2018年11月2日金曜日

ヤクザと漁業とのつながり 六代目山口組の司忍組長は水産高校を卒業した後、漁船に乗っていた

サカナとヤクザ 司忍組長は水産高校卒業後、漁船に乗った

2018/10/29(月) 7:00配信



豊洲などの魚市場に密漁魚が出回り、それが暴力団の資金源になっている──話題書『サカナとヤクザ』でフリーライター・鈴木智彦氏は両者の知られざる関係に迫った。今から15年前、同じく食肉とヤクザの関係性を暴いたのがジャーナリスト・溝口敦氏の『食肉の帝王』である。私たちは“食べる”という行為で反社会勢力に協力しているのかもしれない──タブーに迫る特別対談。

溝口:僕は今までヤクザと漁業とのつながりはほとんど知らなかった。流通するアワビの半数が密漁品で、そこにはヤクザが関与しているとは驚きました。しかし、ヤクザの習性を考えてみればもっともなんですね。彼らは誰でも獲っていいよというものではなく、“獲っちゃいけないものを獲る”習性なんです。なぜなら、禁制品の取引は、儲けが大きいから。

鈴木:ルールを破るからこそ価値がある。

溝口:アメリカの禁酒法と同じですよね。禁酒法時代に密流通するウイスキーの値段は高騰した。だからこそ、マフィアはウイスキーで大儲けしたわけです。

鈴木:アル・カポネの世界ですね。

溝口:ウナギにしても、絶滅危惧種と煽られれば煽られるほどヤクザとしてはシノギとしておいしくなる。禁漁というルールがあるからこそ、ヤクザの付け入る隙があるんですね。

鈴木:ウナギの場合は、もちろん減っていることは事実なんだけども、必要以上に絶滅危惧種と煽られることで稚魚であるシラスウナギの密流通の相場が上がっている。これは事実です。

あとはウナギの場合、最大のシラス輸入元である台湾からシラス輸入が現状、禁止されているため、香港を経由して密輸されている実態がある。そこには、台湾マフィアや香港マフィアも絡んでいる。実態はなかなか掴めないんですが。

溝口:逆に日本から中国には密漁ナマコが輸出されているんですよね。

鈴木:中国ではナマコは高級食材です。“黒いダイヤ”と呼ばれるくらいで、乾燥させた「いりこ」の形で、キロ15万円くらいで取引されることもある。中国人バイヤーが北海道に大挙して買い漁ったため、暴力団が目をつけて密漁天国になったんです。

溝口:ナマコを獲るために暴力団が直系密漁団を率いているわけでしょう。これほど組織的に行なわれているとは思いもよらなかった。

鈴木:私は北海道出身なんですけど、どんな田舎にもヤクザはいるじゃないですか。飲食店も満足になく、みかじめ料すらロクに集められないような場所にいるヤクザがどういったシノギをして食べているのかずっと疑問だったんですよ。都市部でデカい金を動かしている暴力団のことばかり報じられて、そういう田舎ヤクザの実態は知られていなかった。で、彼らのシノギが何かといったら、覚醒剤と博奕を除けば、密漁ぐらいしかないんですよ。

溝口:本来、ヤクザは“働かないこと”に価値がある。彼らの誇りとは、「腰に手ぬぐいぶら下げて肉体労働してない」ってことにあるわけだから。わざわざ10メートルも海に潜ってナマコを獲るなんて、昔なら考えられない。密漁がシノギになっているのは、ヤクザが困窮して、肉体労働せざるを得なくなっているという側面もあるんでしょうね。

鈴木:それはあるでしょうね。昔は根室で北方領土近海のカニを獲るヤクザが“働くヤクザ”と特別視されていたくらいですから。

溝口:これは消費者には直接関係ないけど、ヤクザと漁業のつながりでいうと、漁業権の存在も大きいですね。漁業権があるからよそ者の排除や漁獲期、稚魚の保護などのルールが生まれる。それを侵すことによって、高値取引が可能になる。

鈴木:10年前に北九州市で漁協組合長が射殺されて、指定暴力団・工藤会の犯行として総裁まで逮捕される事態になった。これも漁業権が絡む港湾開発の利権争いをめぐるものだったと言われています。

溝口:ヤクザにとって港湾開発は大きいシノギ。空港やなんか作ろうとすると、集まってくる建設業者、とりわけ生コン業者から1平方メートルあたりいくら、とピンはねすることで莫大なカネが暴力団に流れる。六代目山口組の高山清司若頭はそれで相当儲けたと聞いています。

鈴木:ちなみに、六代目山口組の司忍組長は大分水産高校を卒業した後、下関で大洋漁業の漁船に乗っていました。漁師出身のヤクザは結構多いんです。

参照元 : NEWSポストセブン


暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」のリアル 日本の食卓を支える魑魅魍魎の世界とは?

2018/10/06 11:00



裏社会のノンフィクションはこれまで何冊も読んできたが、最も面白みを感じるのは無秩序のように思える裏社会が、表社会とシンメトリーな構造を描いていることに気付かされた時だ。

しかしここ数年は暴対法による排除が進み、ヤクザの困窮ぶりを伝える内容のものばかり。相似形どころか、このまま絶滅へ向かっていくのかとばかりに思っていた。だから彼らがこんなにも身近なところで、表社会とがっちりスクラムを組んでいるとは思いもよらなかったのである。

本書『サカナとヤクザ』は、これまでに数々の裏社会ノンフィクションを描いてきた鈴木智彦氏が、サカナとヤクザの切っても切れない関係を、足掛け5年に及ぶ現場取材によって描き出した1冊だ。

表社会と裏社会の絡まり合うサカナの世界
これまでなぜか語られることのなかった食品業界最大のタブーを真正面から取り上げながら、1ミリの正義感も感じさせないのは、著者の真骨頂である。そして、もはやヤクザの世界に精通していなければ読み解けないほど、サカナの世界では表社会と裏社会が複雑に絡まりあっていた。

まず驚くのは、私達が普段手にする海産物のうち、密漁によって入手されたものの割合がいかに多いかということである。いずれも推計ではあるが、たとえばアワビは日本で取引されるうちの45%、ナマコは北海道の漁獲量の50%、ウナギに至っては絶滅危惧種に指定された今でも、その3分の2ほどが密漁・密流通であるという。ニッポンの食卓は、まさに魑魅魍魎の世界によって支えられているのだ。

著者が最初に赴くのは、アワビの名産地として知られる三陸海岸。東日本大震災の影響によって監視船や監視カメラが破壊されてしまったこの地区では、密漁団にとって好都合としか言いようのない状況が出来上がっていたのだ。

密漁団と直に接触することで見えてきたのは、実際に密漁を行う人たちは巨悪の一部分に過ぎないという事実だ。当たり前のことだが、買い手がいるから売り手がおり、売り捌くことが出来るからこそ密漁は蔓延る。

欲に目がくらんだ漁業協同組合関係者、漁獲制限を守らない漁師、チームを組んで夜の海に潜る密漁者、元締めとなる暴力団……。まさに表と裏が入り乱れた驚愕のエコシステムが、そこにはあったのだ。

一般的に、密漁アワビは闇ルートで近隣の料理屋や寿司屋にも卸されるが、それだけでは大きな商いにならないため、表の業者の販路に乗せ、近場の市場にも流されていく。むろん移転を間近に控える築地市場だって例外ではない。

密漁品と知りながら正規品のように売りさばく、この行為こそが黒から白へとロンダリングされる決定的瞬間なのだ。ならば著者が次に取る行動は、ただ1つと言えるだろう。築地市場のインサイダーとなることで仲間意識を共有しながら、決定的な証拠を掴む――すなわち築地市場への潜入取材だ。

著者が築地で働き始めてすぐに実感したのは、魚河岸がはみ出し者の受け皿になっているという昭和的な世界観であった。意外に思えるかもしれないが、市場とヤクザは歴史的に双子のような存在であったという。いつの時代にも漁業関連業者の生活圏には、近くにヤクザという人種が蠢めいていたし、かつては港町そのものが暴力団に牛耳られていたような事例も本書で紹介されている。

ほどなくして著者は、密漁アワビが堂々と陳列されている姿を目のあたりにする。きっかけは、バッタリ遭遇した知り合いのヤクザからの紹介だ。そこでは、静岡県産のアワビが、「千葉県産」に偽装されていたという。1つの不正は、次の不正を生み出す。密漁品であることは、産地偽装の問題と隣り合わせでもあったのだ。

ウナギとヤクザの共生関係
そして本書のいちばんの見どころは、絶滅危惧種に指定されたウナギを取り上げた最終章にある。著者自身、ここまで黒いとは予想外であったと困惑しながらも、知られざる国際密輸シンジケートの正体へと迫っていく。ウナギ業界の病巣は、稚魚であるシラスの漁獲量が減少して価格が高騰したため、密漁と密流通が日常化していることなのだ。

特に悪質なのが密流通の方であるわけだが、輸入国の中で突出している香港にカラクリがある。そもそも香港は土地も狭く、シラスが遡上するような大きな河川もない。要は、シラス輸出が禁じられている台湾から香港を経由し、国内へ輸入されてくるのだ。

ウナギの国際密輸シンジケートを司る要のポジションに「立て場」と呼ばれる存在があるのだが、著者はそこへも赴き、「黒い」シラスが「白く」なる瞬間を目撃する。ウナギとヤクザ――2つの絶滅危惧種の共生関係は、どちらかが絶滅するまで終わらないのだろうか。

この他にも本書では、ナマコの密漁バブルや、東西冷戦をめぐるカニの戦後史といった興味深いテーマが次々に登場する。海を起点に考えると、地図上に別のレイヤーが浮かび上がってくることはよくあるが、海産物を取り巻く日本地図もまた、どちらが主役だか分からぬほど裏社会が大きな存在感を放っていた。

多くの人にとって、サカナとは健康的なものであるはずだ。しかしその健康的なものが入手されるまでの経緯はどこまでも不健全なのである。さらに季節のものを旬の時期に食べるという自然な行為の裏側は、どこまでも人工的なのだ。

サカナとヤクザ、両者を結ぶ複雑な共生関係。はたして需要を生み出している私達の欲望や食文化に罪はないのか? そんなモヤモヤした気持ちばかりが残る。だが本書では、この著者でしか書けないテーマが、この著者でしかできない手法で見事にまとまっていた。ある意味ノンフィクションとしての完成度の高さだけが、救いであったと言えるだろう。

参照元 : 東洋経済




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