2016年2月4日木曜日

【宇都宮監禁殺人事件】壮絶な犯罪人生の暴力団組長・後藤良次(死刑済)

宇都宮監禁殺人事件【後藤良次】

平成12年7月30日未明、暴力団組長・後藤良次(当時42歳)は、茨城県常陸太田市の知人で人材斡旋業の斎藤正二さん(当時33歳)に面子を潰されたと激怒して、仲間の元暴力団員・小野寺宣之(当時33歳)と共謀して暴行。その後、両手両足を縛って那珂川に投げ込んで殺害した。

宇都宮監禁殺人事件

-経緯-
平成12年7月30日未明、暴力団組長・後藤良次(当時42歳)は、茨城県常陸太田市の知人で人材斡旋業の斎藤正二さん(当時33歳)に面子を潰されたと激怒して、仲間の元暴力団員・小野寺宣之(当時33歳)と共謀して暴行。その後、両手両足を縛って那珂川に投げ込んで殺害した。

同年8月20日午後10時50分頃、栃木県宇都宮市内のマンションに住む元自動車販売業で知人の小堀展史さん(当時37歳)方に、後藤、小野寺など5人が上がりこみ、不義理を働いたという理由で小堀さんとその仲間4人の両手両足を縛って監禁。4人に高濃度の覚せい剤を注射して飲食店店員の小林潤美さん(当時24歳)を急性薬物中毒で死亡させた。また、他の3人には刃物で胸などを刺した後、灯油をまいて放火。後藤等が現場から逃走した直後に、被害者の男性が消火したため3人の命は助かったが重軽傷を負った。

-死刑確定/上申書-
平成15年2月24日、宇都宮地裁は後藤に死刑を言い渡した。平成16年7月6日、東京高裁は一審判決を支持して後藤の控訴を棄却。平成19年9月28日、最高裁は後藤の控訴を棄却して死刑が確定した。尚、小野寺には無期懲役が確定。

後藤は、東京高裁の死刑判決後、茨城県警に2件の殺人に関与したという内容の上申書を提出した。その内容に県警は驚愕。裏付け捜査を開始した。第一の殺人事件は、平成12年12月8日に茨城県城里町の山林で発見されたカーテン販売会社社長Aさん(当時67歳)の死亡事件。当時、県警は病死と判断し事件としては扱わなかった。

今回の後藤の上申書によって、Aさんの妻(当時74歳)、娘(当時49歳)、その夫(当時51歳)、兄(当時58歳)とその妻(当時54歳)を逮捕して取り調べた結果、Aさんを殺害して保険金を騙し取ろうとAさんの妻が後藤に相談した。そこで後藤は、Aさんにウォッカを飲ませて泥酔状態にして殺害したことを自供。この時、保険金8000万円を騙し取った。

また、平成11年5月に、宇都宮市内で自営業のBさん(当時47歳)が首吊り自殺した件。当時、後藤はBさんに金を貸していたとされ、Bさんには1000万円の保険が掛けられていた。これも、後藤がBさんを絞殺した後、自殺に見せかけたと自供した。これが真実であれば、後藤は4人の殺害を犯したことになる。更には、これらの一連の犯行の首謀者は、茨城県在住の男で、現在娑婆で平然と暮らしているとの告白をしており、目下県警が捜査中である。

参照元 : 事件史探求

後藤良次の経歴



後藤良次



宇都宮監禁殺人事件【後藤良次】

14歳:窃盗、暴力行為、初等少年院1年

16歳:稲川会系幹部と付き合いができ暴力団の組に入る。

17歳:窃盗、器物損壊、中等少年院

19歳:器物損壊、特別少年院

20歳:公務執行妨害と傷害で逮捕。久里浜特別少年院で職員とトラブル・乱暴で懲役1年4ヶ月水戸少年刑務所

22歳:窃盗・器物損壊・住居侵入で逮捕。懲役10ヶ月、水戸少年刑務所

22歳:組解散

23歳:恐喝で逮捕。起訴猶予

23歳:稲川会上州田中一家小田組(後の大前田一家)の組員になる。

28歳:組の支部を水戸に作り、組支部長。

31歳:対立する住吉会系諏訪組組長射殺。出頭、逮捕。処分保留、不起訴。

33歳:前橋に戻り、総長の直参になる。

35歳:「後良組」を構え、組長になる。

35歳:暴力行為、銃刀法、火薬類取締法、覚せい剤取締法違反、懲役4年福島刑務所

39歳:仮出所。郷里の宇都宮に戻って「後良組」あらため「後藤組」とするが再興できず。

駐車違反、女性交通巡査員二人を脅し、違反キップを無理やり奪い取り、破って捨てたp176。公務執行妨害で逮捕状が出た。それで、宇都宮を離れ内縁の妻の実家や旧友で大前田一家の元組員がいる水戸へ流れた。

40歳:知人の自営業者(47歳)を絞殺。首吊り自殺に見せかけたと2007年に自供。

大前田一家の元組員の不動産ブローカーの紹介で堅気になるために“先生”と知り合う。

羽振り急によくなる。内縁の妻に生活費と貯金分として80~100万円/月。

41歳:“先生”が殺害した死体の焼却処理を手伝う。

41歳:“先生”の土地売却計画の土地所有者倉浪の生き埋め手伝う。

42歳:①ムショ仲間の佐々木を、嘘に騙されたという理由で、紐やガムテープでスマキ状態にして生きたまま川に投げ捨て殺害。

②4人が不義理をしたという理由で、5人で押しかけ、4人を縛り上げ、高濃度の覚せい剤を大量に注射1人死亡、3人はハサミでメッタ刺し。体や居間に灯油をまいて、火を放った。乗用車奪い逃走。

③“先生”の保険金殺人計画のカーテン屋殺害の手伝い。

④逮捕。

44歳:死刑判決

46歳:“先生”のところにいた藤田幸夫が自殺。

47歳:新潮記者と面談開始:逮捕から5年が立っている。

参照元 : 映画『凶悪』残虐性は「人間が持つ普遍的な暗部」と描く。だが最新科学は先天的障害であるとする(その6)

一審
2003年2月24日 宇都宮地裁 飯渕進裁判長 死刑判決

控訴審
2004年7月6日 東京高裁 山田利夫裁判長 控訴棄却 死刑判決支持

上告審
2007年9月28日 最高裁第二小法廷 津野修裁判長 上告棄却 死刑確定

裁判焦点
弁護側は、女性が死亡した事件について「強盗致死罪ではなく、傷害致死罪を適用すべきだ」と主張。しかし、飯渕裁判長は判決で「関係証拠を総合すれば、女性に対する強盗の故意が認められ、強盗致死罪が成立する」と退けた。判決では、宇都宮事件について「事件に巻き込まれて非業の死を遂げており、尊い命を永遠に閉ざされた苦痛や無念さは察するにあまりある」と述べた。また水戸事件については「深夜の大河に投げ落とされ、太平洋の沖合まで流されて1週間近く漂流し、魚に一部をかまれた変わり果てた姿で発見された。男性の苦痛や無念は、いかばかりかと思われる」と指摘した。そして「わずか3週間に連続して死者1人ずつを出し、被告の罪は余りに重大。極刑をもって臨むのはやむを得ない」

被告側は「個別の証拠を分析すると強盗致死と認定するのは困難であり、判決は事実誤認。量刑も不当」と控訴した。判決理由で山田裁判長は「非情の限りを尽くした悪らつな犯行で、被告の冷酷さは常人の理解を超えている。被害者への凶悪な行為を主導的に重ねており、首謀者として刑事責任は重大だ」と指摘した。「当時、覚せい剤の影響で心神耗弱状態だった」とする弁護側の主張は「動機などの被告の供述は理解可能で、責任能力に問題はなかった」として退け、「凶悪な犯行を重ねた被告を極刑とするのはやむを得ない」と結論づけた。

上告審の弁論で、弁護側は「被告は反省と後悔の念から、余罪をすべて捜査機関に告白した」と主張。「新たに起訴された事件には上告事件の共犯者がかかわっている。一、二審判決はこれを考慮しておらず、新たな証拠調べの必要がある」と指摘。「死刑が確定すれば、いつ執行されるか分からず、他の事件が闇に葬られる」と述べ、一審への審理差し戻しを求めた。また弁護側は「覚せい剤の影響による心神耗弱状態だった」として死刑回避を求めた。検察側は「自己中心的で短絡的な暴力団特有の犯行」と上告棄却を求めた。

判決で津野裁判長は「5人の被害者のうち2人の生命を奪い、3人に重傷を負わせたという結果は重大」「犯行は冷酷、非情。遺族の処罰感情は厳しく、社会に与えた影響も大きい」と述べた。その上で、「1人の死亡は確定的殺意に基づくものではないことなど、被告人のために酌むべき事情を十分に考慮しても、被告人の罪責は重大で、死刑を是認せざるを得ない」とした。

死刑確定囚(2007年)後藤良次

その後
後藤被告は、1999年11月から2000年にかけて殺人2件と死体遺棄1件に関与したという内容の上申書を、2005年10月17日に茨城県警へ提出した。日立市に住む元不動産ブローカーが主犯と主張。いずれも殺人・死体遺棄事件として把握されていなかった。

2006年11月25日、茨城県警組織犯罪対策課は詐欺の疑いで、殺人事件の被害者とされたカーテン販売会社社長男性(当時67)の妻で無職KS容疑者(74)、KS容疑者の娘のKK容疑者(49)、その夫のKM容疑者(51)、KM容疑者の兄で建築業NK容疑者(58)と妻のNS容疑者(54)を逮捕した。5人は共謀の上、2000年10月19日、県内の金融機関で、名義を偽って普通預金口座を開設し、通帳2通をだまし取った疑い。

同課はこの口座が男性の生命保険金の受け取りに使われたとみている。上申書で、KS容疑者らは殺害計画に関与したと指摘されており、同課は男性が死亡した経緯などについて捜査を進める。KS容疑者は容疑を否認しているが、他の4人は大筋で認めている。

男性は2000年8月、同県城里町の山林で遺体で発見され、病死と判断された。上申書によると、後藤被告らは男性に約8000万円の生命保険をかけて大量の酒を飲ませ殺害し、遺体を山中に遺棄するなどした。当時、男性の会社に多額の負債があり、KS容疑者らが保険金殺人を持ちかけたという。

2006年12月9日、茨城県警は日立市内の飲食店で店員にいいがかりをつけ謝らせたとして同市の元不動産ブローカー、三上静男容疑者(57)を強要容疑で逮捕した。容疑を否認している。三上容疑者は2005年9月23日午前1時20分ごろ、同市内の飲食店でアルバイト店員(当時21)に「(出されたものが)注文したものと違う」といいがかりをつけ、胸ぐらをつかむなどして謝罪させた疑い。

後藤被告は上申書の中で、新たに逮捕された男、男性の妻らと共謀し、同市の民家で男性にアルコール度の高いウオツカを無理やり飲ませ、保険金目的で殺害したと記した。男性は2000年8月15日朝、同県城里町の山林わきの路上で倒れていたのが発見された。県警は病死として処理し、家族に生命保険金約8100万円が支払われた。

2007年1月26日、カーテン販売会社社長殺人容疑で、後藤被告、三上被告、KS被告、KK被告、KM被告と、元暴力団組員ON受刑囚、無職UM受刑囚、元土木作業員SK受刑囚が逮捕された。後にON受刑囚、UM受刑囚、SK受刑囚は不起訴処分となった。

7月5日、水戸地裁で開かれたKS被告とKK被告、KM被告の初公判で、3被告は起訴事実を認めた。

7月26日、水戸地裁の河村潤治裁判長は、KS被告とKK被告に懲役13年(求刑懲役16年)、KM被告に懲役15年(求刑懲役18年)を言い渡した。3被告は控訴したが、KS被告は8月28日、KM被告が30日、KK被告が31日に控訴を取り下げ、確定した。

12月19日、後藤死刑囚が栃木県警の調べに対し宇都宮市で1999年に男性を殺害したと供述していることが判明。後藤被告が供述した知人男性は、宇都宮市内の自営業者の男性(当時47)。共犯の存在も明らかにしたという。後藤死刑囚が茨城県警にこの事件を自供し、同県警から栃木県警に連絡があった。男性は1999年5月、宇都宮市内の自宅近くで、木にかけたロープで首をつった状態で見つかった。

検視の結果、男性の死因は窒息死で、男性が書いたとみられる遺書も残されていたという。遺書の内容やくらしぶりから、県警は金銭トラブルが原因の「首つり自殺」と判断し、司法解剖はしなかった。後藤被告は男性に金を貸していたとされ、男性には1000万円の保険金が掛けられていた。しかし後藤被告の供述と遺体の状況は一致しなかったとされる。

三上静男被告はカーテン販売会社社長殺人容疑で起訴。2009年2月26日、水戸地裁で求刑通り一審無期懲役判決。8月24日、東京高裁で被告側控訴棄却。2010年3月3日、被告側上告棄却、確定。

後藤良次被告もカーテン販売会社社長殺人容疑で起訴。2009年6月30日、水戸地裁で懲役20年(求刑無期懲役)判決。2010年3月17日、東京高裁で被告側控訴棄却。2012年2月20日、被告側上告棄却、確定。

死刑確定囚(2007年)後藤良次

参照元 : naverまとめ


後藤良次・三上静男



2005年に発覚した上申書殺人事件の主犯。後藤良次は元ヤクザで別件により逮捕され死刑判決を受けていたが、自らの関わった三件の殺人事件を告白し、主犯として三上静男を告発した。三件のうち一件が立件され、後藤・三上を含む8人が逮捕された。2010年、三上の無期懲役が確定した。

<概要>
後藤良次は群馬県を本拠地とする暴力団の幹部で、自らも後良組(後に宇都宮後藤組へと改名)を構えていた。

1990年、後藤は敵対する暴力団組長を射殺して逮捕されるが、証拠不十分により不起訴処分。

1994年には暴力行為や銃刀法、覚せい剤取締法違反などで群馬県警に逮捕され、懲役四年の実刑判決を受けた。

1998年に出所後、茨城県へと移動した後藤は不動産ブローカーの三上静男と出会う。三上の指導の下、後藤は不動産関連の仕事で成功を収める。このため、後藤は三上を「先生」と呼んでいる。そして三上と後藤は共謀して、いくつもの事件を起こした。

2000年7月、後藤は舎弟と共に刑務所時代の知り合いだった暴力団関係者を殺害(水戸事件)。被害者は生きたまま簀巻き状態にされ、橋の上から那珂川に投げ捨てられた。翌月の22日、後藤は舎弟ら4人と共に宇都宮市のマンションで男女4人を縛り上げ監禁。女性一人に多量の覚醒剤を打ち、残る3人をめった刺しにした挙げ句、灯油をまいて放火した。

この事件では覚醒剤を打たれた女性が死亡、残る三人も重軽傷を負った(宇都宮事件)。8月30日、後藤は水戸事件・宇都宮事件の共犯者らと共に逮捕された。なお、この時逮捕された後藤の舎弟らも後述の事件に関わっている。その後、2007年、後藤は最高裁で死刑判決を受けた。同時に逮捕された舎弟らも無期懲役などの実刑判決を受けた。

さて、後藤が三上との犯罪を告発したのは2005年のことだった。当時、彼は一審・二審で死刑判決を受け上告中の身であり、東京拘置所に収監されていた。告発のきっかけは三上に世話を頼んだ舎弟が自殺したことだった。

なおこの舎弟は没落した資産家の生まれで、その財産は三上の手により処分されている。彼の母親も保険金殺人のターゲットにされていたようだ。この一件に後藤は激怒、三上の関わった事件について上申書を提出し、新潮45にも告発の手紙を送った。

告発された事件は以下の三件。

(1)1999年11月、金銭トラブルにより三上が60代男性を殺害。後藤は遺体を燃やして処分した。

(2)1999年11月、茨城県の資産家男性を共謀の上で生き埋めにして殺害。被害者の土地は三上名義に変更され、売却された。

(3)2000年8月、茨城県の内装店経営の60代男性を自殺に見せかけて殺害。この事件は被害者の家族や取引先社長の依頼による保険金殺人で、警察も自殺として処理していた。

捜査中、依頼者である被害者家族と三上との仲介役を果たした男性が交通事故で死亡した。この男性は一つ目の事件にも関わっていたとされる。捜査は更に難航し、結局、三件のうち立件されたのは2000年の保険金殺人のみである。

2005年、殺害を依頼した被害者の妻、長女夫妻と後藤を含む実行犯4人、そして三上が逮捕された。

2007年、被害者家族らには懲役13〜15年の判決が確定。

2010年には三上の無期懲役が確定した。

なお、後藤は既に水戸事件と宇都宮事件で死刑が確定している(2007年)が、この事件でも懲役20年が確定している。

<ノンフィクション>



凶悪―ある死刑囚の告発 「新潮45」編集部 新潮文庫

後藤の告発の手紙を受け、取材を開始した新潮45の連載や後日談をまとめた一冊。記者らの取材により事件の衝撃的な全容が明らかになっていく過程は、時間を忘れる面白さ。



上記の本を原作に映画化(2013年)もされている。

余談だが、三上静男というのはよく分からない男だ。人格的には北九州監禁殺人の松永太や埼玉愛犬家殺人の関根元なども近いような気がするが、三上は彼ら以上に底が見えない感じを受ける。えげつないことを散々やっているが、実際に手を汚していたのは後藤などのヤクザ。

手口は巧妙で、共犯者も自殺したり事故死したりしたため、警察の追求でも事件の多くは立件出来なかった。後藤による告発がなければ逮捕されることすらもなかっただろう。 その一方で、三上は家族思いであり、人望もあった。

後藤だって三上に任せた舎弟が死ななければ告発には踏み切らなかっただろうと思われる。本件を扱った書籍は今のところ上に挙げた『凶悪』しかないのだが、三上を改めて掘り下げても絶対面白いと思う。

参照元 : 犯罪・私的メモ

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