2014年1月31日金曜日

千葉市の駐車場でケンカ 男性3人がナイフで刺された事件 元アウトローのカリスマ”瓜田純士氏”が腹を刺されて重傷

2013年10月14日の夜、千葉市の駐車場で起こったトラブル。刺された相手はあのカリスマアウトローで有名な瓜田純士氏だった。首を切られたのは瓜田氏の友人で内藤氏とのこと。TBSニュースはこの事件の記事を速攻で削除。なのでFNNニュースの記事を紹介します。

男性3人、けんかの男にナイフで刺され重軽傷 千葉市美浜区

2013/10/15 13:25


14日夜、千葉市の駐車場で、男性3人が、けんかとなった男にナイフで刺され、重軽傷を負った。警察は、殺人未遂事件として、刺した男の行方を追っている。14日午後8時ごろ、千葉市美浜区の駐車場で、男性6~7人のグループが、男ともみ合いになり、そのうち3人(20~30代)が、男にナイフのようなもので首や腹部などを刺され、重軽傷を負った。


刺した男は、丸刈りで小太り、年齢は40歳くらい、また、身長は170cmくらいで、灰色のスーツを着ていて、白い乗用車で、東京方向に逃走したという。被害者グループと刺した男の間に面識はなく、警察は、殺人未遂事件として、刺した男の行方を追っている。


参照元 :
FNNニュース




削除されたTBSニュース記事

千葉の駐車場でトラブル、男が3人刺し逃走



14日夜、千葉市美浜区の駐車場で40歳くらいの男と複数の男性がケンカになり、40歳くらいの男が3人を刃物で刺して逃走しました。14日午後8時半ごろ、千葉市美浜区の飲食店などがある駐車場で「6、7人が殴り合いのケンカをしている」と通行人の男性から110番通報がありました。

警察が駆けつけたところ、20代から30代の男性3人が血を流して倒れていて、このうち2人が首や腹を刺され重傷、1人が軽傷ということです。

警察によりますと、40歳くらいの男と6、7人の男性グループが「目が合った」などと駐車場でトラブルとなり、40歳くらいの男がグループのうち3人をナイフのようなもので刺して、白い乗用車で逃げたということです。

マスコミは刺された相手の詳細を何故か報じないなか、日刊サイゾーが報じてくれました。彼らが被害届を出さない限り刺して逃走した男は逮捕されないでしょう。相手が何者なのか気になります。

“元アウトローのカリスマ”瓜田純士氏ら刺され重傷 犯人は依然逃走中──

2013.10.18


 


“元アウトローのカリスマ”こと人気ブロガーの瓜田純士氏(33)が14日夜、刃物を持った男に襲われ、重傷を負っていることがわかった。15日付の新聞やテレビで「千葉市美浜区の駐車場で6、7人が殴り合いのケンカ。首を切られた千葉市の男性(36)と、腹を刺された東京都新宿区の男性(33)が重傷、豊島区の男性(27)が尻を切られ軽傷」という報道があり、住所や年齢が一致していることから、「被害者の1人は瓜田氏ではないか?」というウワサがネット上を駆け巡った。


日刊サイゾーでは、さっそく本人に確認を取ろうとしたが、丸一日たっても音信不通。


そこで、事件翌々日の16日に事件現場へ向かい、周辺の人々に聞き込み調査をしたところ、被害者の1人が瓜田氏であることが判明したのだ。事件現場となったのは、同区幕張西にあるファミリーレストランの駐車場。当日、事件を目撃したという会社員(24)が、そのときの様子を語る。


「夜8時半頃、近くを通りがかったら、駐車場のほうから怒鳴り声が聞こえた。驚いて振り返ると、グレーのスーツを着た大柄な男性が、短髪の男性を突き飛ばしているところだった。その後、短髪の男性の仲間とおぼしき2~3人の男性が駐車場の奥のほうから駆けつけて来て、もみくちゃのケンカが始まったのだが、あとから来たうちの1人が、いつもブログで見ている瓜田純士さんだったから驚いた」


この会社員はとばっちりを受けるのを恐れ、いったんその場を離れたが、数分後に戻って来たときには、現場は凄惨な状況だったという。


「最初に突き飛ばされた男性は、首から大量に出血した状態で仰向けに倒れていて、意識がないようだった。それを泣きながら介抱していた瓜田さんもケガをしており、上半身が血まみれだった。その近くでもう1人、若い男性が痛そうにうずくまっていた。スーツの男性は、現場からいなくなっていた」


別の目撃者(31)はこう語る。


「加害者は恰幅のいいヤクザ風の男で、白い車で走り去った」


捜査関係者は、瓜田氏が被害者に含まれていることを暗に認めつつも、詳細についてはノーコメント。18日現在、犯人は逃走中で、瓜田氏とも連絡を取れずじまいであるため、事件の原因は不明のままだ。日刊サイゾーでは今後もこの事件を追い、何か新しい情報が入り次第、続報をお届けする。


参照元 : 日刊サイゾー

瓜田氏が削除した事件に関してのブログの記事と刺された腹の傷の画像

 


参照元 : 雨の外は雨こんこん


首を切られた千葉市の男性(36)=内藤氏


腹を刺された東京都新宿区の男性(33)=瓜田氏


 


しかし、7対1でたった一人に負けるとはトホホですね(笑)ナイフで7人蹴散らして逃走した40代の男はある意味凄い。ヤクザ風の男というところが味噌(笑)


これ普通のサラリーマンだったら凄い。やはり格闘技経験者であっても、ストリートファイトでナイフを持った相手には敵わないのか?


首を切られた千葉市の男性、内藤裕氏かつて"人刺し裕"の異名を取った千葉の伝説的チーマーで、ストリートファイトはもちろんのこと、キックボクシング経験も豊富な猛者である。


内藤氏と瓜田氏の繋がりは地下格闘技の試合で、瓜田氏の引退試合の相手を務めたのが内藤氏だった。内藤氏の圧勝だったが、試合後に友情が芽生えたらしい。


<その時の試合の様子>


「さらば、愛しのアウトロー」カリスマ・瓜田純士引退試合 雄々しき華の散った夜(後編)

2012.01.21

 

さて、控え室には黒人のSP以外にもコワモテがふたりいて、瓜田の身辺警護にあたっていた。ワンターレンとタイソン。いずれも瓜田の弟分である。

彼らはなぜ、瓜田を慕い、ついて行くのだろう? ワンターレンに話を聞いた。

──瓜田さんとはどれぐらいの付き合いですか?
「知り合ったのは、17年ぐらい前になりますね。2コ上の、地元のお兄ちゃんって感じですね」

──どこで知り合ったんですか?
「地元は一緒だけど、中学は別で。僕、台湾人なんですけど、僕の友達の台湾人の中学の先輩が瓜田君だったんですよ。当時の僕はケンカばっかしてて、瓜田君もそうだったから、名前だけは聞いていた。ただ瓜田君は、気安く近付ける存在じゃなく、新宿の不良の間では『この人には触れちゃいけない』っていう存在の方だった。でもその時代に、ひょんな縁からお会いすることになり、すぐに意気投合しまして。以来、苦楽を共にしてきたというと大げさかもしれませんけど、ずっと背中を見てきましたね。途中、仕事の関係とかでずっと会わない期間もありましたけど、半年前に久々に再会して、今に至るという感じです」

──久々に会ったときの瓜田さんの印象は?
「良くも悪くも昔と変わらないな、相変わらず子どものように純粋な方だな、と。昔から男の生き方の美学の体現者みたいな方なんで、懐かしくも感慨深いものがありましたよ」

──弟分は通常、兄貴分に振り回されることが多いですが、ワンターレンさんはどうでしょう?
「いや、逆に僕が迷惑をかけてばかりですね。詳細は言えませんけど、瓜田君の現役時代にも、かなり迷惑をかけましたね。手打ちが済んだのに、水面下で僕が勝手に襲撃しちゃったり......。そういう手打ち破りとかで、随分ご迷惑をおかけして、よく瓜田君に怒られました。僕も当時は若かったので、瓜田君の背中を追いかけるがゆえに、過激になりすぎてしまうというか。追いつけないんですけど、追いつけないなりに背伸びするという。ケンシロウの背中を追っかけるバットみたいなもんですね。で、そのケンシロウがまた、ケンカをいちいちすべて拾うんですよ(笑)。売られたケンカは全部買うスタイルだったんで、瓜田君は。見て見ぬ振りすればいいのに見過ごせない、見たからにはやる、みたいな。それがいいところでもあるんだけど、疲れるでしょうね、本人は。小さな頃からそのように生きているので。サムライですよね。生まれる時代を間違えたのかもしれませんね」

もうひとりの弟分であるタイソンも、瓜田のことを「不器用だけど熱い男。その魅力は会って話せば分かる」と評した。

では、対戦相手の内藤裕は、瓜田のことをどう思っているのだろう? 内藤はかつて"人刺し裕"の異名を取った千葉の伝説的チーマーで、ストリートファイトはもちろんのこと、キックボクシング経験も豊富な猛者である。試合前に話を聞いた。

──瓜田さんと面識は?
「あるよ。1回飲んだことあるし、気も合うし、ブログも読んでる。ああいうメチャクチャな奴は大好きだね」

──今回はどういう経緯で、瓜田さんの引退試合の相手を務めることに?
「去年の大みそかに、猪木の格闘イベントを見に行ったら、たまたま渋谷(莉孔/BERSERKERの関係者)と会ったんだよ。で、『もうすぐ瓜田の引退試合があるみたいだけど対戦相手は決まったの?』って聞いたら、『まだ決まってないんですよ』と言う。だから俺、渋谷にこう言ったんだ。『あいつとは気が合うんだけど、あいつの引退試合だから、相手がいないんだったら俺がやってもいいよ。その代わりノールールで、ガチンコの殺し合いをするよ。瓜田がそれでよかったらやるよ』って」

──気が合う相手をガチンコで殺せるものですか?
「気が合うからこそ、本気で殺れるんだよ。あいつがアウトローの世界、ヤクザの世界を辞めてカタギになるって決めたなら、そこまでの意思があって最後の戦いって決めてるなら、じゃあ俺と本気で殺し合いしようぜ、って」

──大みそかに渋谷さんと偶然会っていなければ、今日のカードは実現していなかったわけですね。
「そうだね」

──思い起こせば、3年前。瓜田さんを挑発するなど生意気盛りだった渋谷さんに、格闘技の厳しさを教えたのは、内藤さんでしたね。そして今回、その渋谷さんとばったり再会したのをきっかけに、こうして内藤さんと瓜田さんが戦うことになるとは、人の縁の不思議さというか、宿命じみたものを感じます。
「エキシビションだの馴れ合いだの言ってる客もいるみたいだけど、まったく違うよ。これは殺し合いだから。内藤と瓜田っていう人間の、今までアウトローの世界の中で生き残ってきた俺らの、ガチンコの殺し合いだから。遊びじゃないよ」

その言葉に偽りはなかった。「1分1ラウンド・ノーグローブ・判定ナシ」で行われた試合は、まさに殺気に満ちた、壮絶な戦いとなった。試合経過は以下の通り。

 

ゴングと同時に瓜田は前進しながらワンツーパンチを繰り出すが、いずれも空振り。ノーガードの瓜田の頭部へ、内藤の右ストレートがヒット。両者もつれ合うようにマットに倒れる。内藤はすかさず瓜田を脇から固め、パウンドをラッシュしようとするが、瓜田が激しく暴れるため捕え切れず、いったんブレイク。

再開後、「来い来い」と挑発しながら、瓜田が右ミドルを放つ。これをかわした内藤が、左、右、左と連続で大振りのパンチを放つと、アゴにヒット。瓜田は大きくのけぞり、後頭部を金網に打ち付けながらダウン。倒れた瓜田の頭部を抱え込み、顔面、ボディ、後頭部めがけ、ほぼ無呼吸状態で鉄槌の雨アラレを降らせる内藤。あまりの一方的な展開に客席から悲鳴が上がる。

ラスト30秒のアナウンスが流れたところで、レフリーがいったんストップをかけ、瀕死の瓜田を抱き起こす。瓜田が戦闘意思を示したため、リスタート。

 

 

 

瓜田、右ストレートを放つも当たらず。一方、内藤の放った右、左、右、右の連打は立て続けにヒット。金網にぶつかりながら瓜田はダウン。その瓜田を背後から押さえ込み、渾身の力を込めて左右の拳を狂ったように振り下ろす内藤。瓜田の抵抗が徐々に弱まり、いよいよヤバいというところで試合終了のゴング。

マットを叩いて悔しがる瓜田。あれだけ殴られてもまだ意識があるとは、恐るべし精神力。内藤が放ったパンチの数はなんと、60秒間で77発だった。

ゆっくり起き上がり、自らの頭に水をかけた瓜田。内藤に歩み寄り、ガッチリ抱き合い、何度も握手。互いの健闘を称え合った。

 

試合後の瓜田にインタビュー。

──試合の記憶はありますか?
「3回ぐらい飛びかけたかな。でも、何がなんでも最後まで、って気持ちが強かったから。倒れてガガガガガッて攻められてる最中も、我龍君(レフリー)は、俺が必死でもがいてるのを見て、止めたくても止められなかったみたいだね。『最後までやらせたかった』って。正直、手も足も出ないほど力の差はあったけど、俺自身、最後まで気持ちは折れなかった。1回記憶が飛んだあとに立ち上がったときも、自分から『来いよ、オラ!』って言えたから、そこで自分にまた喝が入って、どうにか最後までやり切ることができました」

──痛みは?
「ないですね。あとで痛くなるのかなぁ」

──引退試合を終えた感想は?
「最後抱き合ったときに内藤選手が、『俺は瓜田君の応援者だよ。俺は格闘技しかできないから格闘技を続けるけど、瓜田君は本とか映画とか音楽の世界で絶対頑張ってよ。すげえ応援してっから』っていうのを客の目を気にせず言ってくれたのが、うれしかったし、その言葉を聞いて、ああ俺、いよいよ違うステージに行くんだなってことを実感しました。最後の相手が内藤選手で本当によかった。すげえいい男でしたね」

 

──最後に一言。
「たぶん今日の試合で、今の若い子たちに伝わったと思いますよ。アウトローってのはこうなんだな、魂なんだな、意地ってのは張り通さなくちゃいけないんだな、ってことが。無様さらしても何さらしても素手でリングに上がって、ボコボコにされても何度も立ち上がって、最後は相手と称え合う。そんな俺の姿を見て、きっと何かを感じてくれたお客さんもいると思う。弱くてすいません、って思いもあるけど、今後は違うステージに行きますから、引き続き応援をよろしくお願いします」

まるで憑き物が落ちたような柔らかい表情で、そう語る瓜田であった。

 

参照元 : 日刊サイゾー





若い頃の瓜田純士氏は、かなりごつかった。シャブが原因で痩せてしまったのか?・・・





瓜田 純士(うりた じゅんし、1979年12月4日 - )は、日本の俳優で、自称格闘家。ほか、作家、映画監督、モデル、エッセイスト、表現者などの肩書きもあり。過去10年間にわたって暴力団に所属。“元アウトローのカリスマ”の異称を持つ。かつては“アウトローのカリスマ”と紹介された時期もあった。

顔面に描いたタトゥーが外観上の顕著な特色で、地下格闘技界の立役者的な人物の一人であることに加え、かねてより様々な騒動を引き起こしてきたスキャンダラスな人物としても知られる。“半端じゃない”を意味するインターネットスラング「パネェ」を普及させた人物でもある。

来歴
1979年、東京都新宿区新宿に出生。暴走族『ブラックエンペラー』の2代目総長を父親に持ち、16歳で暴力団へ加入した。

2008年
3月30日、前田日明のプロデュースによる格闘技大会「THE OUTSIDER」の旗揚げ大会に“新宿のカリスマ”という触れで出場。aym-jetと対戦し、グラウンド状態での踵落しを繰り出し、TKO勝ち。
7月19日、「THE OUTSIDER 第弐戦」に出場。大谷匡弘と対戦し、1R28秒レフェリーストップで敗北。
9月12日、作家デビュー作「ドブネズミのバラード」(太田出版)発売。
12月26日、地下格闘技イベント「喧王」Zepp Osakaに参戦。招待戦スペシャルワンマッチでチョコボール金山と対戦し、判定により敗北。

2009年
1月18日、国立代々木第2体育館で開催されたムエタイ興行「ムエローク Japan 2009 〜最大最強のムエタイ祭り〜」で元ルンピニー・スタジアム認定ライト級王者チャンデー・ソーパランタレーと2分2Rのエキシビションマッチを行った。
4月10日、「喧王」2戦目、ジャックナイフ林にKO負け。
4月12日、「新宿アースダム 〜KING OF TATTOO LIVE〜」に参加。
4月25日、『ブルーベリー 〜僕の詩 母の歌〜』(GPミュージアム)が全国発売。
8月、芸能プロダクション「ニートロウ」所属となった。

2010年
自身3冊目の著書にあたる『泥だらけのありがとう』を上梓。

2011年
8月25日、タトゥーナビにて連載"瓜田純士の僕の心は顔面タトゥー"をスタート。
11月6日、地下格闘技イベント『益荒男-MASURAO-第伍陣』に出場し、覆面選手の“ミスターX”と対戦、1ラウンド終了後休息中のミスターXに突如膝蹴りを浴びせるという反則行為によりノーコンテストで試合中断となった[15]。

2012年
1月15日、地下格闘技イベント『BERSERKER(バーサーカー)』の旗揚げ大会に出場。この大会における内藤裕との「1分1ラウンド・ノーグローブ・判定ナシ」の金網戦をもって、格闘技から引退した。

諸騒動
自著や自作映画などによれば、不良として台頭した少年時代から15年間のうちに傷害や覚醒剤使用などで12回もの逮捕歴を持ったという。かつて参画していた地下格闘技界にあっても、『THE OUTSIDER』から追放処分を受けるなどで“問題児”としてその名を馳せた。2012年には、モデルでタレントのJOYの姉にあたる女性(ソフィア・グリーンウッド)を「家族や事務所ごと潰してやる」「芸能界から消えろ、弟がどうなっても知らないぞ」などと脅迫したとして警視庁に逮捕されている[21]。この女性を歌手デビューさせようとして進めていたプロデュース計画が頓挫したことが事件の発端であったという。

自身と関東連合との繋がりを示唆するようなメディア報道がかねてより存在してきたものの、それに関しては、2012年に発生し幅広い報道の対象となってきた「六本木クラブ襲撃事件」に関し、2013年、「(自身は)一連の事件とは一切関係ない」としたうえで、実行犯として出頭した者らを名指しで批判、さらに関係人物らの過去の写真を週刊誌メディアに提供してきた人物を激しく批判するなどしている。

同年には、10月に千葉市内で発生した刺傷事件の当事者となり重傷を負った可能性を示唆する報道が流れている。

参照元 : ウィキペディア





路上刺傷事件で重傷を負った“元アウトローのカリスマ”瓜田純士氏と生死の境をさまよった“人刺し裕”こと内藤裕氏が事件を語る

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