2015年11月29日日曜日

格闘家・山本“KID”徳郁がヤクザとトラブルを起こしたエピソードをエンセン井上が語る

【格闘技】山本“KID”徳郁がヤクザとトラブルを起こして、格闘技の世界に入るまで

ニックネームは「神の子」または「KID」。適性階級は60kg前後の階級でありながら、総合格闘技とK-1では本来より2階級も上の70kg級でも大活躍し、70kg級ではHERO'S世界王者に輝き、K-1 WORLD MAX世界王者魔裟斗からK-1ルールでダウンを奪うなど驚異的な実績を残した。

wiki/山本徳郁



山本“KID”徳郁とヤクザのトラブル

エンセン 「KIDはふざけて遊んでいたんだ。そして、空気銃のBB弾をヤクザの目に当ててしまったんだよ。KID達は弾を当ててしまったことに、気づかなかったみたいだね。KIDは友達とふざけあいながら撃ちあってる時、弾がヤクザに当たってしまったんだと思ってる。詳しくは知らないけど、そうKIDから聞いてるんだ。

KIDが人を狙って撃ったかどうかは分からないけど、ヤクザに当ててしまったんだよ。そして、ヤクザはKIDのナンバープレートを書き留めていたんだ。

当時KIDは山梨の大学に通っていて、レスリングのTOP選手だったんだ。ヤクザはKIDの住んでいた家まで、後をつけたんだよ。

実際、ヤクザ達がKIDの家に行って、KIDを部屋から引きずりだそうとしたんだ。KIDは3階から飛び降りなければいけなくなったんだよ。実際に飛び下りたかどうかは分からない。だけど、3階のベランダから脱出して、レストランまで逃げたことは確かだよ。

KIDはレストランから俺に電話してきて、『ヤクザが捕まえに来た』と話してきたんだ。俺は山梨から遠い所にいたから、『そこに行くまで3、4時間はかかる』と伝えたんだ。そして、できるだけたくさん人がいる所に行って、そこで待つように伝えたんだ。たくさん人がいれば、ヤクザも手出しできないからね。

俺が何人かの知り合いの所に連絡して、どうにかこの件は収拾したんだ。

この事件のせいで、KIDは大学をやめさせられたんだよ。それにレスリング協会からも、1年間レスリングから締め出される処分を受けたんだ。オリンピックは次の年にあったんだけど、KIDは1年間レスリングができなくなったんだよ。」

KIDをジムに誘ったこと



エンセン 「KIDは1年間レスリングができなくなったから、俺は彼に話したんだ。

『それじゃあ、俺のジムに来ないか?サブミッションの練習をしようよ。レスリングと同じ動きをするし、またレスリングがやれるんだ。レスリングの技を使うことができるんだよ』ってね。

KIDは『OK』と言ってきたよ。

俺は『これでKIDの未来は明るい。興味あるなら、全てをこっちに移してくれ。お金のことは心配するなって。俺が全部面倒みるからさ』って伝えたんだ。

俺はKIDのためにアパートを借りて、KIDも引っ越してきたんだよ。

KIDが格闘技を始める経緯

エンセン 「そして一年経ったら、KIDは『Fighting(ファイティング)』の恋に落ちたんだ。だけど、KIDの父親が俺のところに来て、KIDに格闘技をやめさせて、レスリングをやらせたいって言ってきたんだ。KIDにその気がなければ、レスリングの練習はしないだろうし、KIDがやりたいと言わない限り、やらせるつもりはなかったんだ。KIDの父親はKIDを呼んで、彼にこう言ったんだ。

『もし格闘技の試合をしたら、二度とお前のサポートはしない』ってね。

俺はKIDに話したよ。『KIDのしたいようにすればいい。PRIDEで稼いだ金があるから、お金のことは心配しなくていい。俺はKIDを支える。』ってね。

KIDは引っ越してきて、まる1年間俺とやってきたんだ。そして、KIDは父親の要求を断ったんだよ。そして俺がKIDのために、契約とかあらゆることをしてあげることになったんだ。」

以上。

*ちなみにKIDの格闘技入りに反対していた父親は、その後KIDのマネージメントしたがるようになり、最初の態度からは変わったようです。山本KIDが格闘技を始めるまでには、いろいろなことがあったようです。



山本KIDの魔娑斗戦のファイトマネー



エンセンは山本KIDとK-1の契約に関わっていたようです。KIDは当初、2年契約で1試合5万ドルの契約をしていたとのこと。しかし、契約してから8ヶ月経って、さらにいい新しい契約をK-1と結ぶことに成功したようです。魔娑斗戦のファイトマネーは200万ドルにまで、到達したとのこと。



KIDの父親は最大の癌



エンセンが言うには、KIDは周りにいる人たちと離れない限り、才能を最大限発揮することは出来ないとのこと。特にKIDの父親が最大の癌となっているようです。

エンセン井上がスウェーデンのMMAメディアに、いろいろ語っています。

以下、エンセン井上のインタビューより(一部抜粋・意訳)




BAZOOKA  TATOOナイト 山本KID徳郁 ギターウルフ BSスカパー BAZOOKA!!! 小籔千豊 真木蔵人 メロディー洋子 エリイ(chim↑pom) 高垣勇二 ライブ→ギターウルフ トーク→ 山本KID徳郁

2015年11月27日金曜日

Sherdogより、格闘家エンセン井上のコメント PRIDEと暴力団の関係

【格闘技】エンセン井上が語るPRIDE&ヤクザ



Sherdogより、PRIDEについて語っているエンセン井上のコメント(一部抜粋・意訳)

試合後、選手が握手しにやってくるヤクザ

エンセン井上 「試合が終わった後、選手がヤクザに握手しに来ることが何回もあったよ。常にPRIDEを見に来ていたね。選手はヤクザだと理解せずに握手していたと思ってる。その人はPRIDEを後援するヤクザの一人だったんだ。みんなが彼のところに、おじぎしにやって来るんだよ。」

ファイトマネーについて

エンセン井上「マーク・ケアーとの試合では、8万ドル稼いだよ。PRIDEは桜庭に、わずかな金額しか払ってなかった。桜庭のことは高田が担当していたからね。高田が全てのお金を受け取っていたんだ。PRIDEは高田道場にお金を支払っていたんだよ。そして、桜庭は高田道場から給料をもらっていたんだ。そういう訳で、2人は袂を分かったんだ。今では、お互いに関わりあおうとしないんだよ。」





PRIDEでの扱われ方

エンセン井上「PRIDEから必要とされていたから、みんなとは全く違う扱われ方だったよ。俺はすごく日本で人気があったからね。でも、俺は別にPRIDEを必要としてなかったし、PRIDEもそのことを分かっていたよ。PRIDEを必要としていた選手に、PRIDEは強気だったね。イゴール・ボブチャンチンは1万ドルしかファイトマネーをもらってなかったんだ。」

PRIDEでのステロイドの扱い

エンセン井上「俺達の契約には、こういうことが書かれていたんだ。『PRIDEはステロイドの検査をしません。』とね。それは、ステロイドをやってもいいですよって聞こえるよ。」

八百長がいくつかあったようだが、桜庭の試合で八百長はあったか?

エンセン井上「俺は個人的に桜庭を知ってるけど、彼は絶対にそういうことはやってないよ。高田は怪しいと思ってるけどね。だけど、桜庭はやってないよ。桜庭はとても誠実だし、そういうことをするタイプじゃないよ。桜庭の八百長はないね。」





イベントを開催する時、ヤクザにお金を支払うこと

エンセン井上「それはしなきゃいけないんだよ。避けることはできないんだ。そういう習慣なんだよ。俺は埼玉でジムを経営しているけど、もし俺の近くにヤクザの友人達がいなかったら、俺も毎月お金を支払わなければいけないだろうね。お金を払うことで、ヤクザが守ってくれるようなものなんだ。ヤクザが迷惑をかけてきたり、トラブルを起こすようなことはないんだ。」

日本でのヤクザ

エンセン井上 「もしアメリカに行って、100人の人にマフィアの知人がいるか尋ねれば、90%は『No』って答えると思う。だけど、日本は正反対なんだ。日本だとたぶん90%は、『ヤクザは知ってるよ(Oh, I know Yakuza)』って答えてくるよ。この前の夜も、ヤクザは俺の家に来てたしね。別にたいしたことじゃないんだよ。」

参照元 : NAVERまとめ


エンセン井上が職質って… 警察はエンセンを知らなかった?刺青が入ってたから?

▼これは超レア映像!







住吉会系組長らが逮捕された療養費不正受給事件で、吉本芸人10人以上が関与!別の組も関与か?容疑の組員ら数人逮捕へ

<療養費不正>「患者役」にお笑い芸人10人以上

2015年11月27日(金)8時0分配信



◇吉本興業所属、知らず知らずのうちに加担

指定暴力団住吉会系組長らが詐欺容疑で逮捕された柔道整復師(柔整師)の療養費不正受給事件で、接骨院などに保険証を提出し水増し請求に関わった「患者役」の中に、大手芸能プロダクション・吉本興業のお笑いタレントが10人以上含まれていたことが、同社関係者への取材で分かった。タレントたちは知人らに誘われ、知らず知らずのうちに不正受給に加担していたとみられる。

事件を巡って警視庁組織犯罪対策4課は27日に住吉会系組長、三戸慶太郎容疑者(50)=東京都新宿区西新宿=ら十数人を、別の不正受給数百万円分についての詐欺容疑で再逮捕する方針を固めた。

かつて吉本興業に所属しお笑いタレントとして活動していた40代の男性によると、数年前に仲間の男性タレントから「ただでマッサージを受けられる」と誘われて都内の接骨院で受診したという。1度だけマッサージを受けたが、保険証の提出だけで料金は取られなかった。

当時は不審に思わなかったが、今年11月6日に三戸容疑者らが逮捕され、報道で不正受給事件を知った。自分を誘ったタレントが患者役として事件に関わった疑いがあると実名で報じたスポーツ紙もあり、「自分も水増し請求に利用されたのか」と驚いたという。

同社関係者によると、男性を誘ったタレントは知人女性を介し、一連の事件で逮捕されたコンサルタント会社役員、早川和男容疑者(38)と知り合った。早川容疑者は「柔整師の資格の勉強もできる」と男性を誘ったタレントに勧め、このタレントも吉本興業の同僚約10人を誘ったとされる。

警視庁は三戸容疑者らが、千葉県内の歯科医院での診療報酬の不正受給にも関わったとみて捜査している。関係者によると、この歯科医院でも別のタレント約10人が患者役になった可能性がある。ある若手タレントは1度だけの受診で数千円を受け取ったといい、吉本興業に「知人から『患者を増やすのに協力してほしい』と誘われた」と説明しているという。【黒川晋史、宮崎隆】

参照元 : 毎日新聞




療養費詐欺、別の組も関与か 容疑の組員ら数人逮捕へ

2015年11月27日03時02分

暴力団が絡んだ接骨院の療養費不正請求事件で、詐欺容疑で逮捕された組長の他に、別の暴力団の組員も関与した疑いがあることが捜査関係者への取材でわかった。警視庁は27日にも、この組員ら数人を、療養費数百万円を不正に得たとする詐欺の疑いで逮捕するとともに、組長ら十数人を再逮捕する。

逮捕されているのは、指定暴力団住吉会系組長の三戸慶太郎容疑者(50)ら16人。捜査関係者によると、このうち十数人と共謀し、三戸容疑者の組とは別の住吉会系組織の組員数人が関与した疑いが持たれている。療養費の不正請求に、複数の暴力団が関わっていたことになる。

捜査関係者の説明では、三戸容疑者や組員らは2011~13年ごろ、東京都杉並区の「杉並すこやか接骨院」(廃業)で、健康保険が適用される施術をしたとする偽の申請をし、健康保険を管理する自治体などから療養費計数百万円をだまし取った疑いがある。

この接骨院は11年6月に開院、三戸容疑者が実質的に経営していた。約1カ月後から不正請求が始まっているため、不正請求を目的に設立した、と警視庁はみている。廃業する13年10月までに約350人が療養費を請求し、計約2700万円が支払われていた。

参照元 : 朝日新聞


面白い典型になってきました。芋ずる式に関与した芸能人を片っ端から逮捕して欲しい。

ところで、吉本の芸人10人以上の名前をなぜ報道しないのでしょうか?やっぱ吉本興業の圧力ですかね?マスコミさん。

吉本って必ずこういう犯罪に絡んでるよね?

知らなかったで、済ますなよ。どんなバカでも、こんなウマイ話されたら、おかしいと思って、カネ欲しいけど、しぶしぶ断るよ。

タダなのに、保険証出さされる時点でおかしいと思うだろうが。何を被害者面してんだよ!

2015年11月25日水曜日

工業地帯・川崎市が生んだ不良ヒップホップグループ 「BAD HOP」

MADE IN KAWASAKI 工業地帯が生んだヒップホップクルー BAD HOP



住みたい街ランキングにも入り、最近では「ムサコマダム」なんて言葉も使われるように­なった川崎市中原区武蔵小杉。川崎市のちょうど真ん中辺りに位置しており、現在では高­級高層マンションや商業施設、ホテルなどが次々と建設され、一躍「オシャレな街」とし­て広く認知されている。

しかし同じ川崎市でも、最も東に位置している川崎区になると様相は大きく変わる。沿岸­は京浜工業地帯に属し、現在も埋め立て地の造成が進む。大規模な石油コンビナートや、­製鉄所などの工場が多数存在しており、お世辞にも環境が良い場所とは言えない。



そんな川崎区の工業地帯に存在するのが池上町。戦後、労働者として集められた在日韓国­・朝鮮人が不法占拠したまま形成したコリアンタウンを擁し、「日本で一番空気が悪い場­所」と称され、産業道路と貨物線路に囲まれた陸の孤島のような町である。



ここ池上町をホームタウンとしているのがBAD HOP。「高校生ラップ選手権」でもお馴染みの双子ラッパー2WINのT-PABLO­WとYZERR、そしてTIJI JOJO、BARK、VINGO、DJ KENTA、YELLOW PATO、G-K.I.D.、BENJAZZY、AKDOW、2WINの兄であるMA­SAらが所属する二十歳前後のヒップホップクルーだ。決して恵まれているとは言えない­家庭環境、そして毎日の生活の中から、彼らはどんな日々を過ごしてきたのだろう。何を­掴んだのだろう。



「自分らの過去は普通じゃない。何かに怯えて毎日を生活してきた。でも音楽で、ラップ­で、自分らは変わることができた」

川崎の町でBAD HOP(イレギュラーバウンド)したボールは、いつまでも止まることなく転がり続ける­。

3年前のビル放火事件で、工藤会ナンバー3の菊地敬吾被告(43)ら11人逮捕へ

3年前の放火事件、工藤会ナンバー3ら11人逮捕へ

2015年11月25日(水) 9時57分



3年前、福岡県北九州市のビルを放火したとして、警察が特定危険指定暴力団・工藤会の最高幹部ら11人を逮捕する方針を固めたことが、捜査関係者への取材でわかりました。

この事件は、3年前の8月、北九州市小倉北区でスナックなどが入居する2つのビルが連続で放火されたものです。

放火は工藤会による組織的な犯行だった疑いが強まったとして、警察がナンバー3の菊地敬吾被告(43)ら11人を逮捕する方針を固めたことが、捜査関係者への取材でわかりました。

放火のおよそ3週間後には、このビルに入居するスナックの女性経営者が刃物で切りつけられる事件もあり、警察が関連を捜査しています。

参照元 : TBSニュース








工藤会ナンバー3逮捕へ 暴排の店に放火容疑 福岡県警

2015年11月25日(水)5時8分配信



北九州市の繁華街で2012年、暴力団排除の標章を掲げた飲食店などが相次いで襲われた事件で、福岡県警は、雑居ビルに放火したとして指定暴力団工藤会理事長の菊地敬吾容疑者(43)=組織犯罪処罰法違反罪で起訴=ら数人を現住建造物等放火などの疑いで25日に逮捕する方針を固めた。捜査関係者への取材でわかった。

菊地容疑者は工藤会のナンバー3。県警は、工藤会が標章の掲示への報復のために放火などを組織的に繰り返したとみて、他の襲撃事件との関連を調べる。

捜査関係者によると、菊地容疑者らは12年8月14日未明、北九州市小倉北区堺町1丁目にある二つの雑居ビルのエレベーターにそれぞれ火を付け、エレベーターや付近の壁を焼損させた疑いがある。男女4人が煙を吸うなどして病院に搬送された。両ビルに入居する飲食店は標章を掲げていたという。菊地容疑者は実行役に放火を指示する立場だったと県警はみている。

参照元 : 朝日新聞


工藤会摘発、頂上作戦から1年 北九州の夜は今

2015年9月10日11時22分



9日午後7時半、北九州市のJR小倉駅近くの歓楽街。小雨がぱらつく中、着物やドレスで着飾った出勤途中の女性たちが、ネオンが照らす道を通り過ぎていった。「おはようございます」。時折、出入りの業者らとあいさつを交わす。

かつて通りを頻繁に行き来した、全国から応援に来た警察官らの姿は消えた。「ヤクザの姿も最近はあまり見かけなくなった」。通りで花店を営む男性は言った。

指定暴力団工藤会のトップを逮捕した福岡県警の「頂上作戦」から11日で1年。県警は、市民への襲撃や組幹部による脱税事件を次々に立件した。これまでにトップの野村悟被告(68)やナンバー2の田上不美夫被告(59)ら105人を逮捕。今年に入って8月までに31人が工藤会を離脱したという。

組織の弱体化が進む一方、事業者への襲撃など工藤会が関わったとみられる未解決事件は15件残る。「いつ何をされるか」。飲食店関係者が抱く恐れは今も残る。

「この1年で、だいぶ静かになりましたね」

北九州市のJR小倉駅近くにあるスナックのママは、工藤会に対する福岡県警の「頂上作戦」から1年を迎える街の変化をそう振り返った。「巡回の警察官も暴力団関係者もめっきり姿を見かけなくなり、企業関係のお客さんがボチボチと戻ってきています」

組員立ち入り禁止の標章を掲げる店に入った組員に罰則を科すなどの、県の改正暴力団排除条例が施行されたのは2012年夏。その後、標章を掲げた飲食店主の女性らが切りつけられる事件が相次ぎ、歓楽街からは客足が遠のいた。県警は全国の警察から応援を得て、夜の街の巡回を強化した。

昨秋からの頂上作戦で工藤会への包囲網は狭まり、組事務所の使用禁止などの対策も進んだ。応援の警察官も引き揚げ、一時の物々しい街の雰囲気は薄れてきた。

それでも、飲食店関係者らの間には暴力団の存在が影を落とす。飲食店主らが切りつけられた事件は今も未解決のままだ。

ある飲食店関係者は「取材を受けたことが分かったらどうなるか」と記者に語ることを拒んだ。別のスナックの女性従業員は「いつ、何をされるか分からない怖さを今も感じている」。自身の店で見聞きしたことはないが、昨秋以降も暴力団にみかじめ料を支払い続けていると知人から聞いた。「やめたいと思う人は多いが、付き合いでやめられない人もいる。長年押し付けられてきた恐怖心は簡単には消えない」

■逮捕者100人超す

福岡県警は昨年9月11日、頂上作戦に乗り出した。組織トップの野村悟被告(68)の逮捕容疑は、1998年に北九州市で起きた元漁協組合長射殺事件。実行犯らの実刑が確定していたが、野村被告らの関与を示す証言を新たに得て、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(59)とともに逮捕した。

参照元 : 朝日新聞




女性でも容赦なし、堅気にも襲撃、放火。

昔の任侠道はどこへいったのか・・・

逮捕者100人超とは、どうやら福岡県警が本気を出したようです。

修羅の国に平和が訪れるのも近い。

2015年11月17日火曜日

日本最大のテキヤ組織、指定暴力団「極東会」、松山会長の引退で東京にも波紋か

【続報】山口組分裂騒動、極東会会長引退で東京にも波紋か

2015年09月04日



山口組の分裂が表面に出て、その際第一次情報として、直系15団体が六代目山口組から抜けて、新たに発足する神戸山口組側に流れる、と前回にお伝えした。だが、蓋を開けて見ると、実際に処分を受けた、処分、脱退したと思われる組織は13組織であった。その点は流動的と報じているのでご容赦願いたい。

ではなぜ処分、脱退する組織が変化したのか? それはお互い地下での工作活動が激しく、現在も続いているからである。

「どこの組織が抜けて、新たに発足する神戸山口組に参加」や「六代目山口組に残り、神戸山口組に参加しない」等、新たな情報は毎日出ている。

その中でも2日激震が走った。日本で最大のテキヤ組織であり、指定暴力団の極東会の会長である、松山会長の引退が公になり、跡目も決まった。

これは果たしてどの様な影響があるのであろうか? 極東会の動きは実は数年前から噂は上がっていた。切り崩されて、某組織に行くのではないか、とかの噂である。

しかし、テキヤの縄張りは庭場と言い、博徒の縄張りとは全く違う意味合いを持つ。その為に、同じ地域を地盤とする博徒の組織との兼ね合いもあり、その動きは注目されてはいた。また、松山元会長の存在が大きい為に、動きたくても動けなかったのが現状である。

個人的には各組織の人間と盃を交わす等、その付き合いは全国である。元々テキヤ組織は全国を移動する為に、兄弟分は多い。しかし、今回はその流れに沿うのであろうか?

ここで、現在の六代目山口組、神戸山口組の状況を分かる限り説明をしたい。六代目山口組は、親戚組織、後見人、見届け人を務めた組織への引き締め、神戸山口組は傘下組織の縁組関係を主に、水面下で動いている。絶縁、破門状が出た後のお互いの動きは絶縁、破門状の出た後の動きの為に、水面下の動きが表に出れば潰されるのを恐れ、その動きはかなり慎重である。

また、一部マスコミがかなり激しく抗争事件が起こる等、煽った報道をしているが、枝の小競り合いが当然起こり得るが、過去の山一抗争とは全く違う。抗争があるのであれば、既に音は鳴っている(拳銃の音。抗争を意味する)はずである。それは時代背景を考えれば一目瞭然だ。抗争を起こせば生き残れないのが分かっているからである。菅官房長官も異例の声明を発表したほどに、今の時代は暴力団に対して厳しい。一連の工藤會の取り締まりの一件を見ても明らかであろう。

今日はこの様な状況でも明日には変わっている。それが現状である。各組織は緊急執行部会、幹部会などを招集して、引き締めにかかっている。しかし、両組織から声が掛かっている事は間違いない情報である。また、ネットで様々な情報が出ているが、これらの情報は一部マスコミ関係者以外虚報である。それを信じるような週刊誌もあるが、自重される事を付け加えておく。

Writing by 西郷正興

参照元 : 東京BREAKING NEWS


極東会(指定暴力団)



極東会(きょくとうかい)は東京都豊島区西池袋1-29-5山の手ビル4FC号に総本部を置く指定暴力団。構成員は約800人。

◆極東会系譜
初 代 - 関口愛治
二代目 - 山口城司
三代目 - 小林荘八
四代目 - 田中春雄
五代目 - 松山眞一
六代目 - 高橋 仁

◆極東会組織図
会 長 - 高橋 仁

◆最高顧問
鈴木嘉六(松山連合会最高顧問)
宮木安一(松東連合会名誉顧問 宮木睦会会長)
山本達三(松山連合会最高顧問 山本睦会会長)
金子三吉(松山連合会最高顧問 金子興業組長)

◆常任顧問
磯前 功(二代目岡崎会総長)
伊藤行律(仲四代目)
米澤 瑛(松山連合会特別顧問 真誠会総長)
佐藤正夫(松東連合会最高顧問 二代目加部東会会長)
坂本光男(三代目松原会代表)

◆役職
理事長 - 宮田克彦(松山連合会常任顧問 二代目松山一家会長 二代目榎本組組長)
総本部長 - 棚本清己(松山連合会理事長 真誠会会長 棚本組組長)
統括委員長 - 大野元秋(松東連合会会長 関心会会長)
組織委員長 - 吉村光男 (松山連合会顧問 真誠会顧問 吉村組組長)
渉外委員長 - 城山千秋(松山連合会組織委員長 眞侠会総長)
懲罰委員長 - 高井茂光(松山連合会顧問 松和会会長)
慶弔委員長 - 昌 國雄(松山連合会本部長 真誠会本部長 昌栄会会長)
運営委員長 - 永井光正(日置五代目 日置連合会会長)
諮問委員長 - 江川 弘(四代目仲連合会会長 江北興業組長)
審議委員長 - 磯前 務(二代目岡崎会理事長 磯前組組長)
総本部事務局長 - 高橋保行(松山連合会顧問 眞武会会長)

◆顧問
佐々木勇吾(松山連合会顧問 眞勇会総長)
宮澤司浩(五代目筧一家総長)

◆執行部
執行部 - 高橋正利(研谷連合会)
執行部 - 岩上玄篤(坂井四代目)
執行部 - 小出一明(馬場四代目)
執行部 - 黒田 敦(松山連合会幹事長 二代目眞一家総長)
執行部 - 関口勇雄(真誠会常任相談役 大野三代目)
執行部 - 宮下貢一(松山連合会慶弔委員長 眞晃会会長)
執行部 - 西 一男(松山連合会運営委員長 松心会総長)

参照元 : wiki/極東会(指定暴力団)

主催者が暴力団幹部であることを隠してホテル宴会場を予約し、物まねショー開催 稲川会系組幹部ら男女4人逮捕

“暴力団関与を隠し賃借” イベント会社社長ら逮捕

2015/11/18 05:55



暴力団が関係する「ものまねショー」と知りながら東京都内のホテルから会場を借りたとして、イベント会社の社長と暴力団幹部の男が逮捕されました。

イベント会社社長・竹田勝司容疑者(70)は去年10月、ものまねショーの主催者が指定暴力団稲川会系の組幹部・崔慶一容疑者(43)と知りながら、港区のホテルから会場を借りた疑いが持たれています。

警視庁によりますと、ショーにはタレント5人が出演し、崔容疑者らはチケットを「みかじめ料」として1枚3万5000円で550人ほどに売り付けていたということです。2人は10年来の知人でした。取り調べに対し、竹田容疑者は容疑を認め、崔容疑者は黙秘しています。

参照元 : テレ朝ニュース










暴力団隠し物まねショー開催か 詐欺容疑で組幹部ら逮捕

2015/11/17 19:13



主催者が暴力団幹部であることを隠して東京都内のホテル宴会場を予約し、物まねショーを開催したとして、警視庁組織犯罪対策3課は17日、詐欺の疑いで、指定暴力団稲川会系組幹部崔慶一容疑者(43)=東京都品川区=や、会社役員竹田勝司容疑者(70)=港区=ら男女計4人を逮捕した。

同課によると、崔容疑者は東京・五反田の風俗店経営者らにショーのチケットを1枚3万5千円で計約550枚売り、組の資金源にしていたとみられる。

崔容疑者は黙秘し、竹田容疑者は認めているという。

ホテル側が規約で暴力団や関係者の利用を禁じていたため、竹田容疑者が予約を代行していたという。【共同通信】

参照元 : 47NEWS


「暴力団」隠しホテルでショー=稲川会系幹部ら4人逮捕—警視庁

2015 年 11 月 17 日 18:00 JST 更新

暴力団関係者が関与していることを隠してホテル会場を予約し、物まねショーを開催したとして、警視庁組織犯罪対策3課などは17日、詐欺容疑で、指定暴力団稲川会系幹部で韓国籍の崔慶一容疑者(43)=東京都品川区西五反田=ら男女4人を逮捕した。同課によると、崔容疑者は「黙秘する」と話している。

同課によると、崔容疑者らは昨年11月、組の資金獲得のために東京都港区のホテルで物まねタレントが出演するショーを開催。普段みかじめ料を徴収している五反田駅周辺の風俗営業店関係者らに1枚3万5000円でチケットを販売し、約1000万円の利益を上げていたとみられる。

逮捕容疑は昨年10月上旬、港区のホテルで、ショーの主催者が暴力団関係者であることを隠して宴会場の利用を申し込み、同11月中旬にショーを開催した疑い。

ホテル従業員は、申し込みに訪れた同容疑者の知人の男(70)=同容疑で逮捕=に対し、暴力団関係者の利用を認めないとする利用規約を説明していたという。

参照元 : 時事通信社


崔慶一容疑者は在日韓国人なのでしょうか?

崔(さい)は、漢姓のひとつ。中国、朝鮮など ... 崔(さい、チェ、朝: 최)は、朝鮮人の姓の一つである。

これは、ものまねタレント(芸能人)も関与してるのか?

▼なんと、朝日新聞は通名報道していた!

暴力団隠しホテルでものまねショー 容疑の組幹部ら逮捕

2015年11月17日(火)21時53分配信

暴力団の利用を禁じる規約がある都内のホテルの宴会場を、暴力団であることを隠して借り、ものまねショーを開いたとして、警視庁は17日、指定暴力団稲川会系組幹部山本慶一容疑者(43)=東京都品川区=ら男女4人を詐欺容疑で逮捕し、発表した。警視庁は、ショーによる1千万円以上の収益を組の資金源にしていたとみている。

他に逮捕されたのは、貸しスタジオ運営会社の社長竹田勝司(70)=東京都港区=ら3容疑者。山本容疑者は黙秘し、竹田容疑者は容疑を認めているという。

組織犯罪対策3課によると、4人は昨年11月、東京都港区のホテルで、山本容疑者が主催するディナーショーを開く目的を隠し、竹田容疑者の会社の慰労会と偽って宴会場を借り、ショーを開いた疑いがある。ホテル側は、宴会場の利用規約で暴力団の利用を禁じていることを竹田容疑者に説明していたという。

ディナーショーには、著名なものまねタレントが所属する新宿区の芸能事務所から派遣されたタレント5人が出演。チケットは1枚3万5千円で、山本容疑者の組の地元の風俗関係者らに約550枚を販売し、当日は約350人が集まったという。

参照元 : 朝日新聞

山口組「愛桜会」の菱田達之会長(59)が鉄パイプで撲殺された事件 犯人は2階の窓を割って侵入

山口組系会長殺害…計画的犯行か 四日市市

2015年11月17日(火)16時35分配信



三重県四日市市で山口組系暴力団の会長が殺害された事件で、犯人は2階の窓を割って侵入したとみられることが分かった。警察は計画的な犯行とみて調べている。

この事件は、15日午後5時40分頃、四日市市浜田町の住宅で指定暴力団・山口組愛桜会の菱田達之会長(59)が頭など全身を殴られ殺害されたもの。事件現場である菱田会長の別宅は2階の窓が割られていたほか、1階の裏口は鍵がかかっておらず、警察は犯人が2階から侵入し、犯行後、1階の裏口から逃走したとみていることが分かった。

また、現場から発見された、血のようなものがついた鉄パイプは外から持ち込まれた可能性が高いということで、警察は、菱田会長に恨みを持つ者による計画的な犯行の可能性が高いとみて、山口組の一連の分裂騒動との関連性も含めて慎重に捜査している。

参照元 : 日本テレビ系(NNN)








手足を縛ったうえ、鉄パイプで全身を殴って撲殺ですか・・・

これは痛みを味わいながら苦しんで殺されていますね。実に残虐なやり方。



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ブラックエンペラー三多摩総本部の元支部長に暴走族の成り立ちや関東連合のルーツについて質問

準暴力団規定された関東連合のルーツ「ブラックエンペラー」元支部長に聞く

2015年09月25日



数年前から世間を騒がしている関東連合。取り締り当局からは準暴力団に指定された組織であるが、しかしその実態は、完全には把握されていないのが現状だ。暴走族全盛期に「BLACK EMPEROR」の三多摩総本部で支部長として活動していた人物W氏に、いま改めて暴走族の成り立ちや関東連合のルーツについて聞いてみた。

――暴走族として活躍していた時期は?

「自分は昭和36年生まれだから、昭和50年から58年位までかな」

――その頃の暴走族事情といえば。

「今では想像出来ない位の台数があったよね、道路が一面バイクと車のテールランプで埋め尽くされて、出発から一時間絶っても後ろの車が出発出来ないほど。ある意味壮観だったよね」

――BLACKEMPERORは関東連合の中核ですよね?

「勿論そうですよ、俺たち"EMPEROR"が関東連合だ、という自負ありましたね」

――どの位の人数がいたんでしょうか。

「うちの支部だけで2,300人。それと自分らの代は三多摩に総本部を持ってきたのですが、三多摩だけで数千人はいたと思います。いつも久米川にあるボウリング場の駐車場とかで集まって近くの駅前のロータリーで集合しましたが、入りきれませんでしたね」

――俳優の宇梶剛士氏も在籍していたことが知られています。

「彼は一個下の後輩ですね」

――当然抗争事件とかもあったと思うのですが。

「ありましたね、だけどあの頃の抗争って、今世間を騒がしている抗争事件とは形が少し違いますね。今の抗争はよく知らないけど街ではないですよ、道路ですよ、守るのは。今の若い世代は守るといえば例えば渋谷とか六本木とかの街ですよね、だけど俺達EMPERORは甲州街道を守る、とかMAD(SPECIAL)は青梅街道を守るとかね。反対にキラー連合とかJOKER'Sは青山通りを守る。それで交差する山手通り、明治通りでぶつかる、というね。守るという言い方は語弊があるかも知れませんけど、要するに誰にも気兼ねなく自由に走りたい、と言う事です」

――あの時代は新宿に入るのも厳しかった。

「少年ヤクザがいましたからね、だけど入りましたよ。何台か潰されてはいますけど。もちろん、やられましたよ。自分は単車を2台潰されて、車も1台潰されています。廃車ですね」

――それはどんな経緯で?

「自分らは海を目指して走っていました、いつも。皆で集まって千葉とか茨城とか都内も含め各支部がどんどん合流して、かなりの台数になります。そして新宿とか色々な所で交通機動隊とか、ヤクザに追い掛け回されてばらばらになる。だけど事前の打ち合わせでばらばらになったら次に集まる場所を決めていますから、そこに徐々に台数が集まる。そこから今度は神奈川県に入ります。そこで今度は都県境の橋で神奈川の暴走族と必ず揉める。そこで潰されましたね、全部」

――今の世代の関東連合を名乗っている人間に何か声を掛けるとすれば。

「別にないですね、誰でも入っていたら関東連合を名乗るのは勝手だし。それだったら数万人いますよね、だから誰もがそれぞれ抱いている関東連合はあってもいいと思うし」

――現在の関東連合はまったく別と考えているようですが、何が違うのか?

「俺たちは"関東連合"を利用はしなかった。関東連合の思い出はガキの頃だけでいいですよ、青春とか言うとキザに聞こえるけど。俺たちは走るしかなかった。喧嘩して笑って。時代が違うのかな」

――そう言えばWさんはあの頃の写真集に大きく載っていますよね?

「何冊も出ましたね(笑)。未だに家にあります。特攻服と一緒にタンスの奥にあります」

――関東連合の同期の人間とは今でも親しい?

「親しいですよ。一緒に走った仲間だし。忘年会とかも必ずやっています。もうあれから30年経っても仲はいいです」

誰もがそれぞれの想いを抱く様々な形の関東連合。右翼になった人間、ヤクザになった人間、それらとは一線を画してW氏の様に普通に生活を送っている人間もいる。

当時の暴走族は大人ではなかった。まだ分別のつかない未成年から成人になったばかりの人間の集まりである。1人1人決して強くはなかったが、同時に弱くもなかった。それは仲間がいたからである。大人の世界には近寄らない。利用される事はあったが、自分からは出来るだけ距離を置く。その様な暗黙の了解があった。大人になったら、自然に大人に溶け込み、関東連合の名前は静かに自分の中で消していく。後輩に伝統ある関東連合を託す。それが彼らの美学であった。

筆者の先輩、友人、後輩にも数多くの関東連合を含め暴走族OBは多い。皆、社会の波に揉まれて、大人になっていった。何も知らない事情通が家庭内の環境とか物知り顔に語るが、そんな事はない。家庭的に恵まれていた人間も数多くいた。ただ走りたかったから、走る事によって自分を認めて欲しかったからだ。

単車、車が好きで走った人間も喧嘩をしたくて走った人間もいる。決して社会からはみ出した人間ではない。普通の少年であり、みんな普通の大人になっていった。表現方法が違っただけである。今回取材させてもらったW氏の最後に語った言葉が印象に残っている。

「普通が一番幸せだけど、それは難しい」

Writing by 西郷正興

参照元 : 東京BREAKING NEWS


三多摩ブラック卍エンペラー【生誕地】

中央線、国立、國分寺、小金井、吉祥寺、西武線、田無、小平、東久留米、武蔵村山、東村山、東大和、武蔵野線、北府中

昔のブラックエンペラーは暴走行為やケンカに明け暮れる暴走族。関東連合は、完全に愚連隊(ギャング集団)いわゆる半グレ。

ヤクザの看板背負ってないだけで、やってる事はヤクザと同じ。組織の掟はあるのだろうけど、ヤクザのように縛りの効く鉄の掟があるわけではない。







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広域暴力団二次団体に所属した元ヤクザの瀧島祐介氏が、現代カタギとして生きていくことの困難さを語った

元ヤクザが語るカタギに戻ることの難しさ 「個人では何もできない者もいる」

2015.10.08

現在、分裂騒動で揺れる日本最大の暴力団組織・山口組。連日、週刊誌や夕刊紙を賑わす報道に対し、元ヤクザはどのような思いを抱いているのだろうか。

かつて広域暴力団二次団体に所属し、先日ポール・マッカートニーとの獄中でのエピソードを綴った『獄中で聴いたイエスタデイ』(鉄人社)を刊行した瀧島祐介氏に、近年のヤクザを巡る報道、現代でカタギとして生きていくことの困難さを聞いた。

◆シャバに出てきて釜ヶ崎へ

――山口組の分裂騒動を含めて社会から厳しいまなざしが向けられるヤクザ業界ですが、かつてのヤクザを取り巻く状況はどのようなものでしたでしょうか。

瀧島:1963年にある事件で長崎刑務所に入った時、3年2ヶ月の服役を終えてシャバに出てきたら、所属していた組が解散していたんですよ。それでとりあえず大阪の釜ヶ崎に向かいました。今と違って、稼げる仕事がいくらでも転がってましたから。たまたま開いたスポーツ新聞で兄貴分の名前を発見して、会いに行ったんです。これがきっかけですぐに仕事に就くことができました。しかし、それは今では難しいでしょう。



瀧島氏がシャバに出てきて始めた仕事はストリップ劇場のスタッフだった。

瀧島:ヤクザであることで仕事に支障はありませんでしたね。まあ、遊んでいたようなものですよ(笑)。

その後、瀧島氏は再び獄中に入ることになる。1980年、フィリピン・マニラでの殺人事件に絡み、懲役15年の実刑判決が下される。

1995年に出所後、彼は再び極道の世界に戻るが、2000年に組を外れた。

――組を外れるときにトラブルにはならなかったのでしょうか?

瀧島:私は「特別参与」という上の立場で組にいたのでトラブルはなかった。しかし、若手となるとそういうわけにはいかないでしょう。それでもトラブルにならないケースは、大抵トップの度量によるところが大きいです。

――「トップの度量」というのは?

瀧島:よいトップというのは人情味のある人。包容力があって子分を自分のこどもようにかわいがる人です。野球の監督で言ったら、今のロッテの伊東監督は度量が大きい。ああいうのがヤクザになったらいいリーダーになると思いますよ。

一方で、感情を表情や動きですぐ出すリーダーはよくない。その例として瀧島氏が例にあげるのが巨人の原監督だ。

◆いまの若い人にはすすめない

暴排条例以降、ますます締め付けが厳しくなっているヤクザ業界。今後はどのようになっていくのだろうか。

瀧島:ヤクザは看板と組織の威力で稼ぐもん。だから、カタギになったヤクザはひとりで生きていくのは難しいし、中には何もできない者もいるでしょう。組を抜けるときに財産を没収されることもありますからね。

――いまの若い人で極道に入る人に対してどのようない印象をいだきますか?

瀧島:最近の報道を見ていればヤクザをとりまく厳しい状況がわかるはず。それなのに、極道を目指すとすれば、状況が俯瞰できていないのでしょう。仮に若者で極道に興味を持つ人がいたら、私は「絶対に入るな」と言います。

◆報道を巡るトラブルも

瀧島氏いわく、最近の山口組の分裂を巡る報道には真偽のほどが定かではない部分も少なくないという。

瀧島:私が組にいたころ、ある週刊誌の誤ったヤクザ報道によって、誤解した敵対勢力が抗争を起こしかけたケースもありましたよ。だから、こういう報道は冗談では済まない話になる。なんでも信じるのはよくない。

いずれにせよ、今後ますますヤクザを巡る状況は厳しくなると言わざるを得ない。それは、瀧島氏の声からも明らかだ。

<取材・文/日刊SPA!取材班>

参照元 : 日刊SPA!


留置番号22番、ポール・マッカートニーが警視庁の雑居房で歌った「イエスタデイ」

2015.09.29



留置番号22番、それがポールに与えられた番号だ。

ポール・マッカートニーが大麻所持容疑により日本で現行犯逮捕された。そんな衝撃的なニュースが世界を駆け巡ったのは1980年1月16日のことだった。



ポールはウィングス日本公演のために家族と一緒に来日したのだが、スーツケースに入れて持ち込んだマリファナが成田空港の税関で発見された。

東京・中目黒にある関東信越地区麻薬取締官事務所へと連行されると、心配して事務所のまわりに集まったファンが「イエスタデイ」など、ビートルズの曲を合唱していた。取り調べが終わった後で警視庁に移送されたのは、麻薬取締官事務所に留置施設がなかっためで、容疑者の勾留は警視庁に頼むことになったのだ。ポールを案じて集まったファンに取り囲まれて身動きが取れないために、移動の際には機動隊に出動を要請してファンを排除する騒ぎもあった。

同じ頃、フィリピン・マニラの拳銃密輸事件にからんで仲間一人を射殺した男が殺人罪で逮捕されていた。その極道・瀧島祐介は翌日の朝、二階の一角にある名前ばかりの運動場でポールと出会う。

刑務所の受刑者とは違って留置場内の被疑者は基本的に私服であり、ポールはカジュアルなジーンズ姿だった。

瀧島が知っている英語は「ハロー」と「サンキュー」ぐらいだったが、思い切って「ポール!ハロー!」と話しかけてみると、一瞬の間があって「ハロー!」と返事があった。 そしてポールは歩み寄ってくると、笑みを浮かべて手を握ったという。

とっさに瀧島は英語のできそうな人間を探し、学生運動の過激派メンバーだった若者に声をかけて通訳を頼んだ。通訳を通じて聞いた話によると、ポールはマリファナで捕まったのだが、罪の意識がほとんどないことが分かったそうだ。

そもそもポールはスーツケースの中のいちばん上に、ビニール袋入りの大麻を無造作に置いていた。そして税関でそれを発見されて騒がれても、いっこうに悪びれるところはなかった。この件についてポールは後日の会見で、「僕はマリファナを危険なものだとは考えてないし、日本で重罪になるなんて知らなかった」とコメントしている。

しかし海外のミュージシャンにとって、日本の税関が麻薬に関して特に厳しいというのは周知の事実であり、ポール自身も75年に来日公演を予定していたものの、大麻不法所持による逮捕歴を理由にビザが取り消されてしまった過去があった。さらにはビートルズを日本に呼んだ男、キョードー東京の永島達司からも事前に電話で「マリファナは絶対にダメだ」と釘を差されていたという。

にもかかわらずなぜポールはマリファナを持っていたのだろうか。永島はポールに同行していた娘のヘザーが持ち込んだものを、父としてとっさに庇ったのではないかと推測している。だが真相は謎のままである。

話を戻そう、それはポールが出所する前日の1月24日の夜7時ごろのことだった。「五房」にいた瀧島は期待を込めて、数メートル離れた「二房」にいるボールに聞こえるように叫んだ。

「ポール!イエスタデイ、プリーズ!」

ポールが留置所を出て行く前に、どうしても歌を聴きたかったのだ。すると2人の留置係が瀧島のところに走ってきて注意し、歌は聴けずじまいかと思われた。

と、その時、奇跡が起きた。
ボールは私の声が聞こえたのだろう。
「OK!」と叫んだ直後、冷たい床の板を手と足で叩き、リズムをとり始めたのだ。
そのリズムたるや、最高であった。
(瀧島祐介著『獄中で聴いたイエスタデイ』より)

そしてポールがアカペラで「イエスタデイ」を歌い始めると、留置係もあえてそれを止めることはしなかった。

♪ 昨日まで
  あらゆるトラブルとは無縁だと思っていた
  それが今はここに留まっているみたいだ
  ああ、昨日だと信じたい

歌が終わると留置所内は拍手喝采となり、「アンコール!」の合唱が巻き起こった。

”ボールの透き通るような歌声が体に染み渡り、魂を揺さぶるようだった”と、滝島は著書の『獄中で聴いたイエスタデイ』に記している。結局、ポールは獄中でのアカペラ・ライブで4曲を歌ったという。

ポールが再び日本で「イエスタデイ」を歌ったのは、それから10年後のことだ。事件後は入国拒否となっていたポールだったが、文化的な貢献とその認知度から特別に入国許可が下りて東京ドームでのコンサートが実現した。



一方で懲役15年の実刑判決を言い渡された瀧島は、ポールに歌ってもらった「イエスタデイ」で人生観が変わったという。再びポールの歌を聴きに行くことを胸に抱いて、宮城刑務所で罪を償って更生した。

瀧島を含め、ポールの歌はその場にいた他の囚人たちにも何かしら、生きる力を与えたに違いない。

警視庁の留置所でポールと出会い、彼の歌を聴いたことがきっかけで更生した殺人犯・瀧島祐介の手記はこちらです。



参照元 : TAP THE POP




暴力団排除条例で足を洗った元ヤクザの嘆き「このまま落ちていくだけだよ」

2015年05月28日



筆者の目の前に2人の初老の男性がいる。眼光は鋭く、周辺を威圧する感じには見えるが、彼等は今はカタギだ。1人は4月11日の『ニコ生タックルズ~ヤクザとは何か』(久田将義のニコ生タックルズ)に出てもらったA氏。ヤクザ歴40年で20年以上も刑務所に務めていた人物だ。もう一方のB氏も同じ組織に属していた人物だが、事情があり10年ほど前にカタギになっている。2人とも小指がなく、今の生活は悲惨の一言だ。

現在のA氏にはヤクザを40年やっていたというのに形として残った財産は一切なく、仕事もしていない。昼間は病院などで時間を潰し、夜は友達も少ないため時間を持て余している。B氏は懲役から帰ってきたら自分の舎弟がシノギを全部奪っていて後の祭り。家族からも見放され、ドヤに暮らしている。2人とも共通しているのは生活保護で食っているという点だ。そんな二人に話を聞いた。

――ヤクザになる人間は数多くいますが、これまで自分の辿ってきた道は正しかったと思えるか?

A「間違ってましたよ、ヤクザやって何も今残ってませんから」

B「私は間違ってたとは思っていません。自分のやりたい事をやって今の結果ですから」

――2人とも正直、今の生活はあまり良くないが。

A「良くないですね、だけどヤクザやっていた時もこんなもんですよ」

――Aさんは先日、『ニコ生タックルズ』に出演した際に「いい車乗って、いい女連れて、いい服を着るためにヤクザになった」と言っていたが、実際にそんなこと出来る人間は多いのか?

B「ヤクザは見栄の商売だからね。金がなかったら外に出なければばいい。いい車乗っても金がなくなれば売ればいい。だけどそんな事したらあいつは終わった、と噂が広がるけどね」

――Bさんは懲役から出てきて、ずっと今の状態なのか?

B「出て来て帰る場所が無いから更正施設に入って......そこから今のドヤに住んでいる」

――人生を舐めていたとは思わないか?

A「今のような生活は正直、想像はしていなかったよね。くだらない事件で懲役ばかり行ってたから、下の人間には抜かされたし、後輩連中も立ててはくれてたけど、心の中ではバカにしていたとは思うよ」

B「俺は一度、組を出したんだよ、若い衆とか舎弟も数人いてね。だけど無理があったんだろうな。器量もなかったし、2年くらいで兄弟分の事務所に吸収されたよ」

――バブル時代は、30歳までに組長になれなければ、ヤクザとして見込みがないと言われていた。今は時代が変わっているとはいえ、Bさんはまだその目があったのでは?

B「焦ったんだろうな。回りがどんどん上に上がっていくか辞めていく。だけど俺はカタギになっても食っていける自信はなかったからね」

――平成4年に暴対法、それから数年経って各地で暴排条例が施行されたが、それによる影響は?

A「暴対法は痛かったな。ミカジメとか取ってた店が全部拒否して来たしね」

B「自分は金貸しもしてたけど、ヤクザ相手の金貸しだったから、そこまでの影響はなかった」

――ヤクザ相手に金を貸していて回収出来たのか?

B「懲役に行っている間に舎弟が力付けてほとんど回収したよ。俺の所にはその内の3割くらいしか戻らなかったけど」

――よくヤクザの親分で、いつまでも現役でいるのはヤクザ時代のツケが回ってくるからだと言う人がいるが、そんなケースを目にしたことは?

A「まさにうちの親分がそうだったな。資産何億あっても借金も何億もあった。それで結局カタギにはなれず、最後はに死んじまったけど」

B「関東はまだいいんだよ。跡目継承の時に跡目を継いだ人間が縄張りを買う金を渡したり、死ぬまで若い衆を付けてくれたりするから。だけど俺の知ってる関西の親分は悲惨だったな。昔の若い衆に「おい、おっさん」と言われて小突かれたり、金を取られたりとか」

A「関西は力が全てだからね」

――2人とも今後はどのようにして生きていくつもりなのか?

A「もうどうしようもない。このまま落ちていくだけだよ。ひとつ言いたいのは、ヤクザを辞めた人間の受け皿をしっかりと作ってほしいということ」

最後はこの様な言葉で終わった。若い頃に裏街道を歩いて来たのだから老後も裏街道で......と言うのは正直、酷な話だ。議論が分かれる話だが、足を洗ったヤクザには問題が山積みである。

Written by 西郷正興

参照元 : 東京BREAKING NEWS

六代目山口組・篠田建市の通名「司忍」 名前の由来

六代目山口組の組長「司忍」の由来



山本健一氏が飼っていた犬の名前が「司」と「忍」だったから。だから弘道蝿は山健組を「山犬」と呼ぶらしい。



高山氏はなぜ右目が潰れているのか?



司氏、高山氏が先輩後輩の兄弟分であった若かりし頃、司氏がイタズラで、寝ている高山の目を瞬間接着剤でつけ、それを剥がそうとした際の事故が原因である。

接着部分を剥がそうとしたのだが、左目は難なく剥がれたのに対し右目の接着が中々剥がれず、半ば無理矢理に剥がしてしまった。その際に、まぶたの筋肉・神経を断裂してしまいそれ以来、まぶたの開閉が不能になったという。

一般には目も失明しているという説もあるようだが、目は見えているとのこと。司氏は結果的に弟分として可愛がっていた高山の体の一部を傷つけたことで大変ショックを受けた。

司氏は高山氏に詫びる為に指を落とそうとしたが、その場にいた高山氏に猛烈に反対制止され、その場は収まった。しかし、高山氏に対する司氏の懺悔の気持ちは日を追うごとに増していき、その気持ちを抑えることができず指を落としてしまう。

このことを知った高山氏は泣き崩れ、司氏の前にひざまづき涙を流したという。この出来事が、現在の司氏・高山氏を輩出し、現在も勢力の拡大を続ける弘道会の結束の理由の一つと言われていることは言うまでもない。

一方、wikiには刀傷によるものと伝えられる閉じた片目を外観上の際立った特徴と書かれている。一体どちらが本当の話なのか定かではない。

髙山 清司(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、日本のヤクザ。指定暴力団六代目山口組の若頭で、愛知県名古屋市に本部を置く山口組系暴力団・弘道会の二代目会長。六代目山口組第二の有力者と目される人物で、日本警察庁の報告書は、4,000名の人員を擁する弘道会という強力な組織をわずか26年という短期間のうちに作り上げた張本人(中心人物)と名指しする。

六代目山口組組長・司忍が服役していた時期(2005年 - 2011年)には、山口組の「事実上の最高指導者」とされていた。 刀傷によるものと伝えられる閉じた片目を外観上の際立った特徴としている。

参照元 : wiki/高山清司

神戸山口組が、実話系週刊誌3誌の編集部員を呼び出し、六代目山口組に立った誤った記述について厳重に抗議

六神情報戦

神戸山口組が10日、実話系週刊誌3誌の編集部員を神戸に呼び出し、六代目山口組に立った誤った記述について厳重に抗議という。



・マスコミに圧力かけて提灯記事書かせる神戸山口組

・T組姐の抗議云々もT組姐を黙らせた神戸山口組関係者側が一方的に流している情報

・神戸山口組の正木年男(パク・ニョンナム)は六代目山口組での広報担当者 ・マスコミとの窓口だった人物だけにメディアや記者の情報も収集してると見ていいだろう

情報戦で劣勢の「六代目山口組」の激白5時間 「カネ、カネ、カネ」だから叛乱は事実か?〈週刊新潮〉

2015年10月2日(金)8時1分配信

六代目山口組体制に不満を募らせ、ついに謀叛を起こした有力組長らの処分から間もなく1カ月。雑誌などには「抗争」、「激震」、「組長の首」といった物騒な文字が躍るが、実際は何が起こっているのか。六代目山口組の直系組長4人が初めて明かす裏切りの内情。

「メディアは今回の件を分裂と書くし、一般の方から見ても分裂に見えるんかもしれへんけど、実は分裂でも何でもない。単なる謀叛で、謀叛を起こしたモンが絶縁や破門処分になっただけです。徒党を組んで神戸山口組を名乗り、菱の代紋を勝手に使っとるようやけど、そんなことこっちは認めておらんし、いわば似非(えせ)山口組やな。一和会の騒動とは違うんですわ。あの時は、四代目の親分の盃(さかずき)を飲むの嫌や言うて出て行った。これは分裂ですやん。新しい親分に付いていけへん、言うて出て行ったわけやから。今回は司の親分の盃飲んだモンが、その盃を返すことなくほったらかしにして出て行っとるんやから、これ、謀叛ですやんか。しかも、これは逆縁と言うて、我々の世界では犯罪。犯罪の中でも、万死に値するもんです」

そう語るのは、指定暴力団「山口組」の直系組長である。山口組が、有力直系組長だった井上邦雄・山健組組長や入江禎・宅見組組長、寺岡修・侠友会会長など13人を絶縁、破門処分にしたのは8月27日。そして9月5日、13人は神戸市内の山健組本部に集まり、「神戸山口組」の発会式を行った。井上氏が山健組と兼任する形で組長に就任、入江氏が副組長、寺岡氏が若頭となった。

本誌(「週刊新潮」)は山口組と神戸山口組、双方に取材を申し込んだ。結果、山口組は直系組長4人が揃って取材に応じたが、神戸山口組は、「取材はお断りさせていただきたい」とのことだった。

「我々の世界の根本に何があるかというと、盃事なんです。汚い世界のたった一つキレイなところ、と言うてもええかもしれません。今回、彼らは我々の世界の根本にあるルールを破った。その時点で、向こうに百に一つの言い分があったとしても、それは通らない、ということなんです。

山口組を含め、この業界では、一切の権利、一切の縄張りは親分のモン。先代と代替わりした時には、先代のカマドの灰まで当代のモンなんです。山口組の親分は、ええモンも悪いモンも全部引き継ぐ。その親分に白い物を黒や言われても、それは認める言うて我々、盃飲んどるんです。そんな大事な盃をほったらかしにして出るなんて、絶対にやってはならん。彼らには山口組を名乗る資格はない。

しかも、彼らの中核、中心人物は今の体制を推し進めてきた人間ですよ。例えば、総本部長やってた入江さん。彼、まともなこと言うてましたよ。お前の若い衆は、お前のモンやないんやぞ、と。親分から預かっとる若い衆やぞ、と。そう言うとった張本人が今回みたいなことしてますねん。前出てきてきちんと説明してもらわんと。

方向性が違うと考えたならば、なぜ彼らは中にあって改革しなかったんですか? 一回でも彼らが腹切る覚悟で親分に諫言しましたか? それが出来ない言うて、オレもう知らんわ言うて、徒党組んで出て、これが通ると思います? そら無理でしょう。中で何もせずに、逆縁を犯してまで勝手に出たというのは、許されないことです」

■抗争になりようがない
9月5日、神戸山口組が発会式と同時に発表した「御挨拶」と題する文章には、以下のように書かれている。

〈現山口組六代目親分に於かれては表面のみの「温故知新」であり中身にあっては利己主義甚だしく歴代親分特に三代目親分の意を冒漬する行為多々あり此の儘見て見ぬふりで見過ごしにする事は伝統ある山口組を自滅に導く行為以外考えられず我ら有志一同の者仁侠道の本分に回帰致し歴代山口組親分の意を遵守する為六代目山口組を離脱致し新たなる「神戸山口組」を発足し歴代親分の訓育と魂魄を忘失する事なく心機一転肝刻致し新しい神戸山口組に身命を賭す覚悟であります〉

「我々からしたら、あんなわけのわからん回状出して、我々の親分に対する思いを逆なでしとる。あれ、全国の山口組以外のモンが見たら“ああ、この程度か。山口組の執行部におったもんの考えってこの程度か”と思うやろうし、我々も恥ずかしいし、カーッともくる。でも、それで鉄砲でも持ちだしたら、一発で特定抗争指定暴力団に指定され、全国の事務所は閉鎖ですわ。向こうはそれを狙っとる。あるいは、そういうことを見越して、彼らは出て行ったんでしょう、今回。

だから、向こうの挑発に山口組は一切関わるな、との通達が徹底されとる。窓ガラス撃たれたら、窓ガラス代えたらしまいですやんか、と。マスコミは鉄砲をバンバン撃つんじゃないかと煽りますが、そんなことは起こらへんのです。ピストルは撃っただけで10年、人に当たったら20年、相手が死んでもうたら無期ぶちこまれるんでっせ。後、誰が面倒見てくれるゆうんですか。

大阪のミナミが危ない、なんてマスコミは嬉しそうに書きますけど、出て行った側ときっちり棲み分けができてますから、抗争になりようがない。また、組の電話はあけたままにしてある。“若い子が相談にきたら聞いてあげて”というのが親分の考え方です」

実際、9月1日、神戸の山口組総本部で開かれた定例会で配られた司忍組長の手紙には次のように書かれている。

〈離脱者の多くから心情を訴える相談が多数あると聞くが、罪のない若い者、この人達に対しては非を咎めることをせず、寛容な気持ちで相談に乗ってあげて欲しい。今、様々な形での噂、流言飛語が飛びかっていると聞くが、真実は皆が一番知るところである。軽挙妄動を慎み、全組員が連絡を密にして平常通り斯道に励み、この困難な時代にこそ男としての真髄を極めることを希望する〉

「歯がゆいのは、向こうに情報のコントロールをうまくやられてしまったことやね。出て行った正木さん(年男・正木組組長)いうのが元々広報担当やっとったし、喋りもうまい。彼だけやのうて、警察通じても向こう側からの情報を出され、あることないこと書かれた。今、いろんな雑誌読んだら司の親分のこと、すごい悪いように思うわな。

彼らは、逆縁というやってはいけないことやって出て行った。必死に情報を出さなアカン、自分らを正当化せなアカン立場やというのがよう分かっとるんでしょう。また、彼らとしては何か出ていく大義を作らなアカン。それで、司の親分が山口組の総本部を名古屋に移そうとしていた、なんていう作り話をするわけです。こんなんわざわざ否定するのもアホらしいようなありえへん話です。司の親分は一回もそんな計画を口に出したことはないし、そんな考えが頭をよぎったこともないでしょう。だいたい、今は暴力団排除条例とかのせいで、近所に病院や学校がある場所には暴力団の事務所を置けんのです。だから、弘道会の本部に山口組の本部を移転するなんて、そもそも無理なんや。出て行った彼らもそれは分かっているのに、ペラペラそういうウソを言いふらすんですわ。彼らが新しい組織の事務所を淡路島の侠友会の事務所に置こうとしているのは、その周辺に条例にひっかかりそうな施設がないからです。

出て行った人らは、司の親分のことを“カネ、カネ、カネ”の金にがめつい人間のように仕立てあげたいようやけど、これも全然違います。我々直系組織が支払う会費は、100万円前後です。まず、これらは山口組を運営するために必要な金であって、司の親分の懐を豊かにするためのものじゃないのは言うまでもありません」

■異変の兆候
「出て行った人らは、この会費の額が高いと言っとるようやが、山健組は山口組本体より高い金額の会費を集めています。同じように宅見組も高い会費とってますよ。

こちら側は“カネ、カネ、カネ”の守銭奴みたいな言い方をされていますが、司の親分の体制になってから、引退する親分に元々は1億円の餞別を払っとったんです。直系組長が100万円くらいずつ分担拠出するのはその時ですわ。ただ、親分の引退が相次いで、その1億円がなかなか支払えなくなり、金額は5000万円になり、ついには2000万円になってしまいましたが……。

ミネラルウォーターや日用雑貨を月額50万円以上、強制的に売りつけている、というのもウソですわ。水、買うてるのは事実やけど、組員の数に応じて、せいぜい月に5万円分から20万円分くらい。組員が100人超えるとこで20万円てとこやろ。

水の事業をやっとるのは、神戸市にある『アトレジャパン』いう会社で、元々、これを作ったのは今回、出て行った中の1人です。この会社は、我々が『会館』と呼ぶ葬祭場を持っているんやけど、毎月思たように葬儀もないし、組葬もできない。それでも維持費はいるし、社員の給料も固定資産税も払わなアカン。それで始めたのが、組員に水とか雑貨を売る事業ですわ。

そもそも、出て行った彼らは、組員に水を売りつけてなんやとか言うとるけど、山健組は自分とこで水作って自分とこの組員に売ってますからね。どの口が言うねん、いうことです。

何度も言うようやけど、山口組本部の名古屋移転の話なんてあらへんし、司の親分が金にがめついなんてこともない。それから水の話も今回の謀叛には関係ないんです」

ではなぜ今回の裏切りは起こったのか。この人がいれば謀叛は起こらなかったのではないか――として直系組長はある人物の名前をあげる。恐喝の罪で懲役6年の刑が確定し、昨年6月、刑務所に収監された高山清司若頭である。

「頭(かしら)(高山若頭)の事件は、頭本人も俺らも絶対無罪になる思うてたけど、実刑打たれてしもた。入江さんは若いモンをもっと直参に上げろと上から言われて、このままやと宅見組はバラバラにされてしまうんやないか、と考えてアタマがグニョグニョになったんやと思いますわ。で、1人で考えて考えて、今回、頭がおらん時にこんなことした。頭がおったら絶対に無理です。

でも、今回の件でヨーイドンから謀議しとったんは、井上さん、正木さん、池田さん(孝志・池田組組長)の3人やろう。寺岡さんは舎弟になってからこの3人に加わり、そこへ入江さんも入って行った。

異変の兆候はあったんです。舎弟さんにも総本部の当番があるんです、水曜日に。当番といっても、2階の応接間でテレビ見てタバコ吸うとるだけですけどね。最初はそれぞれ1人で来とったんですが、池田さんが来る時に正木さんが来る、正木さんが来る時に寺岡さんが来る……。入江さんや井上さんがそこに顔を出すこともあった。で、みんなでチンチンになって(熱くなって)たんですわ。

そうやってずっと燻っとったわけやけど、まず8月12日、山健と別の組が20団体ほど連れて出るという怪文書が回っとるいう情報が流れた。この時は一旦、ガセネタと判断したんやけど、21日にはもっとはっきり名前が分かってきた。で、26日に“27日に緊急執行部会をやる”と言うたら、井上さんと入江さんが、行きませんと伝えてきたんや。そんなことがあって、27日に向こうは慌てて盃しよったんですわ」

■金銭に関する資料?
「出て行ったモンは確かに悪い。でも、彼らを追い詰めたことは我々も考えて反省しなければならない。

しかし、出て行った彼らは、今の山口組は弘道会支配で人事も何もかも決めてる言いますけど、あの人らが出る前までの執行部の顔ぶれを見ると、圧倒的に山健組、宅見組出身が多いですよ。彼らは思い込んでしまいよったんです。司の親分、高山の頭、竹内さん(照明・弘道会会長)、このラインで決まってもうてる、と。もう決まっとるなら、応援することもないやろ、と。山健組に非ずんば山口組に非ず、と言われた時代があって、山健の枝の葉っぱの先の毛虫みたいなヤツまでエラそうにしとった。で、今度は自分らの思い通りにならんから言うて出て行ったら、そらあきませんわね。

でも、そもそも竹内さんが八代目になる、なんてことが今から言われることがおかしい。山口組の組長は生涯現役で、基本的には終生親分であり続ける。まだ親分がおるのに次の話をすること自体がありえへんわけやけど、本来は長男である頭が次を取る。高山の頭は、竹内さんにとっては親分やから、その人を七代目に推すのは当たり前」

9月5日に行われた神戸山口組の発会式に際しては、“サプライズ”が1つあった。住吉会幸平一家の加藤英幸総長が姿を現し、“発会式の見届け人を務めた”と見られているのだ。

「加藤さんの件については、我々はこう聞いています。以前、加藤さんが体調を崩している時に井上さんがお見舞いに行ったことがあった。加藤さんが、その返礼に伺いたいが、いつがいいか、と聞いたら、井上さんに9月5日に来てください、と言われて行った、と。

主に出て行った側がワーッと情報を流すから、情報が錯綜しているように見えるかもしれませんが、錯綜しているんじゃなくて踊らされているだけです。例えば、出て行った側に山口組の会計に携わっとった人間がおって、資料をいろいろと持ち出していて、当局がそれをもとに脱税などで捜査を始める、といった話が流れとります。あんまり追い込むと資料もってチンコロ(密告)するぞ、という我々に対するプレッシャーなのかもしれませんが、そもそも、金銭に関して詳細に記した資料自体が山口組には存在しませんよ。あの人らが持ち出した言うたら、事始めとかの儀式に使う金の盃と金の茶瓶を勝手に持って行きよりましたわ。

彼らは自分らを正当化するためにチラシ撒いてみたり、滅茶苦茶なことが書かれた文書を出してみたりしとるようやが、それを見て日本中のヤクザがバカにすんなと思ったはずですわ。盃がまだあるのに、親分の悪口雑言を並べ立てるなんてとんでもない、と」

■トロイの木馬
「我々は、出て行った側の人数を1000人弱と計算しています。山健組が600人、宅見組が300人、あとは数人から数十人の組やからね。で、向こうが似非山口組を立ち上げてから2週間ちょっとですが、山健組から150人、他団体から50人がすでにこちらに戻ってきています。自分とこの親分がやっとるのは大義のないことや、こんなもん逆縁や、あるまじき行為や、ということで続々と戻ってきとるわけです。戻ってきた中に向こうのスパイがおって、トロイの木馬みたいなことになったら困りますから、きっちり身元を調べた上で戻す。戻ってきた者は、山口組のいろんな組織に振り分ける。近々、戻ってきた者がどこの組織と縁組した、ということが分かる書状を回す予定になってます。当初は櫛の歯が抜けるようにこちらに戻ってきとったが、今では入れ歯がポンて取れるような感じやで。

そんな今の状況も彼らにとっては誤算なんやろうけど、彼らは元から計算を間違うとった。七十数人おった直系組長のうち、40人ほどが行動を共にし、全体の人数も数千人になると思うとったんでしょう。でも、フタを開けてみれば直参はたった13人で、全部で1000人弱。今ではそこからさらに減って、全体で800人もいない。

今後、向こうの組織を出る者はますます増えていって、勝手に自然消滅しよると思いますよ。今、井上さんは山健組の組長と、新しく作った組織の組長を兼任しとる。井上さんは山健組の四代目組長やから、五代目を誰かに譲って、自分は新しい組織のトップに専念すべきですやん。なんでそれをすぐにせえへんのか分かります? それをしたらワーッと人が出て行ってしまうからです。井上さんが、山健のトップから、今度新しく作った組織のトップになる時、元々あった子分たちとの盃は水に流すことになる。で、新たな組織のトップとして盃をせなアカンのですが、その盃を受けずにこっちに戻ってくる者がようけ出てくることになるんですわ。

盃直しをきちんとやっとらんから、あの組織は妙なことになっとる。新しい組織の若頭になった寺岡さんは、山健組の若頭と同格になる。一般の人には分かりにくいかもしれませんが、これはこの世界ではすごくおかしなことなんですわ。山健組の若頭いうたら、山口組の三次団体の組長です。山口組の執行部メンバーまでやった寺岡さんと、三次団体の組長が同格とは、誰が見てもおかしいでしょ。このままずっと同じ状態で行くわけにはいかんが、盃を直すと人が出て行ってしまうからできへんわけです。

あと、向こうの組織にとって頭が痛い問題は他にもある。抗争事件でジギリを掛けて(組織のために身命を賭けて)、まだ刑務所から帰ってきていない者がおるんです。彼らは山口組のために自分の体を賭けた。それやのに似非山口組に迎えられたら、帰ってきた人間、どない思います?

最後に、世間一般の方々には、今回の件でお騒がせして申し訳ありません、と謝罪させていただきたい。こういうことになった原因がどこにあるのかを検証し、今後は世間に迷惑をかけることのないようにしていきたい、と考えております」

参照元 : BOOKS&NEWS 矢来町ぐるり

まとめ
・「神戸山口組」は逆縁で犯罪、謀叛です

・「神戸山口組」は取材拒否、山口組は直系組長4人が揃って取材に応じた

・山口組総本部の名古屋移転話は、「神戸山口組」の作り話

・「神戸山口組」事務所を淡路島に置くのは、身の丈に合っている

・山健組と宅見組の会費は、山口組直参の会費より高額

・ミネラルウォーターや日用雑貨を月額50万円以上、強制的に売りつけている、という話はウソ

・水を買うてるのは事実やけど、組員の数に応じて月に5万円~20万円分くらい。(組員が100人超えるとこで20万円)

・山健組は自分とこで水作って自分とこの組員に売ってます

・「神戸山口組」の首謀者は、井上、正木、池田の3人

・9月5日の「神戸山口組発会式」に住吉会幸平一家の加藤英幸総長が姿を現したのは、「お見舞いの返礼」

・「神戸山口組」は、山口組の儀式に使う金の盃と金の茶瓶を勝手に持って行きよりましたわ

・「神戸山口組」の勢力は、直参13人、全体で800人(山健組が450人、宅見組が300人、あとは数人から数十人の枝ばかり)

・「神戸山口組」は井上と盃直ししとらんから、「神戸山口組」若頭と山健組の若頭が同格(直参と三次団体の組長が同格)

六代目山口組HPより

世間で騒がれている山口組分裂の騒ぎだが、元より任侠道の大義にかなわない。侠道界の契り、盃事とは、神との契りなのであるから、神国日本の伝統と仕来たりからくる、慣わしに叛く事となるのである。

古来からの成り立ちがただの形なのではない。それが一番の問題なのだ。まして本家山口組に対抗するかの様に、神戸山口組を名乗り、全てが勝手なのであるから、何の重みも感じられない。

一和会の二の舞を踏まぬ為に、苦肉の策なのか解らないが、余りにおそまつな行為であり、それがまかり通れば、それは任侠人とは程遠いものだ。あれから数日の間、殆んどの人間が道を誤った親方を見限って脱退している事を見ても、いかに行為が誤っているかは歴然である。

T組姐さんは、『親の言う事を聞かぬ者は嫌いです』と言ったそうだ。また、全国の侠道界諸兄より、『任侠道は一つです』と、表敬訪問に訪れているというから、道を誤った者達が是非を糺されるのも時間の問題であろう。

現在の勢力図四派
(1)神戸派
(2)名古屋派

名古屋に不満を抱きながら態度留保してる残留派
(3)組長引退まで様子見
(4)タイミング次第で神戸移籍


六代目山口組総本部付

絶縁状



井上邦雄(四代目山健組組長)67歳
入江 禎(二代目宅見組組長) 70歳
寺岡 修(侠友会会長)      66歳
正木年男(正木組組長)    68歳
池田孝志(池田組組長)    70歳

破門状



毛利善長(毛利組組長)     74歳
岡本久男(二代目松下組組長) 69歳
剣柾和(二代目黒誠会会長)  51歳
奥浦清司(奥浦組組長)     71歳
高橋久雄(雄成会会長)     54歳
宮下和美(二代目西脇組組長) 67歳
清崎達也(大志会会長)     45歳
池田幸治(四代目真鍋組組長) 48歳

絶縁 = 復帰出来ない

破門 = 本人次第で復帰出来る

絶縁・破門ともに他所は拾わないでくれ、付き合いしないでくれ。

現実ではそうではない。菱に限らず全国の組織が破門を承知で拾っている組など数えきれないほどある。絶縁も同様で金で元の組織に復帰したり名前を変えて他の組織に入ったりしている。黙認を含めると日本中のヤクザがそれに関与している。自分のところの絶縁・破門だけが有効だと胸を張って言える組織などない。

絶縁・破門は身内に対しての処分だが他団体との縁を切る「義絶」というのもある。当時、一本独鈷だった九州の西部連合は道仁会とトラブルになり双方と親戚関係にある工藤會が仲裁に入ろうと執行部が西部連合を訪ねるが総裁の西山(当時)は門前払いして会おうとしなかった。激怒した工藤會は西部連合との親戚を解消。全国に「義絶状」を送り縁を切った。西部連合は現在、弘道会に拾われている。

西部連合(当時は西武連合)は割れた経験があり、二代目双葉会の和田会長を中心に太住会を結成して抗争に発展。割った側の和田会長は双葉会会長→太住会会長→福博会会長→福博会総裁。

福博会は山口組とは親戚関係にあり友好団体であり、割った側と付き合いしても良いし親戚になってもいいと山口組自ら証明している。

■山口組三代目田岡組長は工藤會初代VS工藤會二代目の抗争■
(工藤組VS草野一家)当時、工藤組若頭の草野は山口組との抗争で服役。未決拘留中に工藤組を離脱して草野組解散声明を出し、工藤組長は一方的な親子絶縁であるとして草野若頭を破門。刑期を終え、出所した破門された草野を出迎えたのは山口組三代目の田岡組長。

田岡は山口組として破門の身の草野の放免祝いを盛大に行った。田岡は草野を山口組に迎え入れようとしたが草野は断り山口組に加入しなかったが山口組最高幹部の伊豆組、伊豆健児組長と五分の兄弟分となる。

草野は工藤会(工藤組)と同じ北九州で草野一家を結成し、山口組系の石井組や伊豆組が助っ人に入り抗争へ発展、稲川会の仲裁で手打ちが行われて抗争は終結。工藤組と草野一家は合併し、工藤連合草野一家となり草野は初代総長。

司忍が心酔している田岡も離脱・破門者側についた歴史があるということだ。


【神戸山口組組織図】
組 長 - 井上邦雄(四代目山健組組長)

◆執行部
副組長 - 入江 禎(二代目宅見組組長)
顧 問 - 奥浦清司(奥浦組組長)
若 頭 - 寺岡 修(侠友会会長)
舎弟頭 - 池田孝志(池田組組長)
総本部長 - 正木年男(正木組組長)
本部長 - 毛利善長(毛利組組長)
舎 弟 - 岡本久男(二代目松下組組長)
舎 弟 - 宮下和美(二代目西脇組組長)
若頭代行 - 織田絆誠(邦道連合総長)
若頭補佐 - 剣 柾和(二代目黒誠会会長)
若中・組長秘書 - 高橋久雄(雄成会会長)
若中・組長秘書 - 池田幸治(四代目真鍋組組長)
若中・組長秘書 - 清崎達也(大志会会長)

◆幹事
中田広志(五代目健竜会会長)
與 則和(與組組長)
中橋勝久(中橋組組長)
藤森吉晴(二代目松藤組組長)
水田忠好(三代目村正会会長)
物部浩久(三代目妹尾組組長)
今村仁志(二代目勝心連合組長)
山田 一(三代目杉本組組長)
平良辰雄
新福 孝(新友会会長)
井上憲生(六代目諏訪一家総長)
高木 昇(昇伸会会長)
伊藤 誠(伊藤組組長)
東 正春(東組組長)
神崎 誠(神崎会会長)
丸山隆英(二代目岡本会会長)
前本憲壮(前本組組長)
神田清正
上田昌浩
幅多潤也
清水克也(清水組組長)

【六代目山口組組織図】(分裂時)
組 長 – 司 忍/篠田 建市

◆執行部
若 頭 – 髙山清司
舎弟頭 – 入江 禎(二代目宅見組組長)※絶縁 神戸山口組
統括委員長 – 橋本弘文(極心連合会会長)
本部長 – 大原宏延(大原組組長)
若頭補佐 – 青山千尋(二代目伊豆組組長)
若頭補佐 – 井上邦雄(四代目山健組組長)※絶縁 神戸山口組
若頭補佐 – 藤井英治(五代目國粹会会長)
若頭補佐 – 江口健治(二代目健心会会長)
若頭補佐 – 森尾卯太男(大同会会長)
若頭補佐 – 光安克明(光生会会長)
若頭補佐 – 高木康男(六代目清水一家総長)
若頭補佐 – 竹内照明(三代目弘道会会長)

◆顧問
石田章六(章友会会長)

◆舎弟
川合康允(川合組組長)
鈴木一彦(旭導会会長)
青野哲也(七代目一力一家総長)
寺岡 修(侠友会会長)※絶縁 神戸山口組
正木年男(正木組組長)※絶縁 神戸山口組
池田孝志(池田組組長)※絶縁 神戸山口組

◆幹部
総本部事務局長 – 毛利善長(毛利組組長)※破門 神戸山口組
岡本久男(二代目松下組組長)※破門 神戸山口組
総本部事務局次長 – 剣 柾和(二代目黒誠会会長)※破門 神戸山口組
組織委員長 – 高野永次(三代目織田組組長)
慶弔委員長 – 野村 孝(三代目一会会長)

【六代目山口組組織図】(最新)
組 長 - 司 忍

◆執行部
若 頭 - 高山清司
統括委員長 - 橋本弘文(極心連合会会長)
舎弟頭 - 青山千尋(二代目伊豆組組長)
本部長 - 大原宏延(大原組組長)
若頭補佐 - 藤井英治(五代目國粹会会長)
若頭補佐 - 江口健治(二代目健心会会長)
若頭補佐 - 森尾卯太男(大同会会長)
若頭補佐 - 光安克明(光生会会長)
若頭補佐 - 高木康男(六代目清水一家総長)
若頭補佐 - 竹内照明(三代目弘道会会長)

◆顧問
石田章六(章友会会長)

◆舎弟
川合康允(川合組組長)
鈴木一彦(旭導会会長)
青野哲也(七代目一力一家総長)

◆幹部
組織委員長 - 高野永次(三代目織田組組長)
慶弔委員長 - 野村 孝(三代目一会会長)
藤原健治(三代目熊本組組長)
茶谷政雄(茶谷政一家総長)
富田丈夫(國領屋一家総長)
組長付 - 清田健二(十代目瀬戸一家総裁)
組長付 - 薄葉政嘉(十一代目平井一家総裁)
慶弔委員長代理 - 能塚 恵(三代目一心会会長)
総本部責任者 - 安東美樹(二代目竹中組組長)

いよいよ抗争開始か!?ミナミの山口組系「倉本組」事務所で、男性が拳銃で撃たれ死亡 ⇒ 警察は自殺と見ている?

ミナミの山口組直系事務所で男性銃撃、心肺停止 大阪

2015.10.26 14:10



26日午後0時半ごろ、大阪市浪速区桜川の指定暴力団山口組直系倉本組の傘下事務所で、拳銃で撃たれたとみられる男性がいると110番通報があった。大阪府警によると、事務所内で男性が倒れており、心肺停止という。

捜査関係者によると、倉本組は奈良市に本拠を置く組織で、山口組の分裂をめぐって今月中旬、内部で分裂の動きがあったという。府警は、倉本組内で何らかのトラブルが起きた可能性もあるとみて、詳しい状況を調べている。

参照元 : 産経新聞


大阪・組事務所:「拳銃で撃たれた」男性死亡 山口組系

2015年10月26日 13時42分

26日午後0時半ごろ、大阪市浪速区桜川1の指定暴力団山口組系の組事務所で、「男性が拳銃で撃たれた痕がある」と110番通報があった。男性は体に1発撃たれたような痕があり病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。

大阪府警浪速署は事件と自殺の両面で捜査を始めた。 府警によると、組事務所は、山口組の直系団体「倉本組」傘下組織が拠点を置いている。現場はJR難波駅前のマンションやオフィスビルが建ち並ぶ一角。

参照元 : 毎日新聞


倉本組(山口組)

元指定暴力団山口組の元二次団体。構成員は約1800人。かなりの大所帯ですが、いろいろ複雑な歴史があるようで、次の様にまとめられていました。

倉本氏急死→跡目争い理由で倉本組解散→貴広会倉心会に分裂→倉本の名を消滅させた張本人津田小條氏の盃を拒否→再び一本独古織田興業→旭川刑満期出所暫 く一本→黒竜、勢昇氏の尽力で健竜会加入→若中から若頭補佐昇格→山健組直参昇格→幹部昇格→若頭補佐昇格。

2015年、山口組より除籍処分

同26日川地敏之組長が大阪ミナミにある傘下三誠会組事務所で胸部を撃たれ死亡しているのが発見された。倉本組組員の中には、神戸山口組の宅見組に移籍したものがおり、責任追及され除籍処分となっていた。警察は自殺と見ている。

◆倉本組系譜
初 代 – 倉本広文
二代目 – 津田功一
三代目 – 河内敏之

◆三代目倉本組組織図
組 長 – 河内敏之 本名: 川地敏之

◆執行部
組長代行 – 稲月幸二(稲月興業組長)
若 頭 – 森嶋弘道(奈良倉友連合組長)
舎弟頭 – 入田茂郎(三代目南組組長)
本部長 – 田中敦之(七代目倭奈良組組長)
組織渉外委員長 – 中嶋 靖(二代目森嶋組組長)
舎弟頭補佐 – 東城新吾(三代目國心会会長)
若頭補佐兼風紀委員長 – 竹内貴洋
若頭補佐兼組長秘書 – 北尾康彰
若頭補佐 – 坂本義道(三代目小船谷組組長)
若頭補佐兼組織渉外副委員長 – 安井幹博(二代目成田組組長)

◆舎弟
組長相談役 – 片平哲行(曙総業組長)
顧 問 – 原 重夫(二代目関東原組総裁)
副組長 – 森元郁夫(九代目高木組組長)
副組長 – 南岡正男(二代目南岡組組長)

◆幹部
原 克則(二代目関東原組組長)
上野 薫(三代目三誠会会長)

◆若中
井坂裕一(九代目高木組若頭)

暴力団もいろいろあるようですが、本部のある奈良県奈良市西九条町3-2-4に行ってみましょう。



かなり広大な敷地を所有しているようですね。



いつも思うのですが、どうしてゴミの集積所をこんなところにつくるのでしょうか?捨て難くてしょうがないのですが。



どこかの大使館の様な造りです。



日本大使館ではないようですって当たり前か…。やはり1800人も組員がいるのでかなり巨大な組織のようですね。

参照元 : 暴力団事務所の所在地と画像



倉本組は六代目系なんだけど、神戸山口へ出て行った宅見組とは縁が深い。河内は残るつもりが執行部から移籍が続出して統率不能へ(組員100人ほどに激減)。だから本質を言うと実質、宅見組が正解。

◆三代目倉本組組織図
組 長 - 河内敏之(六代目山口組若中)→崩壊の責任として除籍

◆執行部
組長代行 - 稲月幸二(稲月興業組長)→嫌になって引退
若 頭 - 森嶋弘道(奈良倉友連合組長)→宅見組へ
舎弟頭 - 入田茂郎(三代目南組組長)→宅見組へ
本部長 - 田中敦之(七代目倭奈良組組長)→倉心合体の残留
組織渉外委員長 - 中嶋 靖(二代目森嶋組組長)→宅見組へ
舎弟頭補佐 - 東城新吾(三代目國心会 会長)→倉心合体の残留
若頭補佐兼風紀委員長 - 竹内貴洋→未確認
若頭補佐兼組長秘書 - 北尾康彰→未確認
若頭補佐 - 坂本義道(三代目小船谷組 組長)→宅見組へ
若頭補佐兼組織渉外副委員長 - 安井幹博 (二代目成田組組長)→未確認

◆舎弟
組長相談役 - 片平哲行(曙総業組長)→嫌になって引退
顧 問 - 原 重夫(二代目関東原組総裁)→未確認
副組長 - 森元郁夫(九代目高木組組長)→宅見組へ
副組長 - 南岡正男(二代目南岡組組長)→宅見組へ