2016年1月16日土曜日

大けがをした男性が倒れて置き去り 殺人未遂の疑いで山口組系幹部の男を逮捕

暴行を加え置き去りか 暴力団幹部の男を逮捕

2016/01/16 02:50

茨城県坂東市の病院の駐車場で大けがをした男性が倒れて置き去りにされているのが見つかった事件で、殺人未遂の疑いで暴力団幹部の男が逮捕されました。

13日午後8時半ごろ、坂東市の病院「ホスピタル坂東」の駐車場で、「痛い。痛い」と大声で叫びながら倒れている男性が見つかりました。警察によりますと、男性は41歳で、右足を骨折していたほかに複数の傷があり、現在も重傷です。

その後の捜査で、坂東市に住む指定暴力団山口組系幹部の木村豊容疑者(46)が自宅近くの路上で男性に暴行を加えて殺害しようとした疑いが強まり、16日、殺人未遂の疑いで逮捕されました。2人の間には何らかのトラブルがあったとみられています。茨城県警境警察署は、逮捕した木村容疑者の認否について明らかにしていません。

参照元 : テレ朝ニュース


▼事件現場のホスピタル坂東



足の骨を折るほどの暴行って、何か武器を使ったのだろうか?金属バットで撲殺しようとしたのか?犯人の名前は木村容疑者。キムさんでしょうか?

置き去りにされた場所が病院で良かった。この被害者男性も普通の一般市民ではなさそう。

自宅敷地に駐車中の車内で、ポンプ式空気拳銃1丁を所持した疑い、指定暴力団・太州会幹部の男(61)を逮捕

空気銃所持容疑で暴力団幹部逮捕 福岡県警粕屋署

2016年1月13日(水)15時34分配信



福岡県警粕屋署は13日、銃刀法違反の疑いで、福岡県飯塚市の指定暴力団太州会幹部の男(61)を逮捕したと発表した。署によると、昨年11月18日、自宅敷地に駐車中の車内で、ポンプ式空気拳銃1丁を所持した疑い。

参照元 : 西日本新聞


空気銃で銃刀法違反?空気銃って所持すると逮捕されるの?

殺傷能力のある空気銃だったのか?

太州会



四代目太州会(たいしゅうかい)は福岡県田川市弓削田289に総本部を置く指定暴力団。構成員は約140人。

太州会系譜
初 代 - 太田州春
二代目 - 田中義人(田中組組長)
三代目 - 大馬雷太郎(大馬組組長)
四代目 - 日高 博(二代目飛竜会会長)

組織図
会 長 - 日高 博
最高顧問 - 久保田俊英(久保田組組長)
副会長 - 大岩 明
相談役 - 原田春一
相談役 - 大岩明
執行部総本部長 - 山岡信幸(二代目大岩組組長)
執行部組織委員長 - 大森伸治(大森組組長)
事務局長 - 野村祐二 (野村組組長)
若頭補佐 - 日高斎寿(三代目飛竜会会長)
若頭補佐 - 川野克哉(二代目市丸組組長)
若頭補佐 - 勝木浩一(勝木組組長)
直 若 - 平元秋好(平元組組長)
直 若 - 岡本文雄
直 若 - 田中一休
直 若 - 大森博行
直 若 - 城戸勝博
直 若 - 縄田雅弘
直 若 - 工藤州蔵
専務理事 - 安中英二(三代目飛竜会若頭 竜英総業組長)

初代太州会
二代目太州会
三代目太州会
四代目太州会組織図・平成15年

参照元 : wiki/太州会

拳銃2丁と実弾を隠し持っていた暴力団・道仁会傘下組織の組長の男(58)ら3人を逮捕

拳銃2丁と実弾を隠し持つ 暴力団組長ら3人を容疑で逮捕 福岡・長崎県警

2016年1月15日(金)16時50分配信



福岡県警と長崎県警は15日、住所不定、暴力団道仁会傘下組織組長の男(58)ら3人を銃刀法違反および火薬類取締法違反容疑で逮捕したと発表した。

調べでは、3人は共謀し、法定の除外理由がないのに、昨年11月6日、福岡市博多区にある暴力団事務所内に、拳銃2丁と、実弾を隠し持っていた疑い。

参照元 : 西日本新聞


道仁会(どうじんかい)は福岡県久留米市京町247-5に総本部を置き福岡県久留米市上津町1972に本家を置く指定暴力団。構成員は約570人。



道仁会系譜
初 代 - 古賀磯次
二代目 - 松尾誠次郎
三代目 - 大中義久
四代目 - 小林哲治

◆道仁会組織図
会 長 - 小林哲治

◆執行部
会長補佐 - 篠塚信之(三代目平野組総裁)
理事長 - 坂本康弘(三代目平野組組長)
本部長 - 福田健一(福田組組長)
組織委員長 - 久保鉄也(久保組組長
理事長補佐 - 大沢孔一(大沢組組長)
風紀委員長 - 篠塚 太(二代目篠塚組組長)
事務局長 - 古賀繁敏(二代目荒巻組組長)
慶弔委員長 - 竹田隆史(竹田組組長)

◆舎弟
相談役 - 出口義春
副会長 - 山田貞美(二代目前田一家総長)
副会長 - 森 憲一郎(森組組長)
副会長 - 平山貞男
舎 弟 - 福井秀樹(二代目池田組組長)
舎 弟 - 山下弘文(山下組組長)
舎 弟 - 石橋政弘(石政組組長)

◆直若
浦塚 明(二代目中村一家総長)
堤 修平(三代目松尾組組長)
志岐公司(三代目吉岡一家総長)
岡田 充(岡田組組長)
百田雅治(百田組組長)
塩満哲也(御薗会会長)
山下十志郎(二代目長崎一家総長)
小森 正(二代目見城組組長)
中山雄次(中山組組長)
松永高佳(二代目平井組組長)
武田俊博(二代目出口一家総長)
松隈達也(三代目池田(繁)組組長)
江頭康広(江頭組組長)
矢ヶ部哲司(矢ヶ部組組長)
松永一夫(松永組組長)
中村 太(太道会会長)
古賀圭輔(奎仁会会長)
白水浩司(二代目小林組組長)
池部 徹(池部組組長)
東田弥勇毅(四代目古賀一家総長)

初代道仁会組織図
二代目道仁会組織図
三代目道仁会組織図

参照元 : wiki/道仁会

【警察庁】昨年9月以降、年末までに山口組と神戸山口組の双方の事務所など118カ所を家宅捜索し、幹部ら延べ161人を摘発

山口組分裂で161人を摘発

2016年1月15日(金)7時55分配信



国内最大の指定暴力団山口組(神戸市)の分裂について、警察庁の金高雅仁長官は14日の定例会見で、「昨年9月以降、年末までに山口組と(山口組から分裂した)神戸山口組の双方の事務所など118カ所を家宅捜索し、幹部ら延べ161人を摘発した。引き続き両団体の弱体化と壊滅に全力を尽くし、市民の安全に万全を期したい」と語った。

分裂から4カ月以上が経過した現状については「両団体による小競り合いが相次ぎ、緊迫した情勢下にある」と指摘。「組員の大量摘発などで抗争を未然防止し双方の弱体化を進めている」とした。

金高長官は13日、両団体の拠点がある兵庫県内を視察し、県警の暴力団対策の捜査員らに、「全国警察の取り締まりの最前線であり主戦場。全力を尽くしてほしい」と訓示した。神戸山口組を暴力団対策法に基づく指定暴力団とするため、情報を収集していることも明らかにした。

参照元 : 産経新聞


161人摘発って、刑務所がヤクザだらけに!

桜の代紋ヤクザが本気で暴力団を潰しにかかってます。

このままだと、日本は外国人マフィア天国になるのでは?

安倍政権の移民受け入れで、不良外国人が大量に入ってくる。

2016年1月15日金曜日

メキシコに蔓延る麻薬カルテルの王者ホアキン・グスマン・ロエラ(58才)=通称エル・チャポ、脱獄から再び逮捕

メキシコ麻薬カルテルの王、エル・チャポ逮捕。しかしその影響力は強い

2016年1月14日(木)9時21分配信



◆3度の収監、脱獄から再び逮捕

メキシコに蔓延る麻薬カルテルの王者ホアキン・グスマン・ロエラ(58才)=通称エル・チャポ=が1月10日に逮捕された。昨年7月11日に刑務所を脱走して失踪していた。彼は15年間で3度収監された人物だ。

エル・チャポは1980年代から麻薬の密売を始め、現在メキシコで最大の麻薬カルテル「シナロア」をイスマエル・サンバダ=通称マーヨ=と共同で仕切っている。32あるメキシコの州の半分にあたる17の州に密売組織を持ち、その内の5つの州を完全支配しているという。また米国市場をコントロールし、麻薬をカナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに送り、毎月2tのコカインと1万tの大麻を取り扱える能力を備えているという。大麻だけではない。メタンフェタミンやヘロインも生産し、メキシコを始め世界に流通させている。この組織の密売規模は30億ドル(3600億円)と言われている。(参照「El Pais」)。

米国の司法省によるとシナロアは毎月2tのコカインと10tの大麻を米国の1000以上の都市に流通させているという。米国財務省は米国で消費される麻薬の1/4はこのカルテルの密売によるものだと推測している。この密売で得た売上資金は世界10か国を対象に280種類のビジネスを通して洗浄されているという。

また米国の麻薬取締局(DEA)によると、シナロアが米国市場で活発な動きをしている背景には、DEAとシナロアとの間で取り引きがあったという。その内容とは他のカルテルの動きをシナロアはDEAに密告する。その代わりにシナロアの米国市場での密売に寛大さをもってDEAは対処するというものだ。この取り決めはメキシコがフォックス元大統領とカルデロン前大統領の政権時に行なわれたもので、両大統領の政権下でメキシコ国内においてもシナロアとは同様の取り決めをしていたという。

メキシコそして米国の麻薬取締局から蔭で支援を受けてシナロアは成長したのである。

◆自らの人生を映画化しようとした麻薬王

かくして、エル・チャポの名声は上がった。そして2014年に2回目の逮捕となった時に、彼は自ら歩んだ過程を本にまとめ、また映画化も試みたい気持ちになったようだ。彼自身の社会に与える悪人のイメージを一掃させたくなったらしい。

彼のこの願望を実現させる切っ掛けは2012年に既に生まれていた。メキシコのテレビのメロドラマ女優ケイト・デ・カスティーリョが「今日、エル・チャポ・グスマンの方が政府(の政治家)よりも信じられる」とツイッターに書いたのを彼が知ったのだ。彼女のツイートを知ったエル・チャポは、2014年に彼が刑務所に収監されていた時に、その望みを実現させるべく、彼女にそれを依頼することを考えたらしい。早速、彼の顧問弁護士が彼女に接触。そして本の著作と映画の作成を依頼したという。そして、彼が刑務所を脱走する時には、既にその報酬と撮影プログラムは双方で合意に至っていたという。(参照:「El Mundo」)。

エル・チャポが脱走してゴールド・トライアングルという三角形を形づくる広域の地域に彼が隠れているということは、彼の行方を捜査している当局では薄々想像していたという。何故なら、この地域では彼を裏切れば、彼からの報復があることを恐れて警察に密告する者は誰もいないとエル・チャポは知っていたからだ。しかし、彼を護衛するチームは女優カスティーリョとの数度にわたる会見を捜査当局が感知するのを警戒して、彼にその中断を求めたという。

しかし、彼は自分の夢を実現させたいという願望からそれを無視。前出の「El Mundo」の記事によれば、〈丁度その時期に彼女を通じてハリウッドスターのショーン・ペンとの7時間に及ぶ会見が実現した〉のである。〈雑誌「ローリング・ストーン」にそれを掲載する〉のが目的だった。

エル・チャポにとってはこの会見も彼の悪人としてのイメージを変えることに役立つと考えたようである。会見の中で彼が言った内容に次のような発言がある。

〈「麻薬は人を破壊するのは正解だ。しかし、お金を稼ぐにはそれしか選択肢はなかった」〉〈「麻薬が尽きることはない。何故なら、それを欲しがる人はこれからも増えて行くからだ」〉。

昨年10月にも捜査当局が彼を捕まえる寸前であったという。しかし、〈その時、彼は二人の女性とひとりの子どもと一緒にいた為に、彼等を負傷させてはいけないと判断して彼を捕まえることを断念した〉という。今回の彼の逮捕には海兵隊と連邦警察が参加した。

逮捕の報を知った米国政府は早速彼の米国への送還をメキシコ政府に要請したという。ペーニャ・ニエト大統領は米国政府の要請を直ぐに受け入れることは国民の前にメキシコ政府の弱みを見せることになるとして、それを容易に受け入れる姿勢はないであろうと推測されている。

カルデロン前大統領に仕えた安全保障担当専門家ゲレロ氏によると、〈米国からの圧力は相当に強い。しかし、少なくとも6か月はメキシコに留まることになるであろう〉と指摘している。そして同氏は〈ここで政治力が影響することになる〉という。ペーニャ・ニエト大統領は米国からの要請には〈カルデロン前大統領の時に比べ高慢だと米国側では受け止められている〉という。

米国からの要請を素直に受け入れないからである。しかし、米国からの執拗なる要請の前に〈昨年10月には危険性が高いとされる犯罪者を一度に13人も米国に送還した〉という出来事もあったという。(参照「El Pais」)。

今回のエル・チャポの逮捕でも、当初彼は手錠さえかけられなかったために、いろいろな憶測が飛んでいる。憶測はさておき、このことは彼の影響力があらゆるところに及んでいることの証に他ならないのだ。

<文/白石和幸>

しらいしかずゆき●スペイン在住の貿易コンサルタント。1973年にスペイン・バレンシアに留学以来、長くスペインで会社経営する生活。バレンシアには領事館がないため、緊急時などはバルセロナの日本総領事館の代理業務もこなす。

参照元 : HARBOR BUSINESS Online


【閲覧注意】麻薬王エル・チャポの隠れ家で起きたシナロア・カルテルの悲劇! メキシコ海軍特殊部隊VS麻薬カルテル

2016.01.24

ホアキン・グスマン、イスマエル・サンバダ・ガルシア、フアン・ホセ・エスパラゴーサ・モレーノの3人を筆頭に、5人のリーダーにより1989年に結成された“メキシコ最大の犯罪組織”と言われる麻薬カルテル「シナロア・カルテル」。同組織を掌握し、最高幹部を務めるメキシコの“麻薬王”ことホアキン・グスマン、通称“エル・チャポ”が今月8日に逮捕された。

そもそもエル・チャポは投獄されていたのだが、去年7月、シャワー室の床下に掘った長さ約1.5キロの地下トンネルからオートバイで脱獄するという、映画顔負けの脱出劇を成功させていた。もはや再び捕まえるのは不可能かと思われていたが、脱獄から約半年、メキシコの北西部シナロア州で逮捕された。逮捕にあたったのは、アメリカとの共同作戦を進めていたメキシコの海軍特殊部隊。

「武装したやつらがいる」との通報を受け、海軍特殊部隊が駆けつけたところ、そこはエル・チャポを含めた「シナロア・カルテル」メンバーの潜伏先だった。

激しい銃撃戦の末、軍側は1人が負傷、メンバー6人を拘束し、5人をその場で殺害した。しかしエル・チャポはここでもしぶとく、抜け道を使い、マンホールから地下の下水トンネルを使って逃走。車を盗み郊外まで逃走を続けていたが、幹線道路で逃走車両を検知して追跡。郊外の安宿で、ようやくグスマンを拘束することに成功した。なお潜伏していた場所からは、自動小銃・手榴弾・装甲車など大量の重火器が発見されている。

現在、エル・チャポは脱獄を成功させた刑務所に再び収監され、今後アメリカへ身柄を引き渡される可能性もあるという。アメリカなどへの麻薬密輸で巨額の資産を築いた麻薬犯罪の象徴的存在(=エル・チャポ)をシカゴ当局は、「アル・カポネ以来、最大の社会の敵」とし、シカゴの凶悪犯罪指名手配リストのトップに指定していたのだ。

脱走したグスマンを拘束したことで、なんとか面目を保つことができたメキシコ政府。麻薬撲滅を掲げ、2012年にメキシコ大統領に就任したエンリケ・ペニャ・ニエト大統領はTwitter(@EPN)で、「ミッションコンプリート。ホアキン・グスマン(エル・チャポ)を拘束した」とつぶやいた。

だが、再び捕まえるのは不可能と上述した理由は、「シナロア・カルテル」メンバーだけでなく、彼を支えるサポーターがいるから。貧困層に仕事を与えたり、災害発生時には政府よりも早く救助活動を行うなど、彼を英雄視している国民も少なくない。以前捕まった際にも「チャポを解放せよ」「汚職政治家と違いチャポは我々に仕事を与えてくれた」などのプラカードを掲げたデモが起きた。はたしてメキシコ政府は、エル・チャポをアメリカに引き渡すのか? 引き渡しの際に、再び血が流れることがないように祈りたい。

(文=平正雄)

■隠れ家突入時の映像



■隠れ家から発見された重火器



■拘束された“エル・チャポ”ことホアキン・グスマン



(文=中川拓真)

参照元 : TOCANA


社会の敵ランキング1位・最凶の麻薬王エル・チャポの「大脱獄劇」! 彼の生き方、逃げ方、メキシコの闇(総まとめ)

2015.08.09

【10年以上南米で暮らすラウタ郎が選ぶ、驚愕南米ニュース】

7月、メキシコを始め、南北アメリカ大陸はこのニュースが連日大々的に報道された。それは「メキシコの麻薬王、再脱獄して現在も逃走中」という事件だ。

このインパクトがどれほどのものか、今ひとつ日本では実感しにくいだろうが、たとえば、オウム真理教の麻原が脱獄した、または山口組組長が脱獄した、……というレベルの衝撃を想像していただければ、あながち外れてはいないかもしれない。

しかし、この事件は単なる脱獄事件ではなく、長年アメリカ大陸が抱えてきたさまざまな闇を象徴する要素が盛り込まれており、現在の中南米とアメリカ、そして依然として各国に蔓延る麻薬と公務員汚職といった世相を理解するのに絶好の事件でもある。



■ホアキン・グスマン・ロレーラ、通称「エル・チャポ」 世界で最も影響力のある男

7月11日にメキシコでも最高レベルの警備を誇るアルティプラーノ刑務所から、全長1.6kmという大掛かりなトンネルを通って見事に脱獄を成し遂げた麻薬王ホアキン・グスマン、通称エル・チャポ(以後チャポ)とは何者なのか? 簡単にチャポのプロフィールをまとめてみよう。

本名:ホアキン・アルチバルド・グスマン・ロレーラ(Joaquin Archivaldo Guzman Loera)
通称:El Chapo エル・チャポ
1957年4月3日生まれ、メキシコ シナロア県バディラグアト出身
身長155cm、家族構成:不明(妻がこれまで計4名、子どもは計10名といわれる)

彼はメキシコ、アメリカをはじめ、中南米では知らない者はないというほど巨大な麻薬カルテル「シナロア・カルテル」のリーダーとして、過去20年に渡りメディアを賑わしていた人物である。

特に93年、当時麻薬王と呼ばれていたコロンビアの「メデジン・カルテル」のリーダー、パブロ・エスコバルが殺害され、チャポの率いる「シナロア・カルテル」がコカイン市場を掌握すると、一気に彼の名声は広がった。

そして近年ではフォーブス誌の「世界で最も影響力のある人物」リストに名を連ね、そしてインターポール(国際刑事警察機構)とアメリカ麻薬捜査局(DEA)がリスト化した「社会の敵ランキング1位」として全世界指名手配されるほどその悪名は轟いている。

ただでさえ近年のメキシコは、激化する麻薬カルテル間の抗争で、罪のない市民や、犯罪組織撲滅のために戦う弁護士や検察官が、彼ら麻薬カルテルの手によって残虐な形で処刑され、死体が町中に晒されるなど、ショッキングなニュースの震源地となっている。

その麻薬カルテルでも最大といわれる「シナロア・カルテル」のボス、チャポが捕まり、そして脱獄した。このチャポ脱獄劇のニュースは、連日各国の新聞やテレビで報道され、アメリカ大陸全土で大きな関心を呼んでいるのだ。

果たしてこれはどのような事件だったのだろうか……?

■チャポの生い立ち

チャポは1950年頃から大麻栽培で有名だったメキシコのシナロア県バディラグアトにて大麻農家を営む父エミリオの10人兄弟の4男として1957年(または1954年)に生まれる。

3人の兄はチャポが幼少の頃に他界し、チャポが2人の妹、3人の弟を率いる実質的な長男として家族の生計を支えていた。体つきは小さく、大人になっても身長155cmと小柄であったことから、あだ名は「チャポ」(ずんぐりむっくりという意味)と呼ばれることになる。

幼少時のチャポの生活についてはほとんど知られていないが、物心ついた頃にはオレンジ売りとして生計を助け、15歳の頃から利幅の大きいマリファナの栽培と販売を開始し、その後、近郊のクリアカン市で麻薬販売に手を染めることになっていった。



80年台には当時メキシコでも有数のコカイン密売組織のリーダーであったミゲル・フェリックスと共にコカインビジネスに進出。この組織は後に「グアダラハラ・カルテル」と呼ばれることになるが、89年にミゲル・フェリックスが逮捕されたことを機に、組織はミゲルの弟アレジャーノが後継者となり「ティファナ・カルテル」を。チャポは生まれ故郷のシナロアに戻り「シナロア・カルテル」を立ち上げる。

当時のチャポ本人の様子をメキシコ検察は、「大人しく礼儀正しい。小柄な体格に見合わず人を惹きつけるカリスマにも恵まれており、生まれた環境が違えば大企業の社長になるような器」であったと評しており、同時に彼のカルテル運営手腕を「非常に計算高く狡猾、そして慎重かつ大胆」であるとも評している。

そして、シナロア・カルテルは中米から北米に至る巨大なコカイン市場を手中に収め、中南米各国に計200社以上ものマネーロンダリング用のフロント企業を立ち上げ、アメリカ大陸最大の犯罪組織と発展していく。

■チャポ 最初の逮捕と脱獄

今回の脱獄事件よりもはるか昔、チャポは一度逮捕され、そして脱獄を成功させている。シナロア・カルテルを立ち上げたチャポは、袂を分かったフェリックス兄弟のティファナ・カルテルと激しい抗争を繰り返すが、1993年にチャポがグアテマラで逮捕されたことで状況は大きく変わる。95年に身柄をメキシコに移され、警備レベル最高クラスのプエンテ・グランデ刑務所に収監されるが、当時から新麻薬王としての影響力と財力を駆使し、刑務所内では特別扱いを受ける。

当時チャポの刑務所内での呼称は「ボス」「ドン・ホアキン」といった敬称であり、刑務所内で自由に携帯電話を使ったり、報道関係者向けの記者会見を行なったり……と、別格の扱いを受けていた。また、収監中に知り合った女性スレマ・エルナンデスと結婚し、子どもを何人か授かったと言われている。(たが、スレマは2008年に対立組織に殺害されている)

逮捕後8年がたった2001年1月18日、チャポは刑務所内に出入りする清掃業者のトラックに身を隠して脱獄に成功する。この際、チャポ以外にも71名が脱獄に加わっており、しかもそのうち15名は刑務所職員でチャポに抱き込まれた刑務官であった。

この脱獄に対してメキシコ政府はあらゆる手段でチャポとその関係者を追い詰める。特に、チャポの家族親族をターゲットとし、これまでのチャポの妻スレマをはじめ家族4名が警察・軍や対抗組織の手によって殺され、4名が逮捕されている。

さらに、メキシコ政府はチャポ逮捕の報奨金として3000万ペソ(約2億円 ※2012年当時)、アメリカ政府は700万ドル(約6億3千万円 ※2012年当時)の賞金まで用意した。

■チャポ再逮捕

2014年2月22日、シナロア県のマサトランで、メキシコ海兵隊の特殊チームによってチャポは逮捕された。この逮捕劇にはメキシコの警察・軍以外にも、アメリカのDEA(麻薬取締局)も連携していたという。また、アメリカ当局が導入した無人探索機がチャポの居場所の特定に使われるなどハイテクな作戦だったと報じられている。

当時チャポが潜伏していた隠れ家。



彼の隠れ家には多数の監視カメラが設置され、また、浴槽の下には屋敷の外に通じる隠し通路も掘られていた。このチャポ逮捕の報を受けたエンリケ・ペーニャ・ニエト大統領はすぐさま自身のツイッター(@EPN)でチャポの逮捕を報告、メキシコの司法と警察の麻薬カルテルに対する勝利宣言とした。

こうして、メキシコでも警備レベル最高クラスのアルティプラーノ刑務所に収監されたチャポだったが、ここでも特別扱いを受けることになる。収監中にもかかわらず現妻でミス・シナロア優勝者のエンマ・コロネル(26歳)をはじめ、彼の母や娘の長時間に渡る訪問を受けていたなど、その扱いは別格だった。




■再脱獄

そして2015年7月11日、チャポが再脱獄を決行する。

刑務所内監視カメラの映像によると、同日の夜20時52分頃、シャワー室の排水口部分に近づき身を屈めビデオカメラの死角に隠れたチャポが記録されている。その後看守が同房を巡回すると、既にチャポは脱獄用トンネルに消えた後だった。刑務所当局によれば、チャポが脱獄トンネルに消えてから18分後の23時に警報が発令されたと発表している。しかしながら、刑務所からチャポの脱獄に関する連絡がメキシコ陸軍、海兵隊に伝えられたのは、日付が変わった12日0時30分だった。トンネルの全長からチャポが脱獄を終えるまで2時間以上かかることを考えると、この初動の遅れが脱獄を許してしまった決定的な要因のひとつとして考えられており、現在もメキシコ国内外から強く非難されている。



チャポ逮捕時から再三に渡り身柄引き渡しをメキシコ政府に強く求めていたアメリカDEA特別チーム責任者のジャック・リレイ氏は、

「まさに恐れていたことが起こってしまった。脱獄の可能性を拭いされなかったので、米国はメキシコに一日も早い身柄の引き渡しを要求していたのだが……」と残念がり、 「チャポは過去にも脱獄しているのだから、今回の脱獄計画も予見できたはず。彼の身柄を同じ場所に長期間勾留しておくことは、メキシコの現状では難しいと考えている」とコメントしている。

また、DEAの報告書によると、チャポは同刑務所に収監された直後から今回の脱獄計画を練っていた可能性が高いと指摘している。

さらに、再逮捕後間もない2014年3月にDEAが作成したレポートでは「(チャポ)グスマンは早い段階でシナロア・カルテル、または同カルテルから資金援助を受けた系列カルテルによる脱獄作戦が計画されるであろう」と記しており、その作戦遂行に際しては「刑務所の幹部クラスが脅迫等で強制的に作戦に協力させられる可能性」を示唆。賄賂で抱き込んだ刑務官や別の囚人の面会のために刑務所を訪れる弁護士などを利用して、外部との連絡手段を確立していたともいわれている。

■脱獄用トンネルはどうやって掘ったのか?

この脱獄に使われたトンネルは、チャポが掘ったものではなく、彼の命令でシナロア・カルテルまたはその関連組織が掘ったと考えられている。同刑務所の囚人日課では、チャポは毎日1時間ほど独房の外に出ることが許されており、脱獄の打ち合わせやトンネルの位置確認などの準備も、この時間に買収した刑務官や訪問した弁護士などを通して手配していたと考えられる。

トンネルは、シャワー室から真下に10m続く縦穴から始まる。縦穴を下りきったところに、高さ1.7m、幅80cm、全長1.5kmの横に伸びる脱出用トンネルが用意されていた。

天井も壁も非常に強固に作られており、また地面には掘り起こした土砂を運び出すためのレールと、このレール上を走れるように改造された土砂運搬用バイクも見つかっている。トンネル内の排気にも塩ビパイプ製の換気用通風ダクトが天井に備え付けられており、照明器具も整っているという、素人の仕事とは考えられない、本格的なトンネルである。

このトンネルを調査したアメリカ国家保安局のジム・ディンキンス捜査官は「この規模のトンネルの建設には少なくとも18カ月~2年の時間が掛かるはずだが、ボスのために急ピッチで建設を成し遂げたのであろう。また、建設時の位置確認や騒音対策などさまざまな観点から、刑務所側の協力者がなくてはならない存在だ」と語る。

また、メキシコ・アメリカ国境に無数に存在する不法入国用の越境用トンネルを数多く操作してきたメキシコ・サンディエゴ警察の元捜査官ジョー・ガルシア氏は「これまで見てきたトンネルでは最長だ」と驚きを隠せない。

トンネルの様子を捉えた映像



トンネルの建設作業に関しては、アメリカ財務省がシナロア・カルテルのフロント企業としてマネーロンダリングに関わっているとする242企業のうち、メキシコ、スペイン、コロンビア、グアテマラなどに点在する建設業10社と鉱山会社1社が何らかの形で建設作業に協力した疑いがあると述べている。

そしてチャポは、このトンネルと通り、7月12日には姿を消したのだった。警察や軍の捜査は困難を極め、チャポの潜伏先がメキシコ国内なのか、それとも既に海外に脱出しているのかも不明な状況が続いている。

引き続きメキシコ当局、アメリカ当局はチャポの首に懸賞金を掛け、捜査の範囲をメキシコからインターポールを通じて全世界に広げているが、依然として足取りはつかめていない。

■地元の英雄

メキシコをはじめ、世界中で指名手配されるチャポだが、地元シナロアや近隣地域では一部住民からは英雄視されている一面もある。2014年にチャポが再逮捕された際には、数回に渡り1000人以上のチャポ支持者が、彼の釈放を求めてデモ行進を行い、警察と衝突して200名上の逮捕者を出すなど大きなニュースになった。



デモに参加した市民らは「チャポは貧しい人々を支援する組織を立ち上げてくれたり、私達市民の側に立っていろんなことを手伝ったりしてくれた」と公然とチャポを応援。Tシャツやキャップなどチャポの関連グッズも販売されていた。

シナロア県知事のマリオ・ロペス氏は「今回のデモの動員は、チャポの親族やカルテルが、参加者に現金や食料、酒を振る舞うなどして集めた見せかけの支持者だ」と語っているが、それを差し引いても地元民のチャポに対する信頼は思いのほかあつい。

さらに、シナロア・カルテルの支配力が弱まり、麻薬戦争やカルテル同士の抗争が激化することを恐れる住民がチャポを支持しているという側面もある。



■チャポ脱獄劇が浮き彫りにした社会問題

なぜチャポがこれほど大きい麻薬帝国を築き上げたか、そしてなぜチャポが二度に渡り逮捕・脱獄を繰り返したか。そしてなぜ未だにチャポは捕まえられないのか。

これらがこの事件の見る上で大きなポイントとなる。

今回の脱獄で面目を大きく傷つけられたのは、メキシコ政府、特にメキシコ大統領エンリケ・ペーニャ・ニエト氏であることは間違いない。逮捕時に自身のツイッターで高らかに勝利宣言し、アメリカの身柄引き渡し要望を拒否して国内最高レベルの刑務所に収監したものの、僅か1年半で見事に脱獄を許してしまうという大失態を見せてしまった。

そしてこの脱獄劇に加担した刑務官、刑務所幹部、警察、軍幹部や政治家など、メキシコ内部の腐敗がどこまで及んでいるのかも把握できない状況だ。

また、チャポが逃走で身を隠している間に、新興の麻薬カルテル間の抗争はより激化し、ある意味で統率が取れていた麻薬密輸ビジネスが再び群雄割拠の混乱状態に陥る危険性も高まっている。

つまり、チャポの再脱獄が浮かび上がらせたのは、単なるメキシコ刑務所の警備上の問題ではなく、国としての危機管理体制、治安を守る警察や軍、司法の独立性が危ぶまれているという状況であり、そしてアメリカにとっては流入を食い止める手段もないコカインビジネスのカオス化、南米にとってはコカイン原料のコカの葉生産と精製ビジネスの再構築、といった幅広い影響が予想される。

はたして、チャポが捕まることで事態は解決するのか。それともより混乱するのか。

(文=ラウタ郎)

参照元 : TOCANA


麻薬、石油強奪、誘拐、殺人。軍隊顔負けの組織力で、悪逆非道の限りを尽くすメキシコ­のカルテル。その組織的犯罪は年々多様化し、周辺社会を恐怖の渦に巻き込んでいる。ア­メリカ合衆国と境を接するレイノサでも、最狂、とうたわれるカルテル、ロス・セタスに­迫る。悪逆非道はどこまでエスカレートするのか、シリーズ全3回。

2016年1月14日木曜日

土地の売買を妨害したとして、指定暴力団「合田一家」トップの総長ら数人を威力業務妨害容疑で逮捕

<指定暴力団「合田一家」>トップの総長ら数人を逮捕

2016年1月12日(火)12時21分配信



◇福岡、山口両県警が威力業務妨害容疑などで

土地の売買を妨害したとして、福岡、山口両県警が指定暴力団「合田一家」(山口県下関市)トップで総長の末広誠容疑者ら数人を威力業務妨害容疑などで逮捕したことが捜査関係者への取材で分かった。

捜査関係者によると、逮捕容疑は昨年7月ごろ、福岡市の不動産会社が山口県下関市で販売を計画していた土地の隣に、「養豚場計画地」と書かれた看板と日本国旗を立てて同社の業務を妨害したなどとしている。

事件を巡っては、福岡県警が昨年11月、合田一家系組長ら6人を同容疑などで逮捕し捜査を進めていた。この土地は、同社が昨年4月、約6000万円で取得。北九州市小倉北区の不動産会社に1億数千万円で売買が決まりかけたが、嫌がらせを受け、とりやめになったという。

参照元 : 毎日新聞


七代目合田一家(山口県下関)末広誠総長

ヤクザ史に燦然と輝く名門を継ぐ

▼合田一家末広総長



名門「籠寅」の系脈を受け継ぎ、山口県下関市を本拠地に県下を中心に勢力を張っている合田一家の系譜は、初代合田幸一〜二代目浜部一郎〜三代目浜崎彰〜四代目川崎友治〜五代目山中大康〜六代目温井完治〜七代目末広誠総長と続く。

合田一家の結成は昭和二十三年で、歴史的には戦後派の新興博徒組織だが、その源流は、明治、大正、昭和と、九州の吉田磯吉とともに稀代の侠客といわれた保良浅之助の籠寅組の系譜を引く。保良浅之助の父親は虎吉といって、魚を入れる竹龍づくりの職人であり、その屋号が「籠寅」であった。そしてこの屋号がのちの保良の異名となり、組織名となった。

保良は時代の流れを先取りしながら次々に事業を拡張した。日露戦争直後の明治三十九年にトロ箱の製造拠点として山口県下関市に進出する。同時にヤクザ社会でも着々と地盤を固め、しだいに頭角を現わしていく。

その保良がやがて興行界に進出。浪曲、講談、浪花節、芝居などを手がけ、関西各地で大きな劇場を経営するまでになる。興行のネットワークを利用しながら、その名が全国に浸透する籠寅一家は、事実上、広域組織のようなもので、その組織力は日本のトップクラスだったと言っていい。

だが、そこに大きなライバルが登場する。同じく興行界への本格進出を開始した神戸の二代目山口組である。その結果、両者に深刻なトラブルが生まれ、籠寅の刺客が山口登を襲撃する。山口は一命を取り留めたが、結局この時の傷がもとで絶命することになる。だから合田一家と山口組は、その黎明期にトップのタマを「殺った、殺られた」間柄なのだ。

もちろん現在、両者の間にこの時の遺恨はすでになく、当時を知る関係者も皆無である。

また保良は生粋の博徒というわけではなく、その点で山口組のいい手本になった。山口組田岡一雄三代目は、保良のつくりあげた現代ヤクザのスタイルを引き継ぎ、発展させていったといっていい。

実際、保良が下関―韓国・釜山という海運業界の一大拠点に強力な地盤を形成していたこともあって、当時の流通業界にも大きな影響力を持っていたことは見逃せない。

「籠寅が首を横に振れば、関釜の荷役は止まる」と言われるほど、保良の影響力は絶大だったというから、この点も港湾荷役事業で発展した山口組の姿と重なる。

その後、保良はこうした力を背景に政界へと進出。それに伴い、ヤクザ社会から隠退し、実子である寅之助が籠寅二代目を継承、戦後、その系譜は合田幸一初代総長へと受け継がれる。昭和二十三年のことで、このとき、合田総長は、「名誉ある籠寅の名跡をそのまま引き継ぐ上は、あまりにも恐れ多い」として、あえて籠寅の家名を踏襲せずに、渡世の跡目だけを継承する形で合田一家を興し、代紋も合田一家の代紋に変更したのだった。

末広誠七代目総長が誕生したのは、平成二十一年十月二十日のことである。

合田一家では同年八月二十六日に先代である温井完治六代目総長の引退が発表され、その跡目に一家一門の総意により、末広総長が指名されており、先だって九月五日には盃直しの儀式も執り行なわれていたのである。

後見人に六代目山口組・高山清司若頭。先代・温井六代目総長に引き続き、末広七代目総長の「後見人」を務め、この継承式に列席し、取持人の五代目共政会・守屋輯会長(名代・石井謙二会長代行)も儀式を見守るなか、極東会会長補佐の山本達三・五代目松山舎弟の媒酌によって執り行なわれた。

合田幸一初代の提唱によって結成された西日本独立団体の親睦会「関西二十日会」(解散)は〈反山口組連合〉とみられていたこともあり、合田一家と山口組との間では、ほとんど交流がなかった。だが、温井六代目総長の継承式に際し、当時、五代目山口組舎弟頭補佐で中国・四国ブロックのブロック長を務めていた大石誉夫・大石組組長が「後見人」を務め、友好関係を構築。さらに山口組が六代目体制を発足させた平成十七年には、高山若頭が温井六代目総長を後見するようになった。以後、合田一家は山口組の親戚団体として、司忍六代目の誕生会を兼ねた新年会に招待され、盆と暮れには神戸の本家に挨拶に出向き、また食事会を開くなどして友好の絆を深めてきた。

末広総長は、これらの行事に六代目合田一家若頭として常に温井六代目総長に同行。また山口組の親戚団体の若頭、理事長といったナンバー2が集まる「若頭会」にも出席し、山口組の最高幹部や直参、またその親戚友好団体のトップや最高幹部らと親交を深め、業界では広く顔を知られている。

同年十月二十四日には、末広総長ら七代目合田一家最高幹部が名古屋の二代目弘道会本部を訪問し、高山若頭(二代目弘道会会長)に挨拶し、両団体の絆をさらに深めている。

こうして新体制を発足させた七代目合田一家は、組織のさらなる発展と、業界の平和共存を進めるべく、力強く第一歩を踏み出したのである。

▼山口組への挨拶を終えた末広総長と最高幹部



参照元 : 通信時報チャンネル


▼七代目合田一家 総本部



合田一家(ごうだいっか)は、山口県下関市に本部を置く暴力団。指定暴力団であり、構成員数は2014年末の時点で約90人。



略歴
篭寅組の代貸であった合田幸一が1948年(昭和23年)頃に下関市を本拠地として『合田組』を結成。これを直接の起源とする。1968年(昭和43年)をもって『合田一家』と名を変え、その後数代を経てゆく過程で反目勢力との対立抗争を繰り返しながら勢力を拡大していった。1987年(昭和62年)に山中大康こと李大康が五代目を襲名したのち、山口県下の反目勢力を次々と吸収、県全域を勢力範囲とするまでになった。

初代籠寅組
保良浅之助が設立した。
詳細は「保良浅之助」を参照

二代目籠寅組
保良浅之助の長男・保良寅之助が籠寅組二代目を継いだ。

合田組・初代合田一家
昭和23年(1948年)頃、合田幸一が籠寅組を引き継ぐ形で合田組を設立した。合田幸一は、籠寅組の代紋を継いだが、恐れ多いとの事で籠寅組の家名は継がなかった。 昭和45年(1970年)、合田幸一の提唱により反山口組同盟・関西二十日会が結成された。加盟組織は、合田一家、大阪市の松田組、神戸市の忠成会、姫路市の木下会、岡山市の浅野組、広島市の共政会、福岡市の工藤会など。

昭和63年(1988年)、西日本二十日会が結成された。関西二十日会とは違い、特に山口組を仮想敵とするわけではなかった。西日本二十日会の加盟団体は、唐津市の西部連合、下関市の合田一家、広島市の共政会、尾道市の侠道会、笠岡市の浅野組、松山市の松山連合会[要曖昧さ回避]、岡山市の木下会、徳島市の勝浦会、高松市の親和会、大阪市の波谷組だった。

五代目合田一家
平成4年(1992年)7月27日、山口県公安委員会から指定暴力団に指定された。

六代目合田一家
平成6年(1994年)2月、合田一家若頭・温井完治が合田一家六代目を継いだ。五代目山口組舎弟頭補佐・大石誉夫(後の六代目山口組顧問)が後見人となった。
平成8年(1996年)2月、四代目共政会、二代目俠道会、三代目浅野組、六代目合田一家、親和会は、親睦会「五社会」を結成した。

七代目合田一家
総長温井完治の引退を受け、六代目体制の最高幹部であった傘下小桜組の末広誠が2009年の9月に七代目を襲名。

かしら==歴代総長==
籠寅組初代 :保良浅之助
籠寅組二代目 :保良寅之助
合田一家初代 :合田幸一
合田一家二代目:浜部一郎
合田一家三代目:浜崎 彰
合田一家四代目:川崎友治
合田一家五代目:山中大康
合田一家六代目:温井完治
合田一家七代目:末広誠こと金教煥

最高幹部
総長 - 末広誠こと金教煥
総長補佐 - 岡村忠雄
舎弟頭 - 岡村吉衛(岡吉組組長)

若頭 - 谷静夫 (二代目一松組組長)
本部長 - 新井鐘吉こと朴鐘吉(五代目小桜組組長)
幹事長 - 皿田正信 (二代目岡村組組長)
組織委員長 - 橋本鋭二 (橋本組組長)
慶弔委員長 - 三好俊市郎(五代目甲斐組組長)
総務委員長 - 琴村鉄男 (琴村組組長)
事務局長 - 片山洋二郎 (片山組組長)

舎弟- 早田義雄 (二代目中川組組長)- 岡田健治 (三代目倉重組組長)- 大藤担介 (二代目阿部組組長)- 田中久夫 (田中久組組長)

参照元 : wiki/合田一家



身分を偽りクレジットカードを作ったとして、指定暴力団「福博会」の最高幹部で無職、金国泰容疑者(56)を詐欺容疑で逮捕

<詐欺容疑>指定暴力団「福博会」最高幹部を逮捕 福岡県警

2016年1月12日(火)12時23分配信



身分を偽りクレジットカードを作ったとして、福岡県警は12日、福岡市中央区渡辺通2、指定暴力団「福博会」(同市博多区)最高幹部で無職、金国泰容疑者(56)を詐欺容疑で逮捕したと発表した。関連先数カ所も家宅捜索した。

逮捕容疑は、東京都内の金融機関が発行するクレジットカードの申込用紙に、うその勤務先や役職、年収を記入して郵送し、2009年7月ごろ、クレジットカードとETCカードをだまし取ったとしている。県警は認否を明らかにしていない。

参照元 : 毎日新聞


福博会(ふくはくかい)は、福岡県福岡市に本拠を置く日本の指定暴力団。



代表者は、長岡寅夫(金寅純)。構成員は2014年末の時点で約180人。前身は『福博睦会』。梅津会会長・梅津高則や四代目山口組 伊豆組組長・伊豆健児の提言により、地元団体(梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家)の親睦組織・福博睦会として発足。

後に、二代目梅津会会長・梅津 明を会長として盃直しを行い「福博会」として統合。 福博睦会時代には伊豆を顧問に迎え、福博会会長となった梅津は五代目山口組組長・渡辺芳則から代紋違いの舎弟盃を受け、渡辺が歴代会長の後見人を務めており、山口組の親戚団体でもある。

梅津の死後、2代目会長選出に際して内部で意見がまとまらず、梅津会、太田会、強友会が一時脱退したこともある。2代目会長・和田将志郎が日航ホテルで福博会構成員に銃撃される事件も起きている。2000年2月、福岡県公安委員会から指定暴力団に指定された。

略歴
昭和60年(1985年)、四代目山口組(組長代行は中西一男)伊豆組・伊豆健児組長の提案で、福岡県福岡市博多区の暴力団である梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家、伊豆組が暴力団親睦団体『福博睦会』を結成した。

平成2年(1990年)7月9日午後8時ごろ、熊本県本渡市下浦町で、熊本二十日会加盟の虎門会系森原組組員が、福博睦会太住会組員に射殺された。熊本二十日会が虎門会を抑え、福博睦会が太住会を抑えて、本格的抗争を回避させた。

同年7月、もしくは同年8月、福博睦会に参加していた伊豆組以外の暴力団(梅津会、羽衣会、太田会、強友会、太住会、平野組、中丸会、永尾一家)は、代紋を統一し、連合組織『福博連合』を結成した。

同年7月22日午後1時ごろ、福博連合組員約30人が、新幹線で新神戸駅に到着した。その後、福博連合組員約30人は、兵庫県神戸市灘区の山口組本部を訪問した。五代目山口組・渡辺芳則組長ら山口組最高幹部が、福博連合組員約30人を出迎えた。

平成4年(1992年)、福博連合は、二代目梅津会・梅津明会長を当代として、『福博会』へと再編された。
平成5年(1993年)6月、梅津明は、五代目山口組・渡辺芳則組長から盃をもらい、渡辺芳則の舎弟となった。
平成9年(1997年)9月、梅津明が病気で死亡した。
平成10年(1998年)4月、和田将志郎が、二代目福博会を継承した。後見人は、渡辺芳則。
平成12年(2000年)2月10日、福岡県公安委員会が指定暴力団に指定。
平成18年(2006年)4月18日、指定暴力団となった6年後に、福博会会長代行・長岡寅夫が三代目福博会を継承した。後見人は、六代目山口組・司忍。

歴代会長
初代:梅津明
二代目:和田将志郎(本名『和田万亀男』)
三代目:金寅純(長岡寅夫 羽衣会二代目会長)

最高幹部
総裁 - 和田将志郎
会長 - 長岡寅夫
理事長 - 武井三郎(四代目梅津会会長)
総本部長 - 白石勢義(三代目平野組組長)
幹事長 - 杉山忠則(三代目強友会会長)
組織委員長 - 田村英治(三代目太住会会長)
風紀委員長 - 竹中幸治(三代目永尾一家総長)
懲罰委員長 - 光田 孝(四代目三宅一家総長)
事務局長 - 金城國泰(四代目双葉会会長)
慶弔委員長 - 大河内 孝(四代目羽衣会会長)

梅津会
梅津会は、指定暴力団・三代目福博会の2次団体。福岡市博多区に本拠を置く日本の暴力団。

歴代会長
二代目:梅津明(福博会初代会長)

平野組
平野組は、指定暴力団・三代目福博会の2次団体。福岡市早良区に本拠を置く日本の暴力団。2009年に活動が活発化、要注意。

太田会
太田会は、指定暴力団・三代目福博会の2次団体。福岡市博多区に本拠を置く日本の暴力団。

参照元 : wiki/福博会