2015年12月1日火曜日

山口組のトップ司忍こと篠田建市組長が五代目の渡辺芳則組長の命日に、最高幹部らと墓参り

山口組・司組長が墓参りに、分裂後初 カメラの前に

2015年12月1日(火) 13時21分



指定暴力団・山口組の六代目、司忍こと篠田建市組長は、五代目の渡辺芳則組長の命日に当たる1日、最高幹部らとともに山口組の歴代組長の墓を訪れました。

篠田組長がテレビカメラの前に姿を見せるのは、8月に山口組が分裂して以降、初めてです。

警察は、篠田組長らが山口組歴代組長の墓参りをすることで、自らの組織の正当性をアピールする狙いもあるとみています。

参照元 : TBSニュース


こちらは2014年の三代目田岡一雄親分の命日に司忍組長が墓参りした映像



司忍(本名:篠田建市)は1942年大分県生まれ。 弘田武志の「弘田組」に所属してから頭角を表し、27歳までには「弘田組」若頭に就き『司興業』を組織した。

1969年「大日本平和会」との抗争で同会幹部暗殺の総指揮を執り懲役13年を受けて1982年に出所した直後に田岡一雄の墓参りを行う。 山口組中興の祖である田岡一雄信奉者としても知られる。

4代目山口組組長竹中正久に付き、弘田武志の引退で「弘道会」を立ち上げ大阪戦争で活躍。5代目山口組組長渡辺芳則では若頭補佐になり、1997年若頭の宅見勝が暗殺されてから暫く空席だった『若頭』に就いた2005年クーデターを起こして6代目組長になった。

組員の銃器所持違反で有罪確定し懲役6年となり、2011年に出所後は本格的に田岡回帰を掲げ山口組改革を行っている。

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