2015年9月22日火曜日

アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人「Mr.KEI」の壮絶な人生

【アメリカ極悪刑務所を生き抜いた日本人】Mr.KEIまとめ【チカーノカルチャー】

FBIのおとり捜査で捕まる。米刑務所にて徒党を組まず暴れまくるも、刑務所内で知り合ったチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との交流によって人生における大切なものを学ぶ。

チカーノ系ブランドショップを経営。ファッション、タトゥー、書籍、コンピレーションCD、DVD、映画など幅広いプロデュースを行う。

Mr.KEI





アメリカの留置所・刑務所に10年以上投獄され、生き抜いた日本人

しかし、絶望の極致でチカーノと呼ばれる人種に出会い、壮絶ながらポジティブに生き抜くことができた。KEI チカーノになった日本人(東京キララ社)発売により、チカーノ・ブームを巻き起こし、中心人物となる。



FBIの囮捜査にはめられ、カリフォルニアの刑務所に10年以上服役した男の壮絶なるハードコア・ライフ。抗争や殺人事件が日常茶飯事のアメリカの刑務所。そこには人種ごとに様々なグループがある。

唯ひとりの日本人として孤独な闘いを続けたKEIだが、ある日、その暴力性、結束力で最も恐れられているチカーノ(メキシコ系アメリカ人ギャング)の伝説的なボスと運命的な出会いを果たし、彼らと家族同然の付き合いが始まる。

チカーノは貧しいが、金では動かない。家族を大切にし、仲間のためには自己をも犠牲にするヤツらだった。新たな写真とエピソードを追加した改訂版。

以下略

参照元 : NAVERまとめ


MR.KEI

幼少期
1961年、中野区に生まれる。父親は生まれてすぐ蒸発、母親は育児放棄。小学生時代、親元を離れ、親戚中をたらい回し。ソープランドのタコ部屋で一年近く生活。祖父母の家を転々とし、育つ。

中学時代、サッカーに熱中し、全国大会2位に。

しかし!教師をナイフで刺し、14歳で地元の暴走族「マッドスペシャル」に入隊。地元では知らない人がいないほどの悪童に。

ヤクザ時代
15歳、中学を卒業とともにヤクザデビュー。しかし、ピストルで兄貴分の金玉を撃ち抜き破門に。命が狙われる生活が続く。

商売は絶好調!
ポケベルの皮ケース通販。月に3000万以上販売。NTTから回線がパンクするから回線を増やしてくれとお願いされるほど。

シンナー、トルエン販売。一日70万円以上。オロナミンcの瓶に入れて販売していたが、売れすぎて蓋がプルトップ方式に変更!?

本格的に麻薬取引開始!
当時、日本になかったコカインが大当たり。コカイン欲しさに組を潰してしまう組長がいるほどバカ売れ!

さらに海外でも麻薬取引
サイパンでは覚醒剤がバカ売れ!一回の取引で数千万円のあがり。

そして27歳の時、韓国クラブのママと結婚
この結婚でママのお店に通っていた別の客とモメて命を狙われる。最終的に指を詰める嵌めに。

29歳の時、麻薬の取引で訪れたハワイでFBIおとり捜査で捕まり懲役9年の実刑判決。ロサンゼルスの刑務所に収監される。捕まった当時、3億円あった資産は全てアメリカ合衆国が没収。資産の10%がFBIが雇ったスパイの報酬に。

刑務所時代
アメリカの刑務所は凶悪度に応じて収容される刑務所が違い、5段階に分別されている。初めて入ったロスの刑務所は凶悪度が上から2番目のレベル4.しかし、すぐに問題を起こし、レベル5の刑務所に移送される。レベル5の刑務所では懲役888年の終身刑者が多い。これ以上、刑期が伸びようがないので、囚人たちはちょっとしたことで、すぐに暴れる。

日本と違い、働いたら毎月給料が貰える。毎月IDカードに入金されて、それで買い物ができる。



チカ―ノの刑務所内でのルール
・ビックホーミー(ボス)の言う事は絶対
・よそ者の前で歯を見せてはいけない
・オカマに手を出してはいけない
・痛い時に叫び声を挙げてはいけない
・筋トレを欠かしてはいけない



死ぬかと思ったベスト3
・第3位 → ベンチプレスをしている時、いきなりナイフで刺された
・第2位 → ビックホーミーの席を取って80人に囲まれた
・第1位 → 拘置所で日本に電話していた時、黒人30人から袋叩きにされ全身骨折



2001年、10年の刑期を終え、日本に帰国。

2003年、平塚にチカ―ノファッション専門店「HOMIE」をオープン。グッドファミリー設立。


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