2017年6月15日木曜日

任侠団体山口組を結成した織田絆誠代表(50),「苦しむ同志を、早急に救わなければならないのです。民間軍事会社を設立する」

「任侠団体山口組」織田代表「あるべきヤクザの姿を取り戻す」

2017/6/14(水) 16:00配信



「我々は、これまでの固定観念をひっくり返し、自分らの主義主張をはっきり伝えることも必要だと考えました。業界を根底から覆すつもりです」

神戸山口組から分裂し、新たに「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50)。

ヤクザ界に入り30年余り。武闘派として勇名を馳せ、神戸山口組の若頭代行として、全国の組織を激励して回った。だが、将来を嘱望されていたにもかかわらず、茨の道を選んだ。

「苦しむ同志を、早急に救わなければならないのです」

衰退するヤクザ界への危機感。紡ぐ言葉には、新組織名に冠した「任侠」哲学、「業界革命」への決意が滲んでいた。

「今回私がこうした行動を取ったことは、同業者の皆さんからすると意外のひと言だったでしょう。私には井上(邦雄神戸山口組)組長への忠誠心の塊のようなイメージがありましたから。今回はそうした個人的評価を落とす覚悟で、あえて立ち上がった。私の人物評より、全国で苦しむ多くの同志たちを、早急に救うことをより重要かつ最優先すべきことだと考えたからです」

4月30日、「任侠団体山口組」を立ち上げた織田絆誠代表は、神戸山口組からの離脱についてあらためてそう語った。織田代表は、神戸側の結成直後から若頭補佐、その後に若頭代行に抜擢され、神戸山口組井上組長の最も信頼する腹心だった。

2015年8月27日、六代目山口組から分裂した神戸山口組内で、何があったのか。

「神戸山口組を立ち上げたということは、確かに盃(の意味)を崩壊させた。しかし、それ以上の大義があったのです。六代目側では多額の上納金、それに(六代目山口組司忍組長の)出身母体である弘道会への贔屓、さらに下からの進言諫言を聞かないという問題があった。

若い者は非常に苦しんでいました。だから我々はいったん外に出て、外から正すのだと。私は全国の組織を回り、その大義を代弁してきたのです。我々は私利私欲を満たすために出たのではない。山口組を残すため、若い者の将来のため、いつか二つを一つにするためなんだと。

ところが、六代目側から出た神戸側だったのに、その内実は六代目側と同じだった。表向き上納金は安くなったといわれていましたが、実態としてはそうではなかった。

また井上組長が組長を兼務する山健組への贔屓、さらに進言諫言を聞かない。これはおかしい、矛盾だらけじゃないですかと。全国の同志たちからも、不平が噴出した。矛盾に気がついてしまったのです。

『この抗争には大義がない。私利私欲じゃないか』という声が結成後わずか半年足らずで出始めました。それに対し私は、『もう少し辛抱してくれ』と言い含めてきた。これは早く再統一しないと神戸側が沈んでしまうという危機感が、日増しに強まっていました。

私は『遅くとも(2016)年内、もしくは(2017年の)年明けには終わらす』と同志たちを励ましてきた。それは神戸側の重鎮から、六代目側が『司組長が神戸を戻らせたいと望んでいる』との感触を聞いていたからです。

我々が襟を正し、六代目側も襟を正す。身贔屓のない公平な山口組なら、二つは一つになれたものと今でも確信しております」

織田代表は、神戸側から離脱し「任侠団体山口組」を結成したことについて、「山口組を一つに統一するための離脱」だと言う。

「(六代目側から分裂した)この1年8カ月、特に2016年9月5日のサイン騒動以降、真剣に思い悩み、なぜかを問う連続でした。なぜこうなるのか。自分なりに考えた結論として、てっぺん(組長)に座ることを目的とすると、座った途端に人は変わってしまうと。

てっぺんに座るまでは皆いい人です。身銭も惜しまず使うし、進言諫言も聞く。すごく物分かりがいい。でも、そこがゴールだとほっとするのでしょう。本来組長になることは、大きな責任感から、そこをスタートにしなければいけない。そう捉えることができる人がてっぺんに座るべきです。

だからこそ任侠団体山口組は組長をあえて置かない。しかも盃を交わさない。盃に縛られて、アクションを起こせないという現実がありましたから。この先、2つの大きな船はじわりじわりと沈んでいくでしょう。だれかが何かしないといけない。だから、この大きな船の横に、若手中堅が中心の救命ボート的な船を置き、2つの船から乗り移ってもらおうと考えた。

若手の皆さんにどんどん乗り込んでもらい、我々第3極がいちばん大きくなり、ほかの2つが少なくなれば、最終的に一つに統一される。もちろん今でも、私たち任侠団体山口組の「志」に共鳴してもらえるならば、六代目側とでも神戸側とでも、すぐにでも統一したいと考えております」

織田代表が言う「救命ボート」は船出して1月半が経過した。そのボートはどこに向かおうとしているのか。緒田代表は「あるべきヤクザの姿を取り戻したい」と言う。

「現在は、もうヤクザが稼げる時代じゃない。今までは高い上納金で苦しめられてきましたが、我々の月会費は直参が10万円で、直参が率いる組ではそれ以下。組織として他団体と交際しないので、それで十分やっていける。

下のものから金を吸い上げるのではない。むしろ逆に上に立つものは、富を分配する覚悟が必要です。それに事務所当番もありません。金が要らない、自由がある。そこで精神的な余裕が生まれる。お互いが助け合うこともできます。そこに絆が生まれる。盃を交わさなくてもできる固い絆です。

バブル期以降、我々ヤクザ社会は拝金主義で、諸外国の犯罪集団と同じレベルまで自らを落としてしまった。そこが、我々が反社(反社会的集団)と言われる所以です。銀行の通帳は持てない、家も借りられない、車も買えない。本来、ヤクザはそういうものではなかった。

だから我々は、『脱反社』の目標を掲げ、そこに挑もうと思っています。脱反社の柱としては三代目田岡一雄組長が定めた『山口組綱領』がある。

『侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す』という精神。それを体現するために、行動を起こそうと思い立った。『任侠団体』という冠をあえてつけたのはまさにそのためでした」

※「任侠団体山口組」の「侠」の字は正字です

(週刊FLASH 2017年6月6日号)

参照元 : FLASH


「任侠団体山口組」織田代表「民間軍事会社を作って国を守る」

2017/6/15(木) 16:00配信



神戸山口組から分裂し、「任侠団体山口組」を結成した織田絆誠代表(50)。

脱「反社会的集団」を目標とするが、そのために「民間軍事会社(PMC)」設立という具体的なプランがあるという。

「これまで、国内にはヤクザという存在があり、不良外国人を跋扈させなかった。裏社会なりの秩序があった。それが今は、野放しに近い状態にある。これをなんとかしたい。そして半グレ。半グレはヤクザより時代にあった適応能力は持っている。でも、オレオレ詐欺だけはやめさせたい。

我々は、彼らに男らしい生きざまぐらいは教えることができます。国外では、すでにアメリカや欧州にPMCがある。我々ヤクザはアメリカに入国できないので、東南アジアに支社を作り、支社と我々が個々に契約する。邦人警護の依頼を受け、我々が派遣されるようにする。

昨年から右翼人とか、元自衛官や元フランス軍の傭兵などにも会い、そうした方とミーティングを重ねてきました。するとほぼ皆さん共鳴して、その船に乗りたい、との意思表示をいただいております。民間国防隊構想ですね。

じつは2017年2月、自衛隊が派遣されていた南スーダンに行くことを計画していました。はたしてどんな警護が可能なのか現地入りし、この目で見ておきたかったのです。憲法9条が足かせとなり、十分な戦闘行為ができない現状で、国内で自衛官を待つ身のご家族の方々は、さぞかし不安の日々だったことでしょう。

また、第3極とはいえ現役の組員が同じ船に乗るとなると、コンプライアンス上の問題が生じるでしょうから、ともに活動できる方法を模索中です。一見、実現不可能に思われるかもしれませんが、もともと任侠は、日本が戦争状態に突入したとき、軍属として常に動いてきた歴史がある。

終戦後、三代目・田岡組長は治安維持に貢献してきた。それを現代に置き換え、何をすべきか考えてきました。ただ、こうした社会貢献には、はじめから“用意ドン”で全員が動くのではなく、全体の9割方の組員は、ヤクザらしく遊び人を日々満喫してもらい、スタート時は1割程度の志願者のみ参加すればいいと考えております。強制はしない。自主性を重視します。

現在、我々の同志で、無期懲役刑で服役している者が2名、長期懲役刑の者が数名います。私は、その彼らが20数年後までに帰ってくる船を用意しておかないといけない。

それに、若い者の未来のためにも山口組を残さないといけない。全国を回って私の話を聞いて、ついてきてくれた若者たちを裏切るわけにはいかないのです。

まず我々は、数十人規模で治安維持やPMCの貢献グループを作っていく。こつこつとやっていきますよ。その姿を見てもらい、脱反社のヤクザという我々の大義に向けて、信念を曲げず邁進したいと考えております」

※「任侠団体山口組」の「侠」の字は正字です

(週刊FLASH 2017年6月6日号)

参照元 : FLASH




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