拳銃2発発射 暴力団幹部ら5人を殺人未遂容疑などで逮捕 福岡県警
2017/9/11(月) 17:37配信
福岡県警は11日、殺人未遂、銃刀法違反(発射、加重所持、実包所持)、火薬類取締法違反などの容疑で、福岡市博多区上牟田1丁目、暴力団道仁会傘下組織幹部の男(55)ら、暴力団幹部、組員合計5人を逮捕した。
逮捕容疑は、同市城南区に住む男性(41)を拳銃で射殺しようと企て、7月27日午後11時27分ごろ、同市博多区上川端町の路上で、男性に対し、回転弾倉式拳銃2発を発射したが、命中せず、目的を遂げられなかった疑い。
また、拳銃2発を発射した際、現場近くの塀を損壊し、2万7975円相当の損害を与えた疑い。容疑者らは、犯行時と、7月29日から8月1日までの間、この拳銃1丁と実包を所持した疑い。
参照元 : 西日本新聞
博多発砲、熊本で組幹部逮捕=殺人未遂容疑など―福岡県警
2017/9/12(火) 19:27配信
7月に福岡市博多区の繁華街で起きた発砲事件で、福岡県警暴力団犯罪捜査課などは12日、殺人未遂や銃刀法違反(発射)などの疑いで、自称自営業の暴力団幹部安田隆司容疑者(52)を熊本県内で逮捕した。
事件の逮捕者は6人目。県警は認否を明らかにしていない。
逮捕容疑は、指定暴力団道仁会傘下組織幹部阿比留将臣容疑者(55)ら5人=殺人未遂容疑などで逮捕=と共謀。7月27日深夜、福岡市博多区上川端町の路上で、自称暴力団組員の男性(41)を殺害しようとして拳銃2発を発射するなどした疑い。
参照元 : 時事通信
2017/9/11(月) 17:37配信
福岡県警は11日、殺人未遂、銃刀法違反(発射、加重所持、実包所持)、火薬類取締法違反などの容疑で、福岡市博多区上牟田1丁目、暴力団道仁会傘下組織幹部の男(55)ら、暴力団幹部、組員合計5人を逮捕した。
逮捕容疑は、同市城南区に住む男性(41)を拳銃で射殺しようと企て、7月27日午後11時27分ごろ、同市博多区上川端町の路上で、男性に対し、回転弾倉式拳銃2発を発射したが、命中せず、目的を遂げられなかった疑い。
また、拳銃2発を発射した際、現場近くの塀を損壊し、2万7975円相当の損害を与えた疑い。容疑者らは、犯行時と、7月29日から8月1日までの間、この拳銃1丁と実包を所持した疑い。
参照元 : 西日本新聞
博多発砲、熊本で組幹部逮捕=殺人未遂容疑など―福岡県警
2017/9/12(火) 19:27配信
7月に福岡市博多区の繁華街で起きた発砲事件で、福岡県警暴力団犯罪捜査課などは12日、殺人未遂や銃刀法違反(発射)などの疑いで、自称自営業の暴力団幹部安田隆司容疑者(52)を熊本県内で逮捕した。
事件の逮捕者は6人目。県警は認否を明らかにしていない。
逮捕容疑は、指定暴力団道仁会傘下組織幹部阿比留将臣容疑者(55)ら5人=殺人未遂容疑などで逮捕=と共謀。7月27日深夜、福岡市博多区上川端町の路上で、自称暴力団組員の男性(41)を殺害しようとして拳銃2発を発射するなどした疑い。
参照元 : 時事通信
道仁会
道仁会(どうじんかい)は、日本の福岡県久留米市に本部を置く指定暴力団。2012年より改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”(‐2014年)。構成員の総数は2016年末の時点で約540人。福岡県のほかにも佐賀県や熊本県などに系列組織を置いている。
顕著なる反権力性、反警察的色彩ならびに極度の好戦的傾向から知られる暴力団組織で、その結成からというもの数多の抗争事件をもってその名を知らしめてきた。10倍近い勢力を有する山口組を相手に一歩も引かない姿勢を示した1980年代のいわゆる『山道抗争』における激烈な戦闘行動や、関東地方の大組織・住吉連合会との突発的な抗争に際し破壊的な総力戦を敢行しようとしたことなどから、暴力団界にあって際立った畏怖を伴う“恐ろしい”組織であるとの評判が定着。
長年にわたって日本屈指の強力な犯罪組織としてあり続けており、その性質面について、安田雅企は“信じ難い蛮勇”を有する組織であると、ジェイク・エーデルスタインは“とりわけ獰猛(凶暴)な組織”であると述べる。
2000年代中盤頃からは、人事を巡って分裂した九州誠道会を相手とした、暴力団史に類を見ないほどの極めて破壊的な銃火器類を多用した激しい抗争の当事者となり、全国的な関心を惹起する事態ともなった。抗争終結宣言に至る2013年までに、マシンガンや手榴弾を用いた47件の抗争事件で14名の死者を発生させるに至った。
来歴
1971年に古賀一家を含む4団体が合体し道仁会を結成。この統合を主導したのが初代会長の古賀磯次であった。やがて初代の幹事長であった松尾誠次郎が1992年に二代目を襲名。同年に暴力団対策法に基づく指定暴力団への登録を受ける。
2006年における松尾の引退に伴い、傘下松尾組の首領であった大中義久を会長とする三代目体制が発足するも、同時期に離反した九州誠道会の手により翌2007年に大中が射殺されたことから早くも終焉。当時服役中であった小林哲治が四代目を継承した。
抗争史
道仁会が当事者となってきた数々の抗争事件のうち、20世紀における主要なものとしては、1978年における大牟田市内の名門暴力団組織・馬場一家との抗争、1980年における伊豆組内伊豆一家との抗争、1982年における久留米市内の向山一家との抗争、1983年における馬場一家との第二次抗争および住吉連合会との抗争、そして1986年からおおよそ8ヶ月間にわたって続いた山口組との抗争が挙げられる。
住吉連合会との抗争に際しては、組員らが大挙して上京したうえで東京都内に潜伏、同時多発急襲寸前というところまで事が進んだものの、まさに間一髪という時点で落着。のちに“山道抗争”として語られるようになった山口組との抗争は、その膨大な発砲回数と死傷者の急増から全国的なマスメディアの関心を惹起することにもなった。
対九州誠道会
長年にわたり組織を率いた松尾誠次郎が2006年に引退を表明。これに際して大牟田市を本拠地とする村上一家を中心とした勢力が次期の人事決定に反発し、道仁会から脱退したうえで、“九州誠道会”という名の新団体を発足させた。これが抗争の起こりであった。
年内にさっそく本部事務所がAK-47アサルトライフルによる激しい掃射を受け、それから2年間のうちに7名の死者を計上した。誠道会側からの終結の宣言が行われた2008年頃からしばらくは局所的な抗争事件が発生するに留まっていたものの、やがて再燃し、特に2011年に入ってからは激化が確認されている。
2011年度の目立った関係事案あるいは関係が疑われる事案としては、誠道会系元組長を含む2名が誠道会本部事務所の至近地で乗車していたワゴンごと電柱に衝突し即死、爆発炎上後の車内から手榴弾が発見された事件や、佐賀県伊万里市で組員が誠道会系幹部を回転式拳銃で射殺した事件、佐賀県小城市で組員と疑われる男が誠道会系組員の居宅を襲ったうえで刺殺した事件、大川市で道仁会関係と見られる車と誠道会系組員らの乗る車とがいわゆるカーチェイスによる銃撃戦を展開した事件、会長宅が機関銃や手榴弾で武装した誠道会関係者による襲撃を受けた事件などが幅広く報道された。
このような抗争状態を背景とし、2012年12月、九州誠道会とともに改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”の指定対象となった。
2013年6月、九州誠道会との抗争終結の旨の宣言書を福岡県警久留米署へ提出。その後、特定抗争指定暴力団の指定は2014年6月26日をもって解除された。
最高幹部
初代会長は古賀磯次、2代目は松尾誠次郎、3代目は大中義久(松尾義久)、4代目は小林哲治。初代会長の古賀は2009年に74歳で死去。3代目の大中は2007年に乗用車から降りたところを頭部に銃撃を受けて即死。
会長 - 小林哲治
会長代行 - 篠塚信之
本部長 - 森憲一郎
組織委員長 - 平山貞男
副理事長 - 志岐公司
副理事長 - 福田憲一
事務局長 - 浦仲長次朗
参照元 : wiki/道仁会
道仁会(どうじんかい)は、日本の福岡県久留米市に本部を置く指定暴力団。2012年より改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”(‐2014年)。構成員の総数は2016年末の時点で約540人。福岡県のほかにも佐賀県や熊本県などに系列組織を置いている。
顕著なる反権力性、反警察的色彩ならびに極度の好戦的傾向から知られる暴力団組織で、その結成からというもの数多の抗争事件をもってその名を知らしめてきた。10倍近い勢力を有する山口組を相手に一歩も引かない姿勢を示した1980年代のいわゆる『山道抗争』における激烈な戦闘行動や、関東地方の大組織・住吉連合会との突発的な抗争に際し破壊的な総力戦を敢行しようとしたことなどから、暴力団界にあって際立った畏怖を伴う“恐ろしい”組織であるとの評判が定着。
長年にわたって日本屈指の強力な犯罪組織としてあり続けており、その性質面について、安田雅企は“信じ難い蛮勇”を有する組織であると、ジェイク・エーデルスタインは“とりわけ獰猛(凶暴)な組織”であると述べる。
2000年代中盤頃からは、人事を巡って分裂した九州誠道会を相手とした、暴力団史に類を見ないほどの極めて破壊的な銃火器類を多用した激しい抗争の当事者となり、全国的な関心を惹起する事態ともなった。抗争終結宣言に至る2013年までに、マシンガンや手榴弾を用いた47件の抗争事件で14名の死者を発生させるに至った。
来歴
1971年に古賀一家を含む4団体が合体し道仁会を結成。この統合を主導したのが初代会長の古賀磯次であった。やがて初代の幹事長であった松尾誠次郎が1992年に二代目を襲名。同年に暴力団対策法に基づく指定暴力団への登録を受ける。
2006年における松尾の引退に伴い、傘下松尾組の首領であった大中義久を会長とする三代目体制が発足するも、同時期に離反した九州誠道会の手により翌2007年に大中が射殺されたことから早くも終焉。当時服役中であった小林哲治が四代目を継承した。
抗争史
道仁会が当事者となってきた数々の抗争事件のうち、20世紀における主要なものとしては、1978年における大牟田市内の名門暴力団組織・馬場一家との抗争、1980年における伊豆組内伊豆一家との抗争、1982年における久留米市内の向山一家との抗争、1983年における馬場一家との第二次抗争および住吉連合会との抗争、そして1986年からおおよそ8ヶ月間にわたって続いた山口組との抗争が挙げられる。
住吉連合会との抗争に際しては、組員らが大挙して上京したうえで東京都内に潜伏、同時多発急襲寸前というところまで事が進んだものの、まさに間一髪という時点で落着。のちに“山道抗争”として語られるようになった山口組との抗争は、その膨大な発砲回数と死傷者の急増から全国的なマスメディアの関心を惹起することにもなった。
対九州誠道会
長年にわたり組織を率いた松尾誠次郎が2006年に引退を表明。これに際して大牟田市を本拠地とする村上一家を中心とした勢力が次期の人事決定に反発し、道仁会から脱退したうえで、“九州誠道会”という名の新団体を発足させた。これが抗争の起こりであった。
年内にさっそく本部事務所がAK-47アサルトライフルによる激しい掃射を受け、それから2年間のうちに7名の死者を計上した。誠道会側からの終結の宣言が行われた2008年頃からしばらくは局所的な抗争事件が発生するに留まっていたものの、やがて再燃し、特に2011年に入ってからは激化が確認されている。
2011年度の目立った関係事案あるいは関係が疑われる事案としては、誠道会系元組長を含む2名が誠道会本部事務所の至近地で乗車していたワゴンごと電柱に衝突し即死、爆発炎上後の車内から手榴弾が発見された事件や、佐賀県伊万里市で組員が誠道会系幹部を回転式拳銃で射殺した事件、佐賀県小城市で組員と疑われる男が誠道会系組員の居宅を襲ったうえで刺殺した事件、大川市で道仁会関係と見られる車と誠道会系組員らの乗る車とがいわゆるカーチェイスによる銃撃戦を展開した事件、会長宅が機関銃や手榴弾で武装した誠道会関係者による襲撃を受けた事件などが幅広く報道された。
このような抗争状態を背景とし、2012年12月、九州誠道会とともに改正暴対法に基づく“特定抗争指定暴力団”の指定対象となった。
2013年6月、九州誠道会との抗争終結の旨の宣言書を福岡県警久留米署へ提出。その後、特定抗争指定暴力団の指定は2014年6月26日をもって解除された。
最高幹部
初代会長は古賀磯次、2代目は松尾誠次郎、3代目は大中義久(松尾義久)、4代目は小林哲治。初代会長の古賀は2009年に74歳で死去。3代目の大中は2007年に乗用車から降りたところを頭部に銃撃を受けて即死。
会長 - 小林哲治
会長代行 - 篠塚信之
本部長 - 森憲一郎
組織委員長 - 平山貞男
副理事長 - 志岐公司
副理事長 - 福田憲一
事務局長 - 浦仲長次朗
参照元 : wiki/道仁会
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