARI HEAD LINE 番外編」が、拳銃ではなく水鉄砲で撃ち合うという設定なのも、臭いものにフタをするそのような状況を皮肉っているのだ。
それにしても、実際のところ、日本におけるヤクザとヒップホップの関係はどうなっているのか?〈9SARI GROUP〉のオーナーで、日本のストリート事情を赤裸々に歌ってきた漢と、同レーベルに所属し、バラエティからニュースまでお茶の間をにぎわせてきたD.Oに話を訊いた。
地方の繁華街を仕切る”地回り”とラッパー
――漢さんの自伝『ヒップホップ・ドリーム』(河出書房新社)には、「そのディールはトラップだった。(中略)相手は大人の不良、つまりヤクザだった。(中略)大切な仲間を巻き込むし、危険をおかして稼いだ金もすべて失った」「身内のあいだでMC漢がシャブつながりでヤクザとつるみ、本人もヤクザになったという黒い噂がささやかれていた」といったように、ヤクザに関する記述がたびたび登場しますね。
D.O(以下、D) オレらはヤクザと誤解されてるだけなんだけど、今は元極道のラッパーとか元ラッパーの極道とかって珍しくないよね。
漢 Y市のTというグループの初代メンバーは、あるときラップをやめて組に入って、そのうちのひとりは組長をやってる。今度、オレらは今のTのパーティに呼ばれて出るけど、ソイツが「久しぶりにマイク握りたい」と言ってるらしい。
――そういうケースは、お2人がラップを始めた90年代から見られましたか?
(以下省略)
参照元 : サイゾーpremium
漢 (ミュージシャン)
漢(かん、本名:川上 国彦、1978年 - )は、日本のヒップホップMC。株式会社鎖グループ及びヒップホップレーベル「9SARI GROUP」代表。新宿を拠点に活動するヒップホップグループ・MSCのリーダー。漢 a.k.a. GAMI(カン・エーケーエー・ガミ)表記での活動が多い。
略歴
「MSC (音楽グループ)#来歴」も参照
2000年にヒップホップクルーMS CRU(現:MSC)を結成。2002年6月10日、MS CRUのメンバーとしてEP『帝都崩壊』でデビュー。収録曲「幻影」でDABOをディスし、数年に渡りビーフに発展する。
詳細は「#DABOとのビーフ」を参照
2002年8月、B BOY PARK 2002 MC BATTLEで優勝。2005年1月26日、1stソロアルバム『導〜みちしるべ〜』をLibra Recordsより発売。初回限定版に付属されているDVDでは、「極論」のミュージック・ビデオと、フリースタイル風景が収録されている。同年から開催されたMC BATTLEの大会ULTIMATE MC BATTLEをLibra Recordsと共に立ち上げる。
2011年3月24日、シングル「I will show you」をiTunes限定で発売。2012年5月29日、ミックスCD『HURTFUL - MIXED BY DJ GATTEM』を自身のレーベル「9SARI GROUP」とCDショップ「CASTLE-RECORDS」共同で1000枚限定で発売。同年8月8日、株式会社鎖グループを設立し、ミックスCD『MURDARATION』をMC漢 & DJ琥珀名義で発売[2]。2014年9月24日、ソロEP『9sari』を9SARI GROUPより発売。
MC BATTLE 戦績
2000年、B BOY PARK 2000 MC BATTLEでは、本選出場もKREVAに敗れ二回戦敗退。
2002年、B BOY PARK 2002 MC BATTLE優勝。
2003年、B BOY PARK 2003 MC BATTLE4位。
2005年、ULTIMATE MC BATTLE 2005準優勝。
2009年、3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE準優勝。
鎖グループ
2012年5月29日発売のミックスCD『HURTFUL - MIXED BY DJ GATTEM』に合わせてヒップホップレーベル9SARI GROUP(クサリグループ)を設立。同年8月8日、株式会社鎖グループ(くさりグループ)を設立。2014年にはスタジオとカフェが併設された「鎖オフィス」を西早稲田駅近くにオープン。
鎖グループ設立計画の協力者であり2014年3月5日に事故により死去した元PヴァインのA&R佐藤将がかつて設立したレーベルBLACK SWAN(ブラックスワン)との合同記者会見を2014年6月4日に開き、BLACK SWANはDARTHREIDERが代表を引き継ぎ鎖グループ内のレーベルにする事とMSCがBLACK SWANに所属する事、両レーベルに所属するアーティストなどが発表された。旧知の間柄であった佐藤将とは水面下で会社を合併しようという計画を立てていたとされ、その流れでスタジオや事務所を建設していたと明かした。
また、自身及びMSCが所属していたLibra Recordsへの告発や提訴の準備をしているとする発言もされ、Libra Records関係者による執拗な暴力や恫喝があった事、共催関係にあったULTIMATE MC BATTLEの運営に関する問題、印税・給与などの金銭問題などについて触れ、Libra Recordsとのビーフの開始を宣言した。これについてLibra Records代表の西原慶祐は反論はあるが公式的にリアクションすることは考えていないと述べ、ULTIMATE MC BATTLEは予定通り開催すると述べた。
所属アーティスト
9SARI GROUP
漢 a.k.a. GAMI ※代表
D.O
HI-BULLET
DOGMA
LORD 8ERZ
BLACK SWAN
DARTHREIDER ※代表
MSC
GOKU GREEN
PONY
LIBRO
FOREMAN
DJ 琥珀
DABOとのビーフ
自伝『ヒップホップ・ドリーム』でDABOとのビーフについて詳細に書かれており、DABOを敵対視するに至った理由は「リアルでない」という事が主な理由であり、その例として2002年にDABOが発表したシングル「恋はオートマ」のミュージック・ビデオではDABOが車を運転している演出があるが、別のインタビューによるとDABOは車の免許を持っていないと述べていた事を知ったという事や、同年にDABOが発表したアルバム『HITMAN』のジャケットではDABOが銃を構えているものとなっており、これについて漢は「銃を構えることがどういう意味を持つか考えてほしい」と述べ、これらのDABOの行為に対し「日本のヒップホップのリアルとは何か?」というデリケートな問題として捉えビーフに発展させる。ディスの応酬を収録した楽曲は以下の通り。
なお、2004年7月にShibuya O-EASTで開催された妄走族のMASARU主催のイベントでDABOと初めて直接対面することとなる。初めに、会場へ向かう道中でDABOが通りすがるのを車内から発見し、「いまのDABOじゃないか!」と叫ぶもDABOはそのまま過ぎ去る。続いて、MSCのメンバーと共に会場の控室で待機していると、挨拶回りをしていたDABOが控室に来る。ここで初めて顔を合わせるも、DABOはドアをそっと閉めて去る。
その後イベントではDABOのライブが行われ、漢をディスした曲「おそうしき feat. 般若」を披露する。その途中に漢がステージに乱入し、DABOにフリースタイルを仕掛けるも、DABOは自身の持ち曲で返したためバトルらしいバトルにはならなかった。その後、2005年1月に総括的なディス曲「Take Candy From A Baby」を発表。すると、般若から仲裁が入りDABOと電話で会話する事となり和解に至る。
後にDABOはTwitterで漢について、2012年7月に「初めての体験をさせてくれたかけがいのないマイメン[注 1]」、「初めてのビーフがあいつでよかった」、2013年には「リスペクト漢!いぇいいぇい♪」等とツイートしており、好意的なアピールをしている。
(以下略)
参照元 : wiki/漢_(ミュージシャン)
高校生ラップ選手権大会オープニングで登場した、ダースレイダー 漢 a.k.a. GAMI D.O(ディーオー)豪華ライブ
動画1分40秒付近から登場
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