2015年8月30日日曜日

山口組分裂騒動の真相 クーデター計画が発覚し、未遂に終わった!?

最後のフィクサーと呼ばれ、裏社会の情報に詳しい朝堂院大覚氏が今回の山口組分裂騒動の真相を暴露!



朝堂院大覚氏
えー今日は、暴力団・山口組のお家騒動というかクーデター計画が発覚し、未遂に終わった。その結果、山権、宅見を始めとする関西の数十団体が山口組から離脱するという。えー、それに先駆けて本家・本部は絶縁処分という処分をもって、それを切り離した。絶縁処分を出したと。

これは長年、この火種は続いておって、名古屋、弘道会の支配体制に対する関西勢の不満が積もり積もって行われたことである。えー以前から、似たようなケースがあり、クーデターについては、絶対、極秘でやる、やらなければならない。ところがもう一週間ぐらい前からチラチラと、その噂が世間で出ておって、関西、関東でも出ておったというので、このクーデターグループの誰かが漏らしたわけだ、これやっぱ漏らしてる。両方、裏切り者がおったという。

以前にも中野太郎が絶縁され五代目体勢の時に実行部に対する五代目及び中野太郎が不満を持ち、関西グループが、当時は山建の桑田、古川組の古川、そして弘道会の司、岸本の執行部をひっくり返すという計画があった。

これ五代目そのものが賛同して、そういう計画が進みその中には一心会、川崎、盛力、みな入っておった。そしていよいよクーデターをやる、いつかの会合でやる前日に、ちかまつと盛力が、いわゆる本部長であった岸本のところへ、実はこういう計画をしております。協力して下さいという、いわゆる、その打ち明けた話をしに行ってしまった。

岸本がすぐに、それを古川および桑田、宅見に漏らした。あっという間に翌日の本部の会合の席で、古川がこの中にケーデターを企ててるものがおる。そいつらは全員、組に至るまで絶縁だと、こういうことで全部、クーデターどころか、シーンとなって、その後、盛力をはじめとする4団体が処分を受けた。

えーそういうふうにですね、この時の盛力がばらしちゃった。それがなければ成功してたと、わしは思う。当時は。今回のクーデターも誰かが漏らしてる。ヤクザ極道は企てに対して、外部にその情報を漏らすようでは任侠団体の本物とは言えないじゃないか。やはり、いまの極道は性根が入ってない。信念がないと言わざる得ない。

いやなにも、そのクーデターが失敗したから、私は残念だと思って言ってるのではない。以前もそういうことを私は目のあたりにして、なんと甘いんだなと、こいつらはと思った事がある。今回もまただ。それ以前にも後藤組が処分されたことも、やはり同じようなケースであって、不満分子がおるということで、その情報が事前に漏れて、最悪、後藤は処分を受けて、その何団体かも処分を受けた。

それに、やはり誰かが情報を流しちゃうわけです。まあ今回のクーデターの情報は、もう毎日のように飛び交ってたわけですから、こんなことで出来るわけがないだろうと誰もが思ってたわけです。こんな情報が洩れまくって、噂が広まりまくってるのに、クーデターなんかは、世の中では考えられない。漏れた段階で失敗に終わってるということ。

えー、まあそういうことで、ごたごたしておるけども、それを機会に警察が双方に対してまた、企てた方にまた本家に対して厳しく取り締まり、必要以上に、それを弾圧するという捜査があってはならないと、ヤクザ同士の揉め事ですから。あまりそれに過剰反応を捜査当局は示すべきではない。

これ以上、暴力団規制法によってヤクザを追いつめれば、喜ぶのは外国人だ。外国人犯罪グループです。だから、いまや外国犯罪天国になってる。全世界の犯罪者が、全世界のマフィアが、今は日本が稼ぎ場だ。ヤクザがおらなくなってる。ヤクザが消えていく。これは日本の国民も、決して望んでる事ではない。

長い歴史の間に、ヤクザがどれだけ国民のために外国人勢力と戦い、外国人犯罪者に対する、いわゆる行動を抑止するという抑止力になっていたか。この抑止力がいまや著しく後退してる。それによって外国人犯罪天国。外国人は日本が稼ぎ場だと、物凄い事件件数が、いま増えてる。

それを警察当局は、いかにして犯罪を抑えるかということの中で、ヤクザの存在価値を高めるために今の法律も変えて、本当の国民のためになるヤクザを育成するという逆の国民の為の法律に作り変えて貰いたい。

以上




山口組元直系組長の太田守正・元太田興業組長が独白!山口組六代目継承クーデターの真実

2015.08.17 月



ここ最近、ヤクザ業界をはじめ、アウトロー社会全体が騒がしくなっている。

その要因のひとつが7月28日に出版された『血別 山口組百年の孤独』(小社刊)にあるという。著者は2008年10月に除籍処分を受け、山口組を去った元直系組長の太田守正・元太田興業組長。その名を世界に轟かせる強豪揃いの山口組の中でも、屈指の超武闘派軍団の太田興業を率いる、有力親分のひとりであった。

「太田組長は山口組の渡辺芳則五代目組長(故人)が、初代山健組内で興した健竜会に入門して以来、渡辺五代目から厚い信頼を受けたようだ。その後、山健組では舎弟頭や相談役といった要職を歴任し、同組の首都圏における勢力拡大に著しい貢献を果たしたこともあって、関東のヤクザ社会では良くも悪くも名を馳せていた。ずいぶんと痛い目に遭った関東ヤクザは多い」(大手在京組織の三次団体幹部)

そうした太田元組長が著した書籍であれば、業界で大きな反響を呼ぶのは当然、発売からわずか数日で初版は完売となり、急きょ増刷態勢が敷かれている。



今回は、著者である太田元組長にインタビューし、『血別』を執筆した動機などについて熱く語ってもらった。

――まずは、このたび『血別』を書こうと思われた動機は何ですか?

太田守正氏(以下、太田) それは、盛力(09年に山口組から除籍された元直系組長の盛力健児・元盛力会会長)が、2年前に出した『鎮魂 さらば、愛しの山口組』【1】(宝島社)の内容が、まるで事実と違っていたからですよ。ワシらみたいに長いことヤクザやってきた人間、特に山口組にいた者なら、何行か読んだだけで「ああ、これはウソやな」ってわかります。しかし、ヤクザの世界を知らん人も読むんで、ウソが真実として世間でまかり通りつつありました。それを止めたかったんです。

――『鎮魂』を書かれた盛力元会長とはどのようなご関係ですか?

太田 盛力のほうが歳は4つ下やが、山健組では先輩やったので当初は(顔を)立てていました。事実、当時はまともやったし、渡辺五代目、杉秀夫さん(初代健心会会長=05年引退)と並んで「山健組の三羽ガラス」と呼ばれてました。

ところが、抗争で長い懲役に行ってから人が変わってしまったんです。おかしな人間とばかり付き合うようになり、中でも「ミナミの帝王」のモデルだと言い触らす和田アキ子の叔父【2】という男は最悪でした。インチキばかり言うサギ師で、ワシも手形を勝手に回されたり、若い衆をこき使われたことがあるから、盛力にも何度も付き合うのをやめるように忠告したんですが、ずっと付き合うてましたな。もしかしたら、かなりの額を騙されてるかもしれません。

――太田元組長が除籍処分を受け、他に10人の直系組長も処分されることになった08年に開かれた会合は、『鎮魂』では謀議とされていますね。

太田 謀議という認識はなく、単なる直系組長だけの話し合いと思って出席しました。ある日、信頼していた井奥文夫・元井奥会会長(絶縁)から、「これから若い衆を連れず直系組長だけで会いたい。仲のいい直系組長がいれば連れて来て欲しい」と電話で誘われました。そこで、川﨑昌彦・元二代目一心会会長(除籍)と、浅井昌弘・元浅井組組長(謹慎)の2人に連絡して一緒に神戸のある場所へ向かったんです。その部屋には、なぜか奈須幸則・元三代目大門会会長(絶縁)ら、十数名の直系組長がおりましたよ。

盛力本では、その席で謀反の企てが行われて、ワシらが「司忍六代目と髙山清司若頭を殺す」と言ったと書いてありましたが、そんなことは言っていません。盛力はおらんかったくせに、よう書けるもんですわ。

ただ、その場ののりで物騒な話をしたのは事実です。あとは、その集まりが秘密のはずやったのに上層部に筒抜けで、出席したほとんどの直系組長が処分を受ける事態となったことにも驚かされました。集まっただけで謀議と受け取られたのかもしれません。出席しなかった盛力も、信用できないと見なされたのか除籍されました。出席したのに処分を受けなかった現役の直系組長が1人おりますが、そいつが上層部にしゃべったんでしょう。処分されるのが腹立たしくて、一度はケンカしようかとも考えましたが、自分は当時、70歳目前で、今後、若い衆の面倒を見切れるかどうかわからんこともあって処分を受け入れたんです。

――『鎮魂』には、五代目山口組の宅見勝若頭の暗殺を、渡辺五代目が事前に了承しており、司六代目(当時若頭)が、その事実を提示して渡辺五代目に引退を迫ったとされる記述があります。いわゆるクーデターはあったのでしょうか?

太田 これも、まったくの盛力の作り話です。盛力本によれば、神戸の山口組総本部の奥にある部屋で、司六代目から詰められた渡辺五代目ががっくりとうなだれたそうです。そのとき、盛力は中国の青島にいたんですよ。ここでも、現場にいないのにまるで見てきたように書くんですから呆れましたわ。だいたい、渡辺五代目のことを「渡辺、渡辺」と呼び捨てにできる神経を疑います。亡くなったら、元の親分を慕う気持ちは消えてしまうんでしょうか。ワシにはまったく理解できません。

――最後に、『血別』を書き上げての感想をお願いします。

太田 とにかく自分が体験した真実のみ書くことを心がけました。例えば「ある親分」ではなく実名を書いて注釈も付けています。伝聞や推論も避けました。そして、渡辺五代目は先見の明があって統率力もある立派な親分でした。ケンカの収め方のほかにも、さまざまなヤクザとしての所作を学ばせていただきました。そして、ワシの道連れで処分されてしまった、いまは亡き川﨑と浅井の2人が、義俠心にあふれた本物の男であったことは間違いありません。

亡くなった方に鞭打つようなマネだけは絶対に許されません。死者は反論できないんですから。今回、『血別』を書いた動機として、真実を広めたいとともに、渡辺五代目をはじめ亡くなった親分らの名誉を回復させたいとの思いも強くありました。盛力には『鎮魂』に書いた渡辺五代目ほか、いまは亡き親分衆について、しっかりと詫びてもらいたい。

これまで、『憚りながら』(山口組元舎弟の後藤忠政・元後藤組組長著/宝島社)、『鎮魂』という山口組の元直系組長による書籍は、いずれも大ヒットを記録した。そして、このたびの『血別』も予想通りの売れ行きを見せている。ただ、『血別』のあとがきには、「書いた以上は逃げも隠れもいたしません。(中略)説明しに来いと言われれば、どこにでも出向く所存です」とあるように、行間から漂う本気度や真実味は、とてつもなく大きい。

暴力団排除の流れがますます厳しくなる昨今、アプローチは違えど、日本の裏面史を浮き彫りにした『血別』の凄みをぜひ体感してほしい。

(文=柳沢壱郎)

【1】『鎮魂 さらば、愛しの山口組』
2013年8月30日発売。「宅見若頭射殺事件」に渡辺五代目の介入があったと断言したほか、司忍六代目が興した弘道会が、中部国際空港の利権で最大派閥にのし上がったなど、現体制批判とも取れる内容となっている。大きな話題となったが山口組は沈黙を保ったまま無反応であったという。

【2】和田アキ子の叔父
〈4年間付き合ったけど、ただの1度も美味しい目に遭わせてもらえんどころか、うちの若い衆をタダで使いよるんですわ。(中略)東京へも四国に行くにも、小遣い渡さんと旅費も宿泊費もわしら持ちですわ〉『血別』第4部「斃れざる者たち」P243より

参照元 : 日刊サイゾー



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