フェイスブックで居場所発覚、19年間逃亡の伊麻薬組織の大物収監
2017/3/13(月) 21:20配信
【AFP=時事】1998年に逃亡したイタリアの犯罪組織のメンバーが、フェイスブック(Facebook)上で追跡されてメキシコに住んでいることが発覚し、11日までに本国へ送還され収監されたことが分かった。
ジュリオ・ペローネ(Giulio Perrone)受刑者(65)は、イタリア南部ナポリ(Naples)の麻薬密売国際組織「カモッラ(Camorra)」の「卸し担当」として、1980~90年代のイタリアにおける麻薬取引で大きな力を持っていたという。
1993年に妻と一緒にコカイン16キロを密輸しようとしたとして逮捕され、禁固22年の刑を言い渡されたが、1998年に弁護団が上告に失敗すると行方をくらました。
だが、イタリアの警察当局は最近フェイスブックを通じて、ペローネ受刑者がメキシコ北東部タマウリパス(Tamaulipas)州のタンピコ(Tampico)で偽名を名乗って暮らしていたことを突き止めた。メキシコでは同国人女性と再婚し、複数の子どもももうけていた。
今月初めにペローネ受刑者はメキシコの自宅で拘束され、本国へと送還され、10日夜にローマ(Rome)に到着した。警察はフェイスブックでどのようにペローネ受刑者を追跡したのかについては詳細を明らかにしていない。【翻訳編集】 AFPBB News
参照元 : AFP=時事
フェイスブックで追跡されてメキシコにいることが発覚し、身柄を拘束されたイタリア人の逃亡犯ジュリオ・ペローネ受刑者(中央)。イタリア国家警察が公表(2017年3月11日公開)。
カモッラ
カモッラ(Camorra)は、広義のイタリア・マフィアに属する犯罪組織。ンドランゲタ、コーサ・ノストラ、サクラ・コローナ・ウニータ(it)と並ぶイタリア4大マフィアの一つ。現在の勢力は約130団体、約6300人が所属すると言われる。イタリアのカンパニア州、特にナポリを拠点とする。
用語
カモッラという言葉については、様々な説があるが、これと決まった定説はないとされる。ガムッラというチョッキに似た上着をさす言葉が変化したという説、喧嘩・口論を意味するスペイン語のカモッラからきたと言う説、コーランで禁じられている賭博の一種クマールが変化したという説もある。
カモッラの組員のことをカモリスタという。下級と高級があり、下級は泥棒・乞食からなり、高級は「手袋をはめたカモラ」と呼ばれ、主に恐喝・強請りが仕事だった[1]。また、カモッラは男性のみの組織だが、首領は「神聖なママ」と呼ばれ絶大な権力を持っていた。全活動は神聖なママの監視の下行われた。跡目争いは熾烈を極めたという[2]。マフィアに似た組織で入会儀式があるとも言われている。
誕生から大戦前
はっきりとした起源は分かっていないが、一般的に19世紀初頭前後にナポリの監獄の中で発生したとされる組織とされ、19世紀の初め頃には明確にその存在を示すようになった。
1800年代のナポリの獄中は無法地帯でカモリスタは他の受刑者に物を売りつけ、金を取り上げたりし、監獄の所長には金を渡していた。この頃の看守たちは秩序の維持より私腹を肥やすことの方が熱心だった。(獄中には16世紀にはいたとする説もある。その理由として16世紀末に獄中でゆすりをしている組織について言及している文章がある。) その後、1830年頃(それ以前の可能性もある)には刑務所の塀を飛び越えて、地元政府の木っ端役人を抱き込み、やがて街を支配するようになる。
さらにブルボン王家のバック・アップもあり急速に発展し、警察に協力してナポリの治安維持を図った。当時、信頼される政府がなかったため、カモッラは地下政府組織として機能していた。
1860年頃には、カモッラの影響力は、市政がこの組織に治安維持の任務を委ねるほど強大になっていた。当時のカモリスタは赤いハンカチーフに飾り帯、10本の指全てに光る指輪をはめ、派手な制服を着ており、一目で分かる存在だった。以降、イタリア統一(1861年)まで、社会の混乱に付け込み勢力を拡大していく。
1912年にカモッラの活動の調査では、賭博場、売春宿、公共輸送機関の運転手(馭者)、船頭、物乞い、売春婦、盗賊、ウェイター、ポーター、市場の商人、果物の行商人、小商人、宝くじの当選者、質屋から恐喝によって金を徴収し、全ての密輸業を支配して不正な金を儲けていたことが判明した。
イタリア新政府により何度か摘発を受け、1927年にベニート・ムッソリーニ率いるファシズム政府の時代において4000人以上が逮捕され、組織は大きな打撃を受ける。そのため活動は一時的に終息した。カモッラはコーサ・ノストラに比べ、土地所有に食い込んでいなかったので社会を支配する力は弱かった。
マフィアとの関係
第二次世界大戦中は、アメリカン・マフィアのヴィト・ジェノヴェーゼ、ラッキー・ルチアーノを通じて連合軍に協力し、闇市の支配などにより復活した。シチリア・マフィアとの関係では、20世紀初頭の頃までカモッラは未成年にも売春をさせており、カモッラ構成員は服装を派手にして自分を誇示するなど、価値観の違いなどからシチリア・マフィア(コーサ・ノストラ)からは軽蔑されていた。しかし、第二次世界大戦後はルチアーノが結んだ協力関係をカロジェロ・ヴィッツィーニが受け入れたり、お互いに協力するようになり、シチリア・マフィアとも組んで、麻薬取引に手を出すようになった。
現在
現在のカモッラは統一した組織ではなく、それぞれのファミリーがそれぞれの思惑で活動しているという。しかし報復合戦により弱体化し、もはやカモッラは末期だという人たちもいる。アメリカ合衆国ニューオーリンズにイタリア移民とともにわたり、同地の港湾労働者の中で広がった。1990年、カモッラの動きを詳しく捜査した警察官ヘネシーが、ニューオーリンズでの裁判で証言する数日前に射殺された。
また、地元の貧しい少年をリクルートして犯罪を起こしたり、闇でパンを製造・販売するなど、社会問題化している。ナポリの住民たちは、これまではカモッラを恐れて彼らの言うがままに従ってきたが、現在では監視団体を作って団結しつつある。
ゴミ回収処理業を牛耳っていることでも知られており、2008年にはナポリでのゴミ焼却施設の建設(これまで一つもなかった)に反対してゴミ回収をボイコットしたためにナポリの市街地に未回収のゴミが散乱する事態にまで発展した(詳細は英語版を参照)。
2009年4月20日、トルコ・スペイン・アルバニア・チュニジアでの大規模な麻薬密売活動に関与した疑いでカモッラの末端組織のメンバー40人を逮捕した。
2009年5月27日、カモッラの大規模グループに所属していたメンバー64人(女性10人)を逮捕した。
2009年10月・11月、「最重要指名手配犯」のサルヴァトーレとパスクァーレのルッソ兄弟が逮捕された。二人は、カモッラの中で中心的役割を果たしているとされるルッソ一家の中心人物。
2011年12月7日、2000年から国際指名手配されていた「最重要指名手配犯」の一人のミケレ・ザガリアが、16年の逃亡の末ナポリ郊外で逮捕された[7][8]。彼はカモッラの一派のボスで、本人不在のまま多数の終身刑の判決が下されていた。
参照元 : wiki/カモッラ
2017/3/13(月) 21:20配信
【AFP=時事】1998年に逃亡したイタリアの犯罪組織のメンバーが、フェイスブック(Facebook)上で追跡されてメキシコに住んでいることが発覚し、11日までに本国へ送還され収監されたことが分かった。
ジュリオ・ペローネ(Giulio Perrone)受刑者(65)は、イタリア南部ナポリ(Naples)の麻薬密売国際組織「カモッラ(Camorra)」の「卸し担当」として、1980~90年代のイタリアにおける麻薬取引で大きな力を持っていたという。
1993年に妻と一緒にコカイン16キロを密輸しようとしたとして逮捕され、禁固22年の刑を言い渡されたが、1998年に弁護団が上告に失敗すると行方をくらました。
だが、イタリアの警察当局は最近フェイスブックを通じて、ペローネ受刑者がメキシコ北東部タマウリパス(Tamaulipas)州のタンピコ(Tampico)で偽名を名乗って暮らしていたことを突き止めた。メキシコでは同国人女性と再婚し、複数の子どもももうけていた。
今月初めにペローネ受刑者はメキシコの自宅で拘束され、本国へと送還され、10日夜にローマ(Rome)に到着した。警察はフェイスブックでどのようにペローネ受刑者を追跡したのかについては詳細を明らかにしていない。【翻訳編集】 AFPBB News
参照元 : AFP=時事
フェイスブックで追跡されてメキシコにいることが発覚し、身柄を拘束されたイタリア人の逃亡犯ジュリオ・ペローネ受刑者(中央)。イタリア国家警察が公表(2017年3月11日公開)。
カモッラ
カモッラ(Camorra)は、広義のイタリア・マフィアに属する犯罪組織。ンドランゲタ、コーサ・ノストラ、サクラ・コローナ・ウニータ(it)と並ぶイタリア4大マフィアの一つ。現在の勢力は約130団体、約6300人が所属すると言われる。イタリアのカンパニア州、特にナポリを拠点とする。
用語
カモッラという言葉については、様々な説があるが、これと決まった定説はないとされる。ガムッラというチョッキに似た上着をさす言葉が変化したという説、喧嘩・口論を意味するスペイン語のカモッラからきたと言う説、コーランで禁じられている賭博の一種クマールが変化したという説もある。
カモッラの組員のことをカモリスタという。下級と高級があり、下級は泥棒・乞食からなり、高級は「手袋をはめたカモラ」と呼ばれ、主に恐喝・強請りが仕事だった[1]。また、カモッラは男性のみの組織だが、首領は「神聖なママ」と呼ばれ絶大な権力を持っていた。全活動は神聖なママの監視の下行われた。跡目争いは熾烈を極めたという[2]。マフィアに似た組織で入会儀式があるとも言われている。
誕生から大戦前
はっきりとした起源は分かっていないが、一般的に19世紀初頭前後にナポリの監獄の中で発生したとされる組織とされ、19世紀の初め頃には明確にその存在を示すようになった。
1800年代のナポリの獄中は無法地帯でカモリスタは他の受刑者に物を売りつけ、金を取り上げたりし、監獄の所長には金を渡していた。この頃の看守たちは秩序の維持より私腹を肥やすことの方が熱心だった。(獄中には16世紀にはいたとする説もある。その理由として16世紀末に獄中でゆすりをしている組織について言及している文章がある。) その後、1830年頃(それ以前の可能性もある)には刑務所の塀を飛び越えて、地元政府の木っ端役人を抱き込み、やがて街を支配するようになる。
さらにブルボン王家のバック・アップもあり急速に発展し、警察に協力してナポリの治安維持を図った。当時、信頼される政府がなかったため、カモッラは地下政府組織として機能していた。
1860年頃には、カモッラの影響力は、市政がこの組織に治安維持の任務を委ねるほど強大になっていた。当時のカモリスタは赤いハンカチーフに飾り帯、10本の指全てに光る指輪をはめ、派手な制服を着ており、一目で分かる存在だった。以降、イタリア統一(1861年)まで、社会の混乱に付け込み勢力を拡大していく。
1912年にカモッラの活動の調査では、賭博場、売春宿、公共輸送機関の運転手(馭者)、船頭、物乞い、売春婦、盗賊、ウェイター、ポーター、市場の商人、果物の行商人、小商人、宝くじの当選者、質屋から恐喝によって金を徴収し、全ての密輸業を支配して不正な金を儲けていたことが判明した。
イタリア新政府により何度か摘発を受け、1927年にベニート・ムッソリーニ率いるファシズム政府の時代において4000人以上が逮捕され、組織は大きな打撃を受ける。そのため活動は一時的に終息した。カモッラはコーサ・ノストラに比べ、土地所有に食い込んでいなかったので社会を支配する力は弱かった。
マフィアとの関係
第二次世界大戦中は、アメリカン・マフィアのヴィト・ジェノヴェーゼ、ラッキー・ルチアーノを通じて連合軍に協力し、闇市の支配などにより復活した。シチリア・マフィアとの関係では、20世紀初頭の頃までカモッラは未成年にも売春をさせており、カモッラ構成員は服装を派手にして自分を誇示するなど、価値観の違いなどからシチリア・マフィア(コーサ・ノストラ)からは軽蔑されていた。しかし、第二次世界大戦後はルチアーノが結んだ協力関係をカロジェロ・ヴィッツィーニが受け入れたり、お互いに協力するようになり、シチリア・マフィアとも組んで、麻薬取引に手を出すようになった。
現在
現在のカモッラは統一した組織ではなく、それぞれのファミリーがそれぞれの思惑で活動しているという。しかし報復合戦により弱体化し、もはやカモッラは末期だという人たちもいる。アメリカ合衆国ニューオーリンズにイタリア移民とともにわたり、同地の港湾労働者の中で広がった。1990年、カモッラの動きを詳しく捜査した警察官ヘネシーが、ニューオーリンズでの裁判で証言する数日前に射殺された。
また、地元の貧しい少年をリクルートして犯罪を起こしたり、闇でパンを製造・販売するなど、社会問題化している。ナポリの住民たちは、これまではカモッラを恐れて彼らの言うがままに従ってきたが、現在では監視団体を作って団結しつつある。
ゴミ回収処理業を牛耳っていることでも知られており、2008年にはナポリでのゴミ焼却施設の建設(これまで一つもなかった)に反対してゴミ回収をボイコットしたためにナポリの市街地に未回収のゴミが散乱する事態にまで発展した(詳細は英語版を参照)。
2009年4月20日、トルコ・スペイン・アルバニア・チュニジアでの大規模な麻薬密売活動に関与した疑いでカモッラの末端組織のメンバー40人を逮捕した。
2009年5月27日、カモッラの大規模グループに所属していたメンバー64人(女性10人)を逮捕した。
2009年10月・11月、「最重要指名手配犯」のサルヴァトーレとパスクァーレのルッソ兄弟が逮捕された。二人は、カモッラの中で中心的役割を果たしているとされるルッソ一家の中心人物。
2011年12月7日、2000年から国際指名手配されていた「最重要指名手配犯」の一人のミケレ・ザガリアが、16年の逃亡の末ナポリ郊外で逮捕された[7][8]。彼はカモッラの一派のボスで、本人不在のまま多数の終身刑の判決が下されていた。
参照元 : wiki/カモッラ
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