2016年8月31日水曜日

山口組が分裂して神戸山口組が結成されてから1年を迎え、神戸市中央区の関連施設で幹部らによる会合

<山口組分裂1年>神戸山口組が会合 幹部ら次々と集まる

2016年8月27日 11時42分



国内最大の指定暴力団・山口組が分裂して神戸山口組が結成されてから、27日で1年を迎え、神戸山口組が神戸市中央区の関連施設で幹部らによる会合を開いた。今後の方針などを話し合ったとみられる。

午前10時半ごろから、神戸山口組の中核組織で、井上邦雄組長が組長を兼務する山健組の近くの関連施設に、幹部らが次々と集まった。周辺では兵庫県警の捜査員が警戒にあたった。

神戸山口組は昨年8月27日、山口組から離脱した直系組長13人で結成。山口組から組員を引き抜くなどして拡大し、全国で小競り合いが頻発した。警察庁は今年3月、両組織が抗争状態にあると認定。兵庫県公安委員会は4月、暴力団対策法に基づいて神戸山口組を指定した。

警察庁によると、この1年間に分裂が背景にあるとみられる事件は、大阪12件、兵庫6件など全国で86件あった。うち4件は、拳銃や刃物を使った殺人事件だった。

警察当局は、より規制が厳しい「特定抗争指定」の適用に向けて情報収集を続けている。兵庫県警は今月、山口組の総本部(神戸市灘区)の前に監視拠点を設置しており、神戸山口組の本部(同県淡路市)近くにも設ける方針。

暴力団情勢に詳しいジャーナリストの溝口敦さんは「両組織は、暴力団対策法や暴力団排除条例によって動きが取れなくなっている。抗争はくすぶった状態で長引くだろう」と話している。

参照元 : 毎日新聞


2016年8月30日火曜日

北朝鮮のヤクザや半グレ事情

北朝鮮で「半グレ抗争」勃発…レンガやショベルで無慈悲に滅多打ち

2016年8月25日 6時30分配信

 

意外と知られていないことだが、北朝鮮にも裏社会は存在する。90年代までは、「チュモクセゲ」と呼ばれる反社会的勢力が存在した。直訳すると「拳の世界」。実に単純明快なネーミングだ。

彼らは徒党を組んでシノギや抗争で組織を拡大し、時には当局と裏で手を組みながら裏社会に君臨していた。しかし、90年代中盤から北朝鮮を襲った「苦難の行軍」と呼ばれる大飢饉を通じて、社会全体が混乱し、さらに当時の金正日体制が徹底的にヤクザを弾圧したことから、ほぼ壊滅状態となる。

(参考記事:【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男

しかし、それまでのヤクザは消滅したものの、大飢饉を通じて新たな「半グレ集団」が生まれることになる。

21世紀の少年パルチザン
苦難の行軍は、コチェビと呼ばれるストリートチルドレンたちを生み出した。彼らは当初、市場などで物乞いをしながら、その日暮らしをしていたが、徐々に集団化し窃盗などに手を染めるようになる。

近年では、盗品を売りさばく裏ネットワークも構築。窃盗手段も走行車両に飛び乗って部品を盗むなど、ますます大胆になっており「21世紀の少年パルチザン」と呼ばれるほどだ。

(参考記事:ストリートチルドレンから半グレへ…北朝鮮コチェビの今

地獄絵図の生存者が
コチェビたちが、半グレ化するなか、より凶悪な半グレ集団となっているのが「松葉杖組」と言われる集団だ。元々は、勤務中の怪我で障がいを追った栄誉軍人(傷痍軍人)たちだ。

(関連記事:北朝鮮の半グレ集団「松葉杖組」とは?)

1989年4月には、平壌開城高速道路の建設現場で橋が崩落し、500人以上が死亡。現場の川原には無残な死体が散乱し、見るに耐えない光景が広がったという。この時に生き残ったが障がいの残った約200人の栄誉軍人には、配給などで様々な優遇措置が施された。ところが、「苦難の行軍」によって、福祉制度も配給制度も崩壊したため、彼らの一部は半グレ化していく。

(参考記事:【再現ルポ】北朝鮮の橋崩落事故、500人死亡の阿鼻叫喚…人民を死に追いやる「鶴の一声」

松葉杖組の抗争は激化し、8月はじめには、死者まで出る事態になっていると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)は伝える。

レンガで滅多打ち
咸鏡北道(ハムギョンブクト)在住のRFAの情報筋によると、抗争の舞台となったのは道内の端川(タンチョン)市。

端川駅周辺の地域が縄張りの「海運洞(ヘウンドン)組」と、汝海津(ヨヘジン)駅周辺の地域が縄張りの「検徳(コムドク)組」の間で利権をめぐるいざこざが起きた。

海運洞組は、縄張りにある港で水揚げされる海産物の卸売を取り仕切っていた。そこへ8月4日、検徳組が乗り込んできて、力づくで利権を奪おうとしたが、海運洞組の返り討ちにされた。そして、検徳組は報復に出る。

検徳組は、人手を多く集めた上で、2日後の明け方、海運洞組が根城としている港口洞(ハングドン)の旅館を奇襲した。寝込みを襲われた海運洞組の組員たちは、逃げる隙もなく、レンガ、棍棒、シャベルで無慈悲に滅多打ちにされ、その結果、組員2人が死亡、10数人が重傷を負った。

抗争が悪化した1つの要因は、保安署(警察署)の対応が後手に回ったことにある。最初の時点で、介入していたものの、首謀者を逮捕するなどの対策を取らなかったため、大事件へと発展してしまった。その教訓からか、全国で傷痍軍人の犯罪行為に対する取り締まりは厳しくなり、清津(チョンジン)市浦港(ポハン)区域で、傷痍軍人の犯罪組織の組員7人が逮捕された。

一方、息子を軍隊に送った親からは次のような不満の声も出ている。

「お国のために軍隊に行って障がいを負った。しかし、国家が何の補償もしないなら、犯罪に手を染めるしかないだろう」

「人民第一主義」を掲げながらも、まったく内実が伴っていない金正恩体制下で、起こるべくして起こった事件といえる。

参照元 : 高英起 | デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト


北朝鮮の半グレ集団「松葉杖組」とは?

2015年08月01日

北朝鮮で「栄誉軍人」と呼ばれる傷痍軍人。発電所、道路、アパート建設に動員されて、事故で障害を持った軍人のことだ。この傷痍軍人が「半グレ化」していると米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。

咸鏡北道(ハムギョンブクト)の内部情報筋によると、傷痍軍人たちは清津(チョンジン)市内の各市場を闊歩しながら、様々な嫌がらせや暴力を繰り返しながら住民たちに嫌がらせを繰り返している。こうした傷痍軍人たちは、5人から7人で1組で「松葉杖組」と呼ばれる。

「松葉杖組」は、朝早くから市場の入口に立ち、通りがかった人にガムやキャンディを10倍の値段で売りつける。その後は、市場の隅々を周り、同じようにガムやキャンディを押し売りして回る。買おうとしない人を松葉杖で殴りつけたり、店の商品をひっくり返したりするなど、その傍若無人ぶりで住民たちから恐れられている。

本来なら社会的地位が高く、様々な優遇策の恩恵を受けるはずの傷痍軍人たちが、なぜそんなことをするのだろうか。

咸鏡北道の別の内部情報筋によると、金日成時代には軍勤務中に事故で怪我をした傷痍軍人たちに対して、様々な優遇策が与えられていたが、金正日時代に入ってから、冷や飯を食わされるようになってしまった。

国家の財政が悪化するなか、大規模建設の増加で傷痍軍人の数が急増。さらに、90年代の大飢饉「苦難の行軍」によって国が彼らの面倒を見る余裕がなくなった。その結果、彼らは社会的に疎外される存在に落ちぶれてしまったのだ。

とはいえ、傷痍軍人たちの社会的地位の高さだけは残っているため、厄介な存在になっている。

問題を起こした傷痍軍人を保安員(警察官)が諌めようとしても「捕まえるもんなら捕まえてみろ!」と悪態をつき、保安員を困らせる。市場管理員も彼らの姿を見るとどこかに逃げてしまい、結局は商人がいくばくかのお金を掴ませてなだめているという「やりたい放題」だ。

こうした状況に対処するため、金正恩氏は去年の8月10日に「栄誉軍人の間で発生している社会的犯罪を厳格に取り締まることについて」という指示を下したが、「あまり効果はない」とRFAの情報筋は語る。さらに「松葉杖組」を生み出した責任は「国家にもある」と指摘しながら一定の同情を示した。



平壌の地下鉄にある傷痍軍人用の優先席

「国があの人たちをほったらかしにしているからこういうことになる。彼らを責め立てるのではなく、社会の関心と彼らを支えるシステムが必要だ」

参照元 : dailynk


【実録 北朝鮮ヤクザの世界(上)】28歳で頂点に立った伝説の男

2016年05月16日

「北朝鮮にも腕っぷしが強くて徒党を組む愚連隊のような連中をはじめ、裏社会の人間はいる。実際、俺自身が裏社会の人を通じて北朝鮮を脱出できたわけだからね。ただ、日本のヤクザみたいに巨大で組織的じゃないね」

そう語るのは60代半ばの脱北者、崔勇男(チェ・ヨンナム)さん。1970年代に大阪から北朝鮮へ帰国した崔さんは、かの国の現実に絶望し、2008年に脱出。命がけの逃避行の末に、生まれ故郷の日本に生還した。

「北朝鮮のヤクザ」と言われても、にわかにイメージしづらい。なぜなら、北朝鮮には「人民保安部(警察)」「国家安全保衛部(秘密警察)」、そして「朝鮮人民軍」という3つの強大な治安機関があり、「ヤクザ」や「不満分子」など反社会的勢力に対する徹底的な監視体制を敷いているからだ。

軍隊も一目置く

そもそも北朝鮮という国家自体が、麻薬や偽札などなど、ヤクザ顔負けの違法行為に手を染めている。さらには複数の国家機関が、違法な「シノギ」をめぐって仁義なき戦いを繰り広げている。こんな国では到底ヤクザなんて存在できるはずがないと思われるが、やはり北朝鮮にもヤクザは存在した。そのなかには、「愚連隊」に過ぎなかった不良グループが拡大し、組織化された武闘集団になった例もある。

1991年、北朝鮮のある都市でソク・ギョンチョル(仮名)という28歳の青年が軍人に射殺される事件が起きた。彼こそ、地元住民が恐れ警察や軍隊でさえ一目置いたという「ソク・グループ」を率いるヤクザの親玉だった。弱冠28歳でヤクザの親玉まで上り詰めたソクとは何者か――。

ソクは高校時代から喧嘩自慢で素行が悪く、近隣の若者達から恐れられる存在だった。盗みを働いて警察に逮捕されることも数知れず。その度に、地元の有力者だった父親のおかげで罪を逃れていた。

恐怖政治で国民を押さえつける北朝鮮当局や、秩序を重んじる大人からは忌み嫌われたソク。しかし、若い不良連中からは「強い漢(おとこ)」として尊敬を集め、ソクの周りには喧嘩自慢の若者達が徐々に集まりはじめる。

「普段の生活は、国が決めた思想学習会や組織活動でがんじがらめ。大した娯楽もなく、日頃の楽しみと言えば酒やコソッと内輪でやるバクチぐらい。そんな社会でエネルギーをもてあます若いヤツらが徒党を組んで喧嘩や反社会的な行為に走るのは、当然だろう」(崔さん)

暴力性でライバルを圧倒

高校を卒業したソクは軍隊の入隊を希望するが、日頃からの「素行不良」がたたって入隊できなかった。

もちろん、大学にも行けるはずのないソクは、否応なしに企業所(国営企業)に所属する。しかし、そこで働いて得られるのは日々の生活が精一杯の月給と配給のみ。

軍隊に入隊できず、やけくそ気味のソクは、徐々に企業所にも出勤しなくなる。無断欠勤が続けば、罰を与えられるケースもあるが、そこは賄賂や父親のコネでなんとか逃れられたようだ。

そんなソクを中心に、自然発生的に愚連隊のようなグループが出来ていく。となると当然のように、他の愚連隊との間で対立や抗争も起きる。ソク・グループは荒っぽさで他の愚連隊を凌駕し始め、その名前は他の地域でも響き渡るようになる。ソク・グループと衝突した愚連隊は、後々の報復を恐れて敢えて喧嘩を避けたり、わざと負けることもあった。

また、「団結力」と「義理」を重んじるソクという人間を慕って、彼の元に集まる荒くれ者も増えていき、次第にソク・グループは、「愚連隊」の枠を超えていく。

「韓国の男は頼りない」

ところで、ソクや彼のような不良連中は、北朝鮮の女性の目にはどう映っていたのだろうか。

北朝鮮の女性として真っ先に思い浮かぶのが、日本や韓国でも話題となった「北朝鮮美女応援団」。彼女たちのような、しとやかで清楚な北朝鮮女性達からすれば、ソクみたいな無頼者はさぞかし毛嫌いされる存在だったに違いない——と思いきや、意外とそうではなかった。

「直接は知らないけど、ソクという人の噂は聞いたことがあります。女子には相当モテたと思いますよ。北朝鮮にも不良男子にあこがれる女子はいますから」

そう語るのは2010年に脱北して現在は韓国・ソウルに住む李京花(イ・キョンファ)さん(50代)。ソクの名が轟いていた頃に、10代後半の多感な時期を過ごした李さんは、自分の少女時代を懐かしむかのように言葉を続けた。

「北朝鮮では、韓国以上に男子は『男らしさ』が求められるので、年頃の女子が不良に憧れるのもなんとなくわかる気がする。不良が嫌いだった私でも、こっち(韓国)に来てから韓国の男子が頼りなくていらいらする時もあるぐらい。『北朝鮮の男を見習え!』って(笑)」

カネより貴重なもの

勢力が拡大していったソク・グループは、喧嘩に明け暮れるだけでなく、日本で言う「シノギ」のような収入源も手にした。

最も大きなシノギはあらゆるトラブルの「仲裁」。度々起こる他の愚連隊同士の抗争や勢力争い。解決しにくい個人間のトラブルが起こった場合は、ソクの出番だ。仲裁して解決し、その見返りとして「酒」「食べ物」「衣類」などを受け取る。

金銭ではなく、物資で報酬をもらうという点が興味深いが、このあたりは当時の北朝鮮社会の実情を反映している。物資が圧倒的に不足している北朝鮮で、生活必需品はヤミ市場で売買すれば、十分「現金」になる。

実際、ソクのようなヤクザだけでなく、一般住民、そして党の幹部や軍人さえも国家から支給された物資をヤミ市場に横流しして金品に換えるのだ。時と場合によって「物資」は「現金」以上に信頼できる交換手段だ。

ソク・グループは、食糧倉庫などを衝撃し、物資を盗むこともあった。もちろん、下手を打って構成員が逮捕され「教化所」に送られることもある。

激しい拷問

日本の刑務所にあたる北朝鮮の教化所は、想像を絶する厳しい拘置施設だ。

日本や諸外国のような「受刑者の人権」がない教化所では拷問も日常茶飯事だ。ソク・グループの構成員も厳しい拷問にさらされたことは容易に想像できる。

しかし、団結力が強くソクとの義理を命のように重んじる構成員達は、厳しい拷問にも耐えながら決して組織のことはしゃべらなかった。また、ソク自身もグループが大きくなり組織化していくにつれ、現場に出ることは希となり、警察もなかなか尻尾をつかむことができなかった。

正確な数字は不明だが、最終的にソク・グループの規模は100人から200人に達したと言われている。ソクは既に愚連隊のリーダーというより、ヤクザの親分のような存在になっていた。その姿には、愚連隊から出発して「安藤組」を起こした「安藤昇」のイメージが重なる。

軍人と衝突

しかし、そんなソクにも最期の時が訪れる。ある日、ソクが子分を引き連れて町を歩いていると、朝鮮人民軍の軍人2人が、醤油が入った大量のペットボトルを運んでいた。軍隊は統治機関でもあり、住民から最も恐れられる国家機関だが、ソクからすればお構いなしだ。ソクは彼らに話しかけた。

「そのペットボトルに入っているのは酒だろう?それ飲もうぜ」

「冗談だろう?本当に飲むのか?」

笑いながら答える軍人達。すると別の子分がすごんだ。

「だから、そこに入っているのは酒だろう!だったら、俺たちにもくれや」

軍人達は、相手があのソクだということを知っていた。しかし、こんな風に因縁をつけられて引き下がっては、軍隊のメンツにかかわる。声を荒げてソク達を罵倒しはじめた。

「お前はバカか?軍人が真っ昼間から酒を持ち歩くわけがないだろう。ここに入っているのは醤油だぜ」

「醤油だと?何をバカなことを言っているんだ。フザけるな!」

振り向きざまに銃を…

たわいのない言い争いだったが、お互いが馬鹿にされたと思い込んだことから、軍人とソク達の間で喧嘩が始まった。

ソク側は4人で対する軍人は2人。形勢不利と見た軍人達は、慌てて逃げ出し始めた。彼らを追いかけるソクのグループ。そのとき、軍人は振り向きざまに腰から銃を抜き出し、構えながら叫んだ。

「お前達、止まれ!止まらなければ撃つぞ!」

銃を向けられて、さすがにソク以外の構成員は逃げ散っていった。しかし、逆に面子を失った思ったのか、ソクの怒りは収まらない。銃をかまえる軍人達に近づいたソクは、手に握りしめていたナイフを振りかざし彼らに投げつけた。投げられたナイフが軍人達の足下にのめり込んだその瞬間・・・

「パン!パン!」

身の危険を感じた軍人が発砲。銃弾2発がソクの胸を直撃し、彼は胸を血だらけにしてその場に倒れこんだ。即死だった。

激怒した構成員たち

ソクが死んだという噂は、その日のうちにグループの構成員達や住民の間に広まった。

参照元 : dailynk

指定暴力団・神戸山口組系「池田組」の幹部射殺事件で、新たに同山口組弘道会傘下の暴力団組員2人を殺人と銃刀法違反容疑で逮捕

組員ら2人、新たに逮捕=神戸系幹部の射殺容疑―岡山県警

2016年8月26日(金)0時33分配信

岡山市のマンション駐車場で5月、指定暴力団神戸山口組池田組の幹部が射殺された事件で、岡山県警は25日までに、殺人と銃刀法違反容疑で、新たに同山口組弘道会傘下の暴力団組員村上則次(43)=同市東区河本町=、自称防水工早瀬金二(44)=同区久保=両容疑者を逮捕した。 県警は認否を明らかにしていない。

参照元 : 時事通信


山口組と神戸山口組、和解交渉が決裂 岡山事件の原因か

2016年8月25日(木)3時7分配信

国内最大の指定暴力団山口組と、離脱派が結成した神戸山口組の幹部が5月14日に静岡市内で和解交渉に臨んだが、決裂していたことが、捜査関係者への取材でわかった。

同月31日には岡山市で神戸山口組系組幹部の射殺事件が発生。捜査当局は決裂が引き金になったか、和解つぶしを狙った犯行だった可能性があるとみている。山口組分裂から今月27日で1年。警察は抗争事件の警戒を強める。

捜査関係者によると、交渉には山口組の高木康男若頭(わかがしら)補佐(68)と、神戸山口組の金禎紀若頭代行(49)が出席。

神戸側は山口組の篠田建市6代目組長(74)を名誉職の「総裁」とし、神戸山口組の井上邦雄組長(68)を7代目組長にするか、井上組長をナンバー2の若頭にすることを提案した。しかし山口組側がこれを拒絶したという。

決裂の理由で、警察は2通りの情報を把握している。一つは山口組が、昨年8月に最も重い「絶縁処分」にした井上組長ら5人の復帰に難色を示したとするもの。

もう一つは山口組が分裂前に処分し、分裂後に神戸山口組の直系団体になった3団体の復帰を認めなかったとするものだ。前者は主に山口側、後者は神戸側の情報という。

参照元 : 朝日新聞


2016年8月28日日曜日

山口組分裂抗争から一年経過、全国で85件の事件、うち39件で計256人が逮捕、摘発!組長の外出に鉄板入りカバン

山口組分裂1年 全国で衝突85件、256人検挙

2016年8月24日(水)19時57分配信



指定暴力団山口組(総本部・神戸市灘区)の分裂から27日で1年。対立する神戸山口組(本拠地・淡路市)との間では、兵庫を含め全国で85件(今月17日時点)の事件があり、うち39件で計256人が逮捕、摘発されたことが、警察庁への取材で分かった。

兵庫県公安委員会が4月に神戸側を指定暴力団として以降、事件は減少しているが、両団体の本拠地がある兵庫県警は8月10日、山口組総本部前に監視拠点となる「特別警戒所」を設置。抗争激化時に両団体を厳しい規制が及ぶ「特定抗争指定暴力団」とする準備も進めており、情報収集や警戒を強めている。

警察庁によると、85件のうち、組関連施設への車両突入は18件▽銃器使用は10件▽火炎瓶のような物の使用は6件-など。これまでに死者は2人(6月末時点)出たが、一般人の巻き添えはなかった。山口組側が仕掛けた事件では111人▽神戸側が仕掛けた事件では82人▽双方が絡む事件では63人-が逮捕されるなどした。

兵庫県警によると、県内では5件あり、昨年12月に姫路市で1件、3月に神戸市内で4件発生。県警は組事務所へのダンプカー突入やカーチェイス後に車を壊し合った事件などで、双方の組員ら計31人を逮捕した。

事件の続発を受け、兵庫県公安委は神戸側を暴対法の規制対象とするため指定暴力団とする手続きを急ピッチで進め、4月15日付で指定。抗争激化時の組事務所使用制限命令など厳しい規制が可能となったことで、指定以降は10件にとどまっている。

ただ、5月に岡山市内で神戸側の直系団体幹部が射殺され、山口組系組員が逮捕されるなど、双方の勢力争いは収束していないとみられる。神戸側は直系組長を発足時の13人から24人に増やし、山口組側は分裂前の73人から54人に減らしている。

【山口組の分裂】 昨年8月27日、指定暴力団山口組から「山健組」(神戸市中央区)など直系13団体が離脱し「神戸山口組」を結成した。山口組組長の出身母体「弘道会」(名古屋市)を優遇する組織運営、高額な上納金負担への反発などが背景とされる。全国で衝突が相次ぎ、警察庁は今年3月、対立抗争状態と認定した。3月1日時点の構成員数は山口組が約5700人、神戸山口組が約2700人。

参照元 : 神戸新聞NEXT


組長、外出に鉄板入りカバン 山口組分裂1年、続く抗争

2016年8月26日(金)5時0分配信

山口組の分裂から27日で1年。抗争状態が続く中、組関係者は緊張といらだちを募らせている。ある神戸山口組系組織の組長が、朝日新聞の取材に答えた。

東日本にある神戸山口組系組織の組長は外出の際、同行の配下組員に鉄板入りのカバンを持たせている。自宅マンションのエレベーターには乗らず、住む階とは異なる階の外階段を使って出入りしているという。取材に「いつ襲われるかわからない。警戒を怠ることはできない」と話した。

抗争事件が起きるたび、上層部から「返し(報復)はするな。9月下旬までは動くな」と指示が来る。組長によると、「9月下旬」は伊勢志摩サミット関連の国内会議が終わる時期を指すという。最後の関連会議は9月24日から2日間、長野県で開催予定のG7サミット交通大臣会合だ。

参照元 : 朝日新聞



2016年8月24日水曜日

仙台市で起こった山口組と神戸山口組の系列組員による対立抗争事件の関係先として、両組織の本部事務所など計5カ所を家宅捜索

<山口組抗争>宮城県警が総本部家宅捜索

2016年8月21日(日)10時12分配信



仙台市宮城野区幸町であった指定暴力団山口組(神戸市)と神戸山口組(兵庫県淡路市)の系列組員による対立抗争事件の関係先として、宮城県警は20日までに、両組織の本部事務所など計5カ所を家宅捜索した。

神戸市灘区の山口組総本部事務所には20日午前9時ごろから約1時間、県警の捜査員約50人が捜索。押収品はなかった。

県警は今回、神戸山口組の中核組織山健組系組員、無職片倉栄司容疑者(44)=宮城野区、暴力行為法違反の疑いで逮捕=ら2人を殺害しようとしたとして、山口組系組員の無職八島純平容疑者(38)=青葉区=が逮捕された事件に絡み、殺人未遂容疑で捜索した。

18、19の両日には、八島容疑者に反撃して暴行を加えたとして、片倉容疑者ら3人が逮捕された事件に絡み、神戸山口組本部事務所や神戸山口組系3次団体の事務所など4カ所を捜索。3次団体の事務所から書類など2点を押収した。

八島容疑者は昨年11月、片倉容疑者から仙台市内で暴行を受けており、県警は報復を図ったとみている。 暴行事件を発端に同年11月9日夜には、青葉区国分町の周辺で山口組と山健組双方の系列組員40~50人が全国から集まり、にらみ合いになった。

参照元 : 河北新報


付近の住民ら約200人が集まり、山口組総本部で暴力団の追放パレード

山口組総本部で“追放”市民パレード

2016年8月20日(土)17時52分配信



六代目山口組から神戸山口組が分裂してから来週で1年が経ちます。山口組総本部がある兵庫県神戸市では暴力団の追放と解散を目指し市民らによるパレードが行われました。

神戸市灘区の六代目山口組総本部の周辺には、付近の住民ら約200人が集まりました。警察によりますと、去年8月の分裂騒動以降、総本部で暴力団の追放パレードが行われるのは初めてだということです。

来週で分裂から1年となりますが、県内では抗争とみられる事件が相次いでいます。

兵庫県警は総本部横に監視拠点を設置するなど警戒を強めていて暴力団追放に向けて付近住民との連携をさらに深めていきたいとしています。

参照元 : 毎日放送











【傘下組織幹部射殺事件】木村被告「全く事実じゃありません」 指定暴力団工藤会の理事長代行、起訴内容を否認

工藤会の理事長代行、起訴内容を否認 傘下幹部射殺事件

2016年8月22日(月)13時5分配信



福岡県中間市で2008年、指定暴力団工藤会の傘下組織幹部を射殺したとして、殺人などの罪に問われた工藤会の理事長代行、木村博被告(63)と同会系組幹部の渡部公章被告(42)の初公判が22日、福岡地裁であった。

両被告は起訴内容を否認し、木村被告は「全く事実じゃありません」と述べた。 検察側は冒頭陳述で、木村被告が組員らに殺害を指示し、渡部被告も被害者の所在を捜して実行役らに連絡していたと主張した。

起訴状によると、両被告は08年9月10日、木村被告が組長を務める組の幹部だった安高毅相談役(当時66)を中間市の自宅で拳銃で射殺したとされる。

県警は09年、この事件で木村被告らを逮捕したが、地検が処分保留で釈放。工藤会トップらを逮捕した一連の捜査で新たな証拠が得られたとして、昨年5月に起訴していた。

参照元 : 朝日新聞


工藤会系組長を再逮捕へ、福岡 幹部殺害の疑い

2015/04/23

福岡県中間市で2008年9月、特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)系組幹部を射殺した疑いが強まったとして、福岡県警は殺人などの疑いで、同じ組の組長(62)= 恐喝未遂罪などで公判中=を再逮捕する方針を固めた。捜査関係者が22日明らかにした。

捜査関係者によると、組長は08年9月10日、配下の男らと共謀し、中間市の安高毅幹部 =当時(66)=宅で、幹部の頭や胸に拳銃を発砲、殺害した疑いが持たれている。組の内部でトラブルがあったとみられる。

県警は09年9~10月、射殺事件に関与したとして組長を含む5人を逮捕したが、組長は いったん釈放されていた。(共同)

参照元 : 東京新聞

2016年8月21日日曜日

宮崎市の路上で集団乱闘事件、元暴力団組員(43)が死亡 警察は殺人事件として捜査

宮崎市・集団乱闘で元暴力団組員が死亡、殺人事件として捜査

2016年8月19日 12時51分



19日未明、宮崎市の路上で集団乱闘事件があり、元暴力団組員の男性が死亡しました。警察は殺人事件として捜査しています。

19日午前1時前、宮崎市の路上で、付近を通りかかった人から、「10人くらいがけんかをしている」と警察に通報がありました。

警察が現場に駆けつけたところ、男女5人がその場にいて、このうち、けがをしたと近くの住宅に助けを求めていた男性が腹に大けがをし、市内の病院で手当てを受けましたが、午前7時過ぎに死亡が確認されました。

亡くなったのは、住所不詳の本田真一さん(43)で、関係者によりますと、本田さんは、元暴力団組員だということです。 「けんかという感じではなかった。なんでこんな時間というのはあった」(現場付近の住民) 警察では殺人事件として捜査しています。

参照元 : TBSニュース












元暴力団組員が路上で襲われ死亡 宮崎市

2016年8月19日(金)16時5分配信



19日未明、宮崎市で元暴力団組員の40代の男性が何者かに襲われ、腹から血を流して病院に搬送されたが、死亡した。警察では、殺人事件として捜査を進めている。

19日午前0時50分ごろ、宮崎市田代町の路上で、元暴力団組員で、住居・職業不詳の本田真一さん(43)が何者かに襲われ、腹から血を流して病院に搬送されたが、死亡した。

警察によると、事件が発生した際、近くの住民から「10人ぐらいがケンカをしているようだ」と110番通報があったという。

本田さんは、ケガをした際に知人の男性と女性計4人と一緒にいて、近くの民家に助けを求めた。警察では、この4人からも事件当時の詳しい事情を聞き、殺人事件として捜査を進めている。

参照元 : 日本テレビ系(NNN)















2016年8月19日金曜日

麻薬カルテルと対立する「ハリスコ新世代カルテル」の構成員が麻薬王エルチャポ受刑者の息子を拉致!抗争に発展する可能性

麻薬カルテル抗争に発展か 麻薬王「エルチャポ」の息子ら拉致

2016年8月17日(水)13時42分配信



メキシコ中部ハリスコ州のリゾート地、プエルトバジャルタで15日にレストランから拉致された6人のうち一人が、麻薬王「エルチャポ(ちび)」ことホアキン・グスマン受刑者の息子だったことが明らかになった。対立する麻薬カルテルの構成員による犯行とみられており、抗争に発展する可能性がある。

当局者によると、地元の「ハリスコ新世代カルテル」に拉致されたのは、グルマン受刑者が長年率いていたシナロア・カルテルの構成員6人で、そのうちの一人がヘスス・アルフレド・グスマン容疑者(29)だった。

ヘスス容疑者はシナロア・カルテルの幹部とみられ、米当局が麻薬密輸容疑で指名手配している。父親のグスマン受刑者についても、大量の麻薬を米国内に密輸した容疑がかかっており、米当局は同受刑者の身柄引き渡しをメキシコに求めている。

グスマン受刑者は今年1月に再拘束された。同受刑者は1.6キロにわたって掘られたトンネルを使って厳重に警備された刑務所から脱走し、約半年間逃走していた。

カルテル抗争の恐れ

ハリスコ州のエドゥアルド・アルマグエル司法長官は、科学捜査官によるレストランの現場検証でヘスス容疑者が拉致された6人に含まれることが確認されたと述べた。ほか4人の身元も確認済みだという。ただ、詳細については明らかにしなかった。

拉致された6人には、グスマン受刑者の別の息子イバン氏も含まれるという一部報道も出ている。

地元当局によると、拉致された6人はお祝いのために近くの州からプエルトバジャルタにある高級レストランを訪れていたという。

メキシコで取材するBBCのホアン・ポリエ記者は、拉致が2つの大きな麻薬カルテルの抗争に発展する可能性があると指摘している。

ハリスコ新世代カルテルとシナロア・カルテルは、メキシコ西岸の主要な麻薬密輸ルートの支配をめぐって対立してきた。メキシコの麻薬密輸組織はコカインを中心とした大量の違法薬物を米国に運んでいる。

(英語記事 Son of drug lord 'El Chapo' Guzman kidnapped in Mexico)

参照元 : BBC News


メキシコ「麻薬戦争」でカルテルが淘汰、現在は二大勢力が生き残り

2015年06月18日 15:34



多くの麻薬カルテルが犇 (ひし) めいていたメキシコではその淘汰が進み、現在は僅か 2 大勢力を残すのみとなっている。「麻薬戦争」の代名詞となった地での最新情報が FOX ニュース ラテン版で報じられた。

数年前に勢力を誇っていた 7 つの麻薬カルテルは、その後の統合や分裂、衰退などの淘汰が進み、現在は「シナロア・カルテル (Sinaloa Cartel) 」と「ハリスコ新世代カルテル (CJNG: Jalisco New Generation Drug Cartel (略称はスペイン語の頭文字に由来) 」の 2 大勢力に集約されている。

2011 年当時に勢力を誇ったメキシコの麻薬カルテル

①セタス (Los Zetas)
②シナロア (de Sinaloa)
③ゴルフォ (del Folfo)
④ティフアナ (de Tijuana)
⑤テンプル騎士団 (Los Caballeros Tempiarios)
⑥パシフィコ (Pacifico Sur)
⑦ファレス (de Juarez)

現 2 大勢力の 1 つ、シナロア・カルテルは単一の組織としては西半球で最大にして最強と称される組織。同組織は縁故や地域間での繋がりを通じて構成される非階層的組織が特徴。

一連の麻薬戦争を通じて、最も成長と繁栄を遂げた組織と言われている。組織内での命令は絶対的だが、1 人のリーダーによってではなく、理事会的な集まりの中で下されると言う。

関連記事:メキシコ凶悪麻薬犯罪組織ファミリーの生活が SNS で明らかに



一方の CJNG は、2010 年にシナロア・カルテルから分岐した成長著しい組織。カリブ地域、ラテンアメリカの犯罪組織を分析している非営利団体・InSight Crime によると、CJNG はこの分野で最大手であるシナロア・カルテルが蓄積した麻薬密売に関するあらゆるノウハウを元手にしていると報告している。

▼メキシコ麻薬戦争の光と闇、ドキュメンタリー映画『皆殺しのバラッド』(Narco Cultura)



近年のメキシコ麻薬戦争について紐解いてみると、2006 年 12 月、当時大統領に就任したフェリペ・カルデロンの下、それまで麻薬密売組織に対して受動的だった政策が一変。同大統領は麻薬密売組織に対する強硬な一掃政策を推し進めた。政策の実行から 8 年が過ぎ、これまでに麻薬戦争関連での死者は 10 万人以上にもなると推計されている。

「戦争」の火種となった、麻薬原料のケシがメキシコへ持ち込まれたのは 1860 年代。当時英国によってアヘン漬けにされた中国の移民が南米へ持ち込んだのが起源とされている。その後、近隣の米国へ不法に持ち込み、売りさばく「密輸」が一大ビジネスとなっている。

関連記事:世界の犯罪組織の収入別ランキング・トップ 5 が発表、1 位は山口組の 8.7 兆円

そうした中で「カルテル」と呼ばれる麻薬関連の不法組織が蔓延り、組織間での縄張り争いや抗争が激化。巻き込まれる犠牲者も急増することになる。そしてその潤沢な資金を背景に、公権力の買収、残忍な手口と暴力を使うことによって社会を封じ込めするなど、その影響力は隅々に渡ることになる。

いずれのカルテルも、近隣で武器大国である米国から大量の武器を密輸している他、カルテルの武装要員にはメキシコ軍で特殊部隊を経験したメンバーが多数含まれていると言われている。



今年 4 月には、CJNG がメキシコ第 2 の都市グアダラハラで警察車列を待ち伏せし襲撃する事件を起こしている。この襲撃によって警察官 15 人が殺害されており、事件の一報は、遠く離れた日本の一般メディアでも報じられている。

参照元 : militaryblog

六代目山口組傘下組織「竹中組」の組員と右翼団体が漁協組合に妨害行為をして逮捕された事件で、山口組総本部を家宅捜索

六代目山口組総本部を捜索 漁協への妨害容疑

2016年8月18日(木)11時53分配信



六代目山口組傘下組織の男らが兵庫県内の漁協組合に妨害行為を行ったとして逮捕された事件で、18日、兵庫県警が関係先として山口組総本部に家宅捜索に入りました。

「午前10時40分です。兵庫県警の捜査員が山口組総本部に家宅捜索に入ります」(記者)

警察によりますと、先月、威力業務妨害の疑いで逮捕された六代目山口組傘下組織の組員 内海国男容疑者ら5人は、今年5月、兵庫県上郡町にある漁協組合のまわりを「漁協を私物化するな」などと叫びながら街宣車でまわり、組合の業務を妨げた疑いがもたれています。

8月27日で六代目山口組と神戸山口組が分裂してから1年をむかえますが、抗争とみられる事件が相次いでいて、兵庫県警は総本部横に監視拠点を設置するなど警戒を強めています。

参照元 : 毎日放送














【右翼とヤクザ】政経塾 中野慎吾、竹中組 内海国男両容疑者を逮捕

2016/8/18

兵庫県の漁業協同組合の建物の周囲に街宣車を走らせ、臨時総会の議事の進行を妨害したとして威力業務妨害の疑いで指定暴力団六代目山口組系二代目竹中組組員 内海国男容疑と政治結社政経塾代表の中野伸吾容疑者らが逮捕された事件で、兵庫県警は山口組総本部を家宅捜索した。

逮捕容疑は、ことし5月、指定暴力団六代目山口組系二代目竹中組組員 内海国男容疑と政治結社政経塾代表の中野伸吾容疑者ら3人が、兵庫県上郡町の漁協の周りを街宣車で「漁協を私物化するな」などと放送しながら回り臨時総会の議事の進行を妨害した、威力業務妨害の疑い。

兵庫県警は中野容疑者が代表の政治結社政経塾と山口組との組織的な関与を裏付けるため、山口組総本部を家宅捜索した。

参照元 : ヤクザニュース

政治結社「政経塾」



所在地
兵庫県丹波市

加盟協議体
関西自由行動隊
全国平和連合

傘下団体
支部

役職者
塾頭 中野伸吾

参照元 : 右翼民族派団体Wiki(維新情報社)

竹中組



竹中組(たけなかぐみ)は、兵庫県姫路市に本部を置いていた暴力団。

略歴
竹中組(第一期)
1960年、竹中正久は、竹中組を結成して、竹中組組長に襲名した。
1961年12月13日、三代目山口組に参画した。
1971年、三代目山口組若頭補佐に就任した。

津山事件
1980年01月10日、木下会系平岡組組員片岡一良と同組員池元幸男は、岡山県津山市の小椋建設の事務所で、竹中組系杉本組組員小椋義政と小西一家系小島組組員水杉義治を射殺した。

姫路事件
1980年05月13日、竹中組若頭補佐平尾光が指揮して、同組員大西正一、同組幹部高山一夫、竹中組系岡山竹中組若頭補佐山下道夫、竹中組系杉本組輝道会若頭補佐山田一は、兵庫県姫路市東駅前町の二代目木下会の事務所前で、二代目木下会会長高山雅裕と同会員森崎右を銃撃して、高山雅裕は即死、森崎右は病院で死亡した。
1981年07月23日、三代目山口組組長田岡一雄は、死去した。
1982年、三代目山口組若頭に就任した。
1984年06月05日、四代目山口組組長に襲名した。
1984年06月13日、三代目山口組組長代行山広組組長山本広は、四代目山口組の跡目争いに伴い、離脱して、一和会を結成後、一和会会長に襲名した。

二代目
1984年06月23日、竹中組若頭岡山竹中組組長竹中武は、二代目竹中組組長に襲名して、四代目山口組に昇格した。

山一抗争
1985年01月26日、一和会常任理事悟道連合会会長石川裕雄が指揮して、一和会系二代目山広組若頭後藤栄治、同組行動隊長長野修一、実行犯の同組員長尾直美、同組員田辺豊記、同組員立花和夫は、大阪府吹田市のマンション「GSハイム第二江坂」の1階エレベーター前で、四代目山口組組長竹中正久、同組若頭豪友会会長中山勝正、同組組長秘書南組組長南力を銃撃して、中山勝正は4時間後に死亡、南力は即死、竹中正久は大阪警察病院で、翌日死亡した。
1985年02月01日、兵庫県警機動隊と岡山県警は、野球賭博開帳の容疑で、二代目竹中組組長竹中武を逮捕して、1年5か月間拘留した。
1985年03月24日、二代目竹中組系塚川組組員桃井省三は、兵庫県の甲子園球場の駐車場で、一和会特別相談役大川覚の長男を銃撃した。
1985年10月27日、二代目竹中組系杉本組輝道会会員清山礼吉と同会員山本尊章は、鳥取県倉吉市のスナックで、一和会幹事長補佐赤坂組組長赤坂進と同組員田中義昭を射殺した。
1986年01月21日、二代目竹中組系大西組組員前田哲也と同組員山本孝道は、兵庫県加古川市で、一和会系加茂田組舎弟小野会会長小野敏文を射殺した。
1986年02月27日、二代目竹中組系柴田会会員井垣道明と同会員星山勲は、兵庫県姫路市深志野の四代目山口組組長の墓前で射殺された。
1986年05月21日、二代目竹中組系二代目生島組幹部北原智久と同組幹部大宮真浩は、大阪府大阪市の路上で、一和会副本部長中川連合会会長中川宣治を射殺した。
1988年02月17日、兵庫県警は、兵庫県神戸市東灘区御影の路上で、竹中組若頭補佐増田組組長増田国明と同組員西浦恵信の乗車していた車内から拳銃4丁、アメリカ軍用M67型手榴弾2個、実弾25発を発見して、現行犯逮捕した。
1988年05月14日、二代目竹中組組長秘書安東会会長安東美樹らは、兵庫県神戸市東灘区御影の一和会会長山本広の自宅前で、警備中の警察官3人を銃撃した。
1988年10月01日、二代目竹中組系二代目西岡組組員は、愛媛県松山市の全日空ホテル前で、一和会系神竜会会員山下竜二を銃撃して、山下竜二は翌日死亡した。
1989年02月27日、四代目山口組若頭補佐に就任した。
1989年03月30日、一和会会長山本広は、引退と一和会の解散を表明した。
1989年04月27日、三代目山口組若頭二代目山健組組長渡辺芳則は、五代目山口組組長に襲名した。
1989年06月05日、四代目山口組若頭補佐二代目竹中組組長竹中武、四代目山口組舎弟二代目森川組組長矢嶋長次、四代目山口組若中森唯組組長森田唯友紀、四代目山口組若中二代目牛尾組組長牛尾洋二は、山一抗争終結の反対に伴い、離脱して、解散した一和会に報復を続けた。

竹中組(第二期)
1989年07月28日、二代目竹中組組長竹中武は、二代目竹中組から竹中組に改め、独立組織の竹中組組長に襲名して、竹菱の代紋を掲げた。

山竹抗争
一和会会長山本広の引退と一和会の解散を引き換えに、山本広の命を保証していた五代目山口組は、解散した一和会に報復を続ける竹中組を一方的に攻撃する、山竹抗争に突入した。
1990年03月05日、竹中組組員熊原健裕は、岡山県岡山市十日市東町の自宅で射殺された。
1990年03月12日、竹中組幹部八栗拓一は、鳥取県倉吉市のJR倉吉駅前で射殺された。
1990年06月18日、岡山県警は、解散した一和会本部長松本勝美の自宅を襲撃した首謀者として、竹中組組長竹中武を逮捕した。
1993年08月27日、山本広が病死して、山竹抗争は終焉した。
2008年03月15日、竹中組組長竹中武は、病死した。

二代目
竹中組組長代行竹中正組組長竹中正は、空席だった二代目竹中組組長に襲名した。
2014年05月、二代目竹中組組長竹中正は、死去した。

歴代
竹中組(第一期)
初代:竹中正久(四代目山口組組長/三代目山口組若頭)1985年01月27日死去
二代目:竹中 武(四代目山口組若頭補佐/竹中組副組長)2008年03月15日病死

竹中組(第二期)
初代:竹中 武(四代目山口組若頭補佐/竹中組副組長)2008年03月15日病死
二代目:竹中 正(竹中組組長代行「第二期」/二代目竹中組相談役/竹中組副組長)2014年05月死去

出身
佐藤組
菅谷組若頭補佐佐藤組組長佐藤邦彦は、菅谷組の解散に伴い、竹中組に参画して、竹中組舎弟に就任した。
四代目山口組に昇格した。
五代目山口組に参画した。
佐藤組組長佐藤邦彦は、病死した。
1997年07月、佐藤組若頭細見孝夫は、二代目佐藤組組長に襲名して、五代目山口組に昇格した。
2010年05月、二代目佐藤組組長細見孝夫の除籍処分に伴い、二代目佐藤組は、解散した。

離脱
杉本組
二代目竹中組舎弟頭補佐杉本組組長杉本明政は、二代目竹中組を離脱して、宅見組に参画後、宅見組組長代行に就任した。

二代目西岡組
二代目竹中組副組長二代目西岡組組長青木恵一郎は、二代目竹中組を離脱して、宅見組に参画後、宅見組副組長に就任した。

安東会
1988年05月、二代目竹中組組長秘書安東会会長安東美樹(安妟行)は、二代目竹中組を離脱して、一心会に参画後、一心会舎弟に就任した。
2011年、三代目一心会副会長に就任した。

柴田会
1989年04月、二代目竹中組若頭補佐柴田会会長柴田健吾は、二代目竹中組を離脱して、二代目吉川組に参画した。
1991年12月、五代目山口組に昇格した。
六代目山口組に参画した。
2014年04月、柴田会会長柴田健吾は、死去した。
2014年04月、三代目一心会副会長安東会会長安東美樹(安妟行)は、三代目一心会系安東会と柴田会を統合して、二代目柴田会会長に襲名後、六代目山口組に昇格した。
2015年09月10日、二代目柴田会から二代目竹中組に改称した。
大西組[ソースを編集]
1992年02月、二代目竹中組若頭大西組組長大西康雄は、二代目竹中組を離脱して、後藤組に参画後、後藤組副組長に就任した。
五代目山口組に昇格した。
六代目山口組に参画した。
2008年07月、大西組組長大西康雄の病気引退に伴い、大西組は、解散した。

注釈
竹中一族
父親:竹中龍次(養子)
母親:竹中愛子
三男:竹中正久(四代目山口組組長/竹中組組長)
五男:竹中 正(二代目竹中組組長「第二期」/竹中正組組長)
八男:竹中 武(竹中組組長「第二期」/二代目竹中組組長/岡山竹中組組長)

参照元 : wiki/竹中組

竹中組(山口組)



二代目竹中組(たけなかぐみ)は兵庫県姫路市安田4-49に本部を置く暴力団で、六代目山口組の二次団体。



◆略歴
平成27年9月、名跡を柴田会から竹中組に改称。六代目山口組が竹中家親族の了承を得ずに竹中正久を初代とする二代目竹中組を発足させた。
竹中家親族は一切これを認めていない。六代目山口組が勝手に名乗っているだけの状態である。

◆竹中組系譜
初 代 - 竹中正久
二代目 - 安東美樹

◆二代目竹中組組織図
組 長 - 安東美樹(六代目山口組幹部・総本部責任者・中国四国ブロック阪神中国地区長)

◆執行部
若 頭 - 善岡 仁(善岡興業組長)
舎弟頭 - 朝見芳樹(朝見総業組長)
本部長 - 渡邊 智(二代目青木組組長)
副本部長 - 古門征樹(美道会会長)
舎弟頭補佐 - 小田 貢(藤正会会長)
舎弟頭補佐 - 遠山二郎(遠山総業組長)
風紀委員長 - 阿部 博(二代目播磨総業組長)
事務局長 - 松田和樹

◆最高顧問
金川隆次(金川組組長)

◆顧問
安田 猛
伊達京介(伊達興業組長)

◆相談役
平沢信明

◆舎弟
清田邦夫(清田総業組長)
田邊 要

◆幹部
瀬畑慎吾
下村彰佳
村上茂徳

◆直参
加藤久雄
山本 寛
森 健二

◆特別参与
福島忠義

◆参与
安岡善彦
初代柴田会組織図・平成14年
初代柴田会組織図・平成26年
二代目柴田会組織図・平成27年

参照元 : wiki/竹中組(山口組)

2016年8月16日火曜日

反天連デモ隊に右翼が抗議!制止した機動隊員を暴行した容疑で自称右翼団体構成員の男(34)と、自営業の男(51)を逮捕

反「靖国」のデモ隊に抗議、警備の機動隊員を暴行 容疑で右翼団体構成員ら逮捕

2016.8.15 21:12



靖国神社を批判するデモ隊に抗議しようと近づき、制止した機動隊員を暴行したとして、警視庁公安部は15日、公務執行妨害の現行犯で、いずれも自称右翼団体構成員の会社員の男(34)=埼玉県入間市=と、自営業の男(51)=東京都渋谷区=を逮捕した。

終戦の日は例年、靖国神社を批判する活動家らのグループが周辺をデモ行進し右翼団体や保守系市民団体が激しく抗議している。

逮捕容疑は同日午後4時35分ごろ、東京都千代田区で、それぞれデモ隊に近づこうとして機動隊に制止され、男性隊員らの頭部を殴ったなどとしている。

参照元 : 産経新聞
















あの~右翼の皆さん、竹島には上陸しないんですか?

2016年8月13日土曜日

プロ野球・巨人、暴力団の元組長の関係者とする男性から脅迫めいた言動を受けたとして、警視庁に相談

「元組長」関係者が巨人を脅迫 元球団職員に電話「選手と一緒の写真、メールのやり取りもある」
2016年8月12日(金)21時12分配信



プロ野球の巨人は12日、暴力団の元組長の関係者とする男性から脅迫を受けたとして、警視庁に相談したと発表した。日本野球機構(NPB)は6月16日付で、この元組長に対し、12球団が主催する試合の入場券販売や球場への入場拒否を通知していた。

巨人によると、8月11日午後4時20分ごろ、男性から元球団職員の携帯電話に電話があり、「元組長は『巨人の選手と一緒に写った写真もあるし、メールのやり取りも残してある。みんな1軍の選手ばかり十数人だ』と言っている」などと伝えられた。

さらに男性は「(元組長の)親分筋の人は、人殺しも平気でやる怖い人だ」などと述べ、「球界にとって事を荒立てない解決があればいい」と話したという。巨人などによると、元組長は芸能事務所の関係者と称して選手らに接触していた。

野球協約は反社会的勢力との交際を禁じている。巨人では昨年10月に選手が野球賭博に関与していたことが発覚し、4選手が契約を解除されている。 球団は「職員らに注意喚起し、警察のアドバイスに従って対応したい」と話した。

参照元 : 産経新聞


巨人「元組長関係者から脅迫めいた言動」 警視庁に相談

2016年8月12日(金)23時7分配信

プロ野球・巨人は12日、球場への出入りを禁じられている元暴力団組長の関係者から脅迫めいた言動を受けたとして、警視庁に相談したことを明らかにした。

球団によると、元組長とその親分筋の人物から相談を受けたとする男性から11日、巨人の元球団職員の携帯電話に電話があった。「元組長は(日本野球機構〈NPB〉から一方的に)手紙を送り付けられて、頭にきている」「元組長は巨人の選手と一緒に撮った写真もあるし、メールのやりとりも残してある」「親分筋の人は人殺しも平気でやる人だ」などと言われた、としている。

元組長は「芸能事務所の関係者」を名乗って巨人などの選手と接触。今年6月に暴力団関係者を排除することなどを定めた試合観戦契約に該当するとして、NPBから球場への入場を一切拒否する通知を受けていた。

元組長との接触について、球団は「元組長は自らの属性を隠し、芸能事務所の関係者と称して選手らに接近した」と説明。NPBからも、野球協約には抵触しないと判断されているとした。

参照元 : 産経新聞




旧日本軍が使っていた「九四式拳銃」や実弾を所持していた疑いで稲川会系暴力団幹部(53)を逮捕

旧日本軍使用の拳銃や実弾所持の疑い、暴力団幹部逮捕

2016年8月10日18:39



旧日本軍が使っていた「九四式拳銃」や実弾を持っていたとして、稲川会系暴力団幹部の男が逮捕されました。

銃刀法違反の疑いなどで逮捕されたのは、横浜市の稲川会系暴力団幹部、松本泰司容疑者(53)です。松本容疑者は今年5月、横浜市の貸し倉庫に拳銃1丁と実弾など9発を隠し持っていた疑いがもたれています。

警察によりますと、拳銃は、旧日本軍が使っていた「九四式自動装填式拳銃」で、油に浸した紙で包まれていて保存状態がよく、押収された実弾を発射できる状態だったということです。

松本容疑者は「私のものではない」などと容疑を否認しています。 実弾が発射できる状態で保存されている「九四式拳銃」が神奈川県で押収されたのは、過去10年間で例がないということで、警察が入手経路などを調べています。

参照元 : TBSニュース














2016年8月12日金曜日

指定暴力団山口組系組員に暴行を加えたとして、指定暴力団神戸山口組系組員ら3人逮捕

山口組抗争か 暴力行為容疑で男3人逮捕

2016年8月10日(水)12時50分配信

指定暴力団山口組系組員の無職男性(38)=仙台市青葉区=に暴行を加えたとして、宮城県警暴力団対策課などは9日、暴力行為法違反の疑いで、仙台市宮城野区幸町2丁目、指定暴力団神戸山口組系組員の無職片倉栄司(44)、住所不定、無職木下尚(28)、宮城野区幸町3丁目、自営業大森一成(44)の3容疑者を逮捕した。県警は指定暴力団の組員同士による抗争事件とみて調べている。

3人の逮捕容疑は9日午前1時25分ごろから同50分ごろにかけて、片倉容疑者の自宅敷地内で、山口組系の男性に殴るなどの暴行を加えた疑い。

県警によると、男性が片倉容疑者らを待ち伏せして金属バットなどで危害を加えたことに対し、逆襲したとみられる。片倉容疑者らは「やられたら反撃するのが当たり前」などと、いずれも容疑を一部認めている。

片倉容疑者は昨年11月、青葉区一番町4丁目の定禅寺通で、山口組系組員の男性を暴行したとして逮捕された。県警は男性が報復したとみており、けがの回復を待って立件する方針。

参照元 : 河北新報


<山口組抗争>殺人未遂で組員の男逮捕

2016年8月13日(土)15時17分配信

指定暴力団の山口組と神戸山口組の系列組員による対立抗争とみられる事件で、宮城県警暴力団対策課などは12日、殺人未遂の疑いで、仙台市青葉区柏木1丁目、山口組系組員の無職八島純平容疑者(38)を逮捕した。

逮捕容疑は9日午前1時25分ごろから同50分ごろにかけて、同市宮城野区幸町2丁目、神戸山口組系組員の無職片倉栄司容疑者(44)=暴力行為法違反容疑で逮捕=の自宅敷地内で、片倉容疑者の頭を金属バットで殴ったり、一緒にいた住所不定、無職木下尚容疑者(28)=同=の尻をナイフで刺すなどして2人を殺害しようとした疑い。

県警によると、「黙秘します」と認否を留保している。八島容疑者は昨年11月、片倉容疑者から市内で暴行を受けており、県警は報復で犯行に及んだとみている。片倉容疑者らは八島容疑者に反撃して暴行を加えたとして逮捕された。

参照元 : 河北新報



指定暴力団・山口組系「一道会」本部事務所に火炎瓶が投げ込まれた事件で、一道会側が事務所を撤去する意向

<山口組系・一道会>事務所を移転へ 火炎瓶投げ込みめぐり

2016年8月10日(水)15時0分配信

福岡市中央区の指定暴力団・山口組系「一道会」本部事務所に火炎瓶が投げ込まれた事件で、一道会側が事務所を撤去する意向を福岡県警に伝えたことが捜査関係者への取材で分かった。事務所を巡っては、周辺住民の委託を受けた県暴力追放運動推進センターが使用差し止めを求める仮処分を申し立てる方針を示していた。ただ、一道会側は同市博多区に事務所を移転する意向も示しており、順調に撤去が進むかは予断を許さない情勢だ。

捜査関係者によると、一道会幹部が9日、移転先の博多区を管轄する県警博多署に対して「地元ともめたくない」などと事務所を撤去する理由を説明。博多区にある別の山口組系組事務所を購入し、移転する考えも示したという。

しかし、移転先とされた事務所はJR博多駅の南東約1・5キロに位置して企業やマンションが建ち並ぶ地域にある。周辺に小学校もあるため、県警は学校などの周囲200メートル以内に暴力団事務所を置くことを禁じた県暴力団排除条例に抵触しないか調べる方針。さらに同条例は暴力団事務所に使用されると知りながら不動産の譲渡や貸し付けをすることも禁じており、事務所が取得された経緯についても調べる。

一道会の本部事務所では今年1月9日、ガソリン入りの火炎瓶2本が投げ込まれる事件が発生。山口組と対立する指定暴力団・神戸山口組系組長ら3人が火炎びん処罰法違反で起訴され、これまで2人に有罪判決が出た。

事件直後には地元住民ら約600人が撤去を求めて事務所周辺をパレード。県暴力追放運動推進センターは2013年施行の改正暴力団対策法で認められた「代理訴訟制度」に基づき、事務所の使用差し止めを求める仮処分を福岡地裁に申請する方針を示していた。

参照元 : 毎日新聞

一道会



一道会(いちどうかい[要出典])は、日本の福岡県に本部を置く暴力団。2008年に解散した福岡の山口組系浅川一家を源流とする組織で、指定暴力団六代目山口組の二次団体。

来歴
浅川一家が2008年に山口組を除籍となって解散すると、その古参幹部であった一ノ宮敏彰がこの一道会を結成[2]。そして同年内に浅川一家の地盤を引き継ぐ形で山口組の直系組織(二次団体)に昇格した。

情勢
本部所在地は福岡県福岡市中央区春吉。

会長:一ノ宮敏彰
1945年生。若年期から広く事業を手掛けていたものの、1975年頃に山口組系伊豆組の系列組織に加入、のち別の山口組系列組織への移籍を行うも、再び伊豆組へ。さらに1985年に初代浅川一家に移籍し、間もなく傘下に「一真会」を立ち上げ頭角を現していった[2]。翌1986年に総長の浅川一實から盃を受け、同一家の直参(二次団体)へ。浅川睦男率いる二代目体制下にあっては、「舎弟頭」、「若中相談役」、ならびに「顧問」などの役を歴任[2]。2008年における浅川一家の解散に伴い新たに一道会を結成し、同年、浅川一家の地盤を継いで山口組の直参となった。

参照元 : wiki/一道会

【事件】山口組系「一道会」火炎瓶事件真相解明!「小島会」会長が傷害事件の報復だったと供述! 福岡県 Yamaguchi-gumi mafia group

2016年2月28日 福岡市中央区の指定暴力団山口組系「一道会」本部事務所に1月、火炎瓶が投げ込まれた事件で、現住建造物等放火未遂容疑などで逮捕された新組織神戸山口組傘下の大分県日田市の暴力団「小島会」トップで会長、小島慎也容疑者(44)が「(仲間が)火炎瓶を投げたのは間違いない」と容疑を認める供述を始めたことが捜査関係者の話で分かった。

投げたのは大分県日田市の自称土木作業員、谷部五生(たにべ・いつお)容疑者(60)で、役割を分担して事件を起こした実態が判明した。事件の約4時間前には、福岡県朝倉市の路上で、小島容疑者の知人が、一道会の組員2人(いずれも傷害罪で起訴)にビール瓶などで暴行される傷害事件が起きた。

捜査関係者によると、小島容疑者はこの事件を知って報復することを決定。熊本市の神戸山口組系暴力団幹部、工藤和男容疑者(46)が運転する車に谷部容疑者とともに乗り現場付近に接近して、谷部容疑者が火炎瓶を投げた。

小島容疑者は「谷部容疑者が火炎瓶を投げたのは間違いない」と容疑を認め、他の2人もそれぞれの役割について認める供述を始めているという。

小島容疑者は一道会に所属していたが、昨年夏の山口組の分裂に伴い同10月上旬までに新組織側に移った。県警は、小島容疑者が一道会関係者を引き抜こうと画策したものの、なかなか成果が上がらないばかりか、知人が暴行を受けたことから、怒って報復したとみている。

3人は1月9日朝、中央区春吉2の一道会本部事務所に火炎瓶2本を投げ込んだ疑いで23日、逮捕された。


2016年8月10日水曜日

中学生の少女ら2人をコンパニオンとして派遣し、客の接待をさせた疑いで、指定暴力団六代目山口組「国領屋一家」系組長ら2人逮捕

接待業務に少女派遣 児童福祉法違反の疑いで暴力団組長らを逮捕 静岡

2016.6.29 07:01



18歳未満の少女2人をコンパニオンとして派遣し、客の接待をさせたとして、掛川署と県警少年課は28日、労働基準法と児童福祉法違反の疑いで、いずれもコンパニオン派遣業で、指定暴力団六代目山口組国領屋一家系組長の若松彰容疑者(67)=掛川市横須賀=と佐藤静恵容疑者(70)=同=を逮捕した。2人は「分からない」などと容疑を否認している。

逮捕容疑は共謀して昨年12月下旬、県西部に住む女子中学生=当時(14)=と少女=同(16)=を磐田市内の飲食店にコンパニオンとして派遣し、十数人の客に対してお酌などの接待をさせた疑い。

参照元 : 産経新聞


中学生らに接待させた疑い…山口組系組長ら2人逮捕

2016.6.28 13:50

静岡県警掛川署は28日、女子中学生と18歳未満の女性に接待をさせたとして、労働基準法と児童福祉法違反の疑いで、掛川市の指定暴力団山口組系組長若松彰容疑者(67)と、同居のコンパニオン派遣業佐藤静恵容疑者(70)を逮捕した。

逮捕容疑は2015年12月下旬、当時14歳の女子中学生と当時16歳の女性を、静岡県磐田市の飲食店にコンパニオンとして派遣し、十数人の客の接待をさせた疑い。

掛川署によると、2人は「覚えていない」と否認している。

参照元 : サンスポ

國領屋一家



國領屋一家(こくりょうやいっか)は静岡県浜松市中区萩丘5-7-1に本部を置く暴力団で、六代目山口組の二次団体。

◆國領屋一家組織図
総 長 - 富田丈夫(六代目山口組幹部)

◆執行部
若 頭 - 古山哲哉(十一代目下垂一家組長)
舎弟頭 - 鈴木正二(八代目霊岸島桝屋服部会会長)
本部長 - 和田 強(四代目宮野組組長)
舎弟頭補佐 - 斉藤文雄(二代目盛道会会長)
若頭補佐 - 野嶋秀樹(十三代目鍛冶町一家組長)

◆舎弟
事務局長 - 荒井三郎

◆幹部
渉外委員長 - 成井宏一(四代目古市一家組長)
組織委員長 - 戸塚幸宏(三代目今井組組長)

◆若中
若松 輝(二代目内藤組組長)

参照元 : wiki/國領屋一家

芳菱会
浜松市を本拠に瀧澤孝が結成。浜松市内に本部を置いた。1984年に「國領屋下垂一家九代目」として山口組の直参に昇格、その後“芳菱会”へ改名[5]。瀧澤は五代目ならびに六代目体制下の山口組で若頭補佐の役にあり、最高幹部の一員として山口組執行部の一翼を担った。2008年に病気療養を理由に執行部を退き、1990年から継続して務めてきた山口組関東ブロック長の役も同時に退任、新たに「顧問」の役に就いた。

山口組関東ブロック長としての首領の瀧澤は“浜松以東の山口組を牛耳っていた”状態にあったと見られている。この「芳菱会」の時代には、「國領屋下垂一家」、「國領屋鍛冶町一家」、「霊岸島桝屋服部会」、「三室組」、「尾高組」、「内藤組」、および「鮫島組」などの傘下組織があった。



國領屋一家
瀧澤の引退に伴い芳菱会は解散。若頭の役にあった富田丈夫が同組織の地盤を引き継ぐ形で「國領屋一家」を発足させた。

情勢
静岡県にあっては、同じく山口組系の「一力一家」、「清水一家」、「藤友会」、「良知組」、「弘道会」、「小西一家」、稲川会系の「大場一家」、「東一家」、「森田一家」、極東会系の「松山連合会」および「眞誠会」と並んで、県内での活動が見られる代表的な暴力団の一つである(2012年時点)。

歴代
芳菱会総長:瀧澤孝
國領屋一家総長:富田丈夫 ― 1943年生。浜松生まれで、賭場への出入りを通して國領屋下垂一家の組員と知り合った縁から1966年頃に同組織の若衆となり、同組織が「國領屋下垂一家九代目」として山口組の直系組織(二次団体)に昇格した1984年以降、一貫して同組織の若頭を担うこととなった。芳菱会時代には傘下国領屋下垂一家の首領で、同会第二の有力者であった。瀧澤孝の引退に伴い、2009年に山口組の直参に昇格。同時に“國領屋”の名跡を復活させた。2012年4月における山口組の大幅な刷新人事に伴い「幹部」の役に昇格。

参照元 : wiki/國領屋一家