2017年7月17日月曜日

任侠団体山口組・織田絆誠代表「子供ながらに、ヤクザの世界は人種差別がないと信じて、この世界に飛び込みました」

ヤクザの世界は人種差別がないと信じて、この世界に入った

2017/7/15(土) 16:00配信



六代目山口組から分裂した神戸山口組からさらに分裂。「任侠団体山口組」というユニークな名前を掲げ、“3つの山口組抗争”を引き起こした男には、「在日」というルーツがあった。ヤクザ取材の第一人者であるノンフィクション作家の溝口敦氏が、彼に「ヤクザと在日」の新時代を見る。

4月30日に神戸山口組から分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50歳、以下敬称略)は依然、暴力団業界の「台風の目」だ。神戸山口組では若頭代行をつとめ、山健組では副組長に上った実力者である。

山健組から3分の1の勢力を引き連れ、神戸山口組の直参とも語らって今回、新団体を立ち上げた。直系組が55団体。大勢力である。

主張するところは、六代目山口組の司忍組長、高山清司若頭、神戸山口組の井上邦雄組長、正木年男本部長の4人は引退せよ、トップは中堅、若手が毎月組に納める会費(上納金)で飯を食うな──など、業界革新の気に溢れて過激である。織田が説明する。

「ヤクザにとって大事な盃事を否定するのが本意ではないんです。ただ山口組では五代目・渡辺芳則組長以降、この30年間、盃が諸悪の根源になって来た。

盃を下ろした側(組長)は子分に対して、白い物を黒いといっても許されると考える。盃を下ろされた側(直参、直系組長)は親分からどんな理不尽なことを言われても、飲み込む、耐え抜いてこそ子分だといった変な美学がまかり通っている。

盃を下ろすまでは、組長になる人はそれぞれいい人なんです。が、下ろしたとたん、子分からお金の吸い上げ自由、自分の勝手と考える。こういった盃なら要らないということです。

しかるべき人物が現れ、トップになっても変わらないと確信できた段階で、組長の座にお迎えしたいと考えてます」

事実、「任侠団体山口組」では組長を置かず、親子盃、兄弟盃もしない。月会費はオール10万円以下。カネがかかるから他団体と交際せず、本部事務所も置かない。

織田のモットーは「ヤクザはヤクザらしく」。ヤクザなんだから服装は自由、黒服を強制しない。組員は安い会費で生活に余裕を持ち、せいぜいおしゃれを楽しみ、社会貢献せよ、というのだ。

織田が口舌の徒でないことはこれまでの経歴が語っている。喧嘩、抗争はめっぽう強い。論理的で,業界きっての雄弁家。聞く者をして奮い立たせるアジテーターであることは、六代目山口組と対立するさなか、全国遊説して神戸山口組の結束を強めたことで証明済みといっていい。

彼はヤクザ、暴力団が社会から排除されず、認められるためには社会的な有用性を示さなければならないと考えている。具体的には不良外国人グループや半グレ集団の排除、善導であり、海外在留邦人の警護などである。

暴力団は国民が「反社会的組織」でないと認めたとき、山口組三代目・田岡一雄の時代のように、営む「正業」が認められると考える。だが、織田は在日韓国人3世(本名は金禎紀)であり、ネットなどには「なぜ在日が日本の治安向上に努力などと言い出すのか」といった声もアップされている。

暴力団業界に在日が多いのは事実である。現在、暴対法に基づく「指定暴力団」は22団体を数えるが、そのうち代表者が在日である組織は5団体に及ぶ。約23%。総人口に占める在日韓国・朝鮮人の割合は2%以下とされるから、10倍以上の密度である。

もともとヤクザ組織は一般企業や役所に就職できず、「ヤクザにしかなれない」人の生計の途といった側面があり、伝統的に在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者を排除しない。過去にも柳川組・柳川次郎こと梁元錫や、東声会・町井久之こと鄭建永など、一世を風靡した在日ヤクザは多い。織田自身もこう言う。

「子供ながらに、ヤクザの世界は人種差別がないと信じて、この世界に飛び込みました」

※週刊ポスト2017年7月21・28日号

参照元 : NEWSポストセブン


在日3世の任侠団体山口組代表 従軍慰安婦や在日への見解

2017/7/17(月) 16:00配信

六代目山口組から分裂した神戸山口組からさらに分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50歳、以下敬称略)は在日韓国人3世(本名は金禎紀)だ。暴力団業界に在日が多いのは事実で、過去にも柳川組・柳川次郎こと梁元錫や、東声会・町井久之こと鄭建永など、一世を風靡した在日ヤクザは多い。ノンフィクション作家の溝口敦氏が、在日とヤクザの関係を探った。

織田は18歳のとき、父親の服役で「酒梅組」系張本組に預けられる。2年後、張本組の若頭補佐や若頭にまで抜擢されるが、「山口組と喧嘩するな」が不文律の酒梅組に嫌気が差し、指を詰めて脱退、一本どっこになった。

1988年、四代目山口組の直系組長だった倉本組・倉本広文から盃をもらい、倉本組の若衆になったが、倉本広文は幼時から織田の憧れの対象だった。

倉本はもともと“殺しの軍団”柳川組の出で、1958年柳川組が、管理売春をシノギにする酒梅組系鬼頭組と抗争した際、組事務所に殴り込んだ8人のうちの1人だった。織田は語る。

「倉本初代はよくも悪くも極道中の極道ですね。鬼頭組への殴り込みは100対わずか8。数次の抗争で柳川組は鬼頭組に死者1、重軽傷者15の被害を与えた。殴り込みのとき倉本初代はまだ16歳で、柳川組では珍しく在日ではなく、日本人だったけど、柳川初代が可愛がり、『わしの実子分(実の子供)や』と言っていたそうです。それと、若いころ一度JR天満駅そばのホテルで寝込みを襲われている。1人が日本刀で斬りつけるのを左手で受け止め、左手の神経を断ち切られた。手はくっついたけど、親指が動くだけで、後4本は動かない。

柳川組は1969年に解散したけど、倉本初代は意地を張ってどこにも属さず、一匹狼でやっていた。そういうとき看板のある者7~8人が束になって襲ってきた。

周りは言いました。『倉本がやられた、ケンカの倉本負け知らずがついに終わった』と。

実際に無茶苦茶強かったらしい。そう言われたどん底から倉本初代は這い上がった。とんとん拍子の人より、いろいろあった人に自分、心惹かれるんです。エリートよりも地獄を見た人、そこから自分の努力で、覚悟で、這い上がった人。そこにやっぱり、惹かれましたね。プラス柳川、かもしれません。柳川次郎という人は自分にとって特別な存在だったんです」

在日ヤクザの柳川次郎が初代を率いた柳川組は山口組の直系組の1つで、2次団体でありながら、警察庁により全国広域5大暴力団の1つに指定され、昭和40年代、集中的な取り締まりを受けて解散した。

倉本はその後、宅見組に拾われ、副組長に抜擢され、五代目山口組では若頭補佐の1人になった。

織田は倉本の下で「織田興業」を結成し、倉本組の幹部へと昇進していった。が、1990年、山口組と波谷組が抗争した「山波抗争」が起きると、組員2人をして波谷組系平澤組幹部を銃撃させ、事件の首謀者として逮捕、懲役12年の刑で徳島刑務所に服役、そこで山健組の井上邦雄組長と知り合うわけだ。

織田は在日3世として典型的なヤクザの道をたどる。彼はギクシャクしている日韓関係をどう考えているのか。

「自分も壁に突き当たったとき、自分は一体何者だと思いました。刑務所にいるとき、本を差し入れしてもらい、勉強したんです。と同時に、自分の記憶をたどって、じいさん、ばあさん、両親のこと、時系列で合わせて考えていく。と、なるほどなと見えてきたものがあります。

戦前の強制連行、密入国、慰安婦。ヘイトスピーチが今、拡散させてますが、あそこには嘘、ねつ造もあるし、過大にこう大きくして見せたりしてますけども、自分なりになんぼか調べました。

実際のところ、朝鮮人の強制連行はパーセンテージでいうと、微々たるもの。肉体労働者の数が足りなくて、多少あったと思います。従軍慰安婦については、同じようなことが世界中であった、そういう時代やった、そうしないとご飯を食べられなかった人もいたと思います。

その中でいわゆる女郎屋の女衒も関係していたでしょう。それは日本国内でもあった話で、女を無理やりとか騙してとか、悪い人間もおったでしょうけど、全体でいうと、需要と供給の中で、各国で同じようなことがあったと思います。残念だけど仕方なかったことじゃないかと、思いますね。まあ戦争が生んだ悲劇の一環じゃないかと。

だから、そこで在日側からする恨みつらみはよくない、と。あんまり敏感に反応することじゃなく、もっとこう世界全体を見てほしい。在日の若い子らに言いたいのは、ありのままに受け止めてほしいということです」

◆新世代の在日ヤクザ

本国の韓国人とは異なり、「恨(ハン)」の文化からは離れている気配だ。織田は「韓国は生みの親、日本は育ての親」という。

「どちらも大事だが、どちらかいうと、育ての親に決まってます。私らは韓国語もしゃべれない。日本に育ててもらったことに感謝し、育ての親に親孝行する。これのどこが悪いのか、と。

自分も50の歳になってようやく一つの答えが出ました。これを発信して今、頭を壁にぶつけている若い世代に伝えたい。恨み、つらみはよくない、と。1世、2世は確かにいわれない差別を受けた。

が、日本という国にお世話になり続けたのも事実です。恨み、つらみを逆転して感謝に変えたとき、清々しい気持ちになれる。在日が日本人とともに日本国民のために、命がけでがんばろうというのは男として、1人の人間として、全然恥ずかしいことじゃない」

任侠団体山口組のメンバーは9割以上が日本人、同組に所属替えした旧山健組メンバーも9割以上が日本人である。ヤクザや前科、前歴がある者は本人が望んでも日本に帰化できない。が、在日3世になると、同化が進み、意識や考えがほとんど日本人と区別できない。ヤクザの世界も同様のようだ。

若い世代では今まで差別を経験したことがないという在日韓国人もいる。全部が全部、差別がなくなったとは思いようがないが、山口組では現在の六代目まで組長は日本人。執行部に在日が名を出す程度だ。任侠団体山口組が徐々に主流を形成し、初めて在日の組長誕生となる可能性もある。

※週刊ポスト2017年7月21・28日号

参照元 : NEWSポストセブン






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