NYマフィア「ガンビーノ・ファミリー」のボス、自宅前で射殺か
2019.03.15 Fri posted at 13:00 JST
(CNN) 米ニューヨークのマフィア「ガンビーノ・ファミリー」のボスとされるフランチェスコ・カリ氏(53)が13日夜、スタテン島の自宅の前で射殺された。ニューヨーク市警(NYPD)が明らかにした。
NYPDによると、カリ氏は発見時、上半身に複数の銃創を負った状態だったという。搬送先の地元大学病院で死亡が確認された。
捜査当局者はCNNの取材に対し、カリ氏がガンビーノ・ファミリーの幹部であることを確認。ボス代行とみられていると説明した。
NYPDの幹部によると、警察は現場から逃走したピックアップトラックの行方を追っている。これまで逮捕者は出ておらず、捜査を続けている状況。
事件ではカリ氏が自宅で家族と過ごしていた際、外でピックアップトラックが自動車に衝突した。カリ氏を屋外におびき出して容疑者と対峙(たいじ)させる目的で事故を仕組んだ可能性が高いとしている。
容疑者はカリ氏と向き合ってから約10分後、銃を抜いて発砲を開始。カリ氏が自分の車の後ろに隠れようとしたところ、ピックアップトラックが突っ込んだという。
CNN提携局のWPIXによると、ガンビーノ・ファミリーでは1992年、当時のボスだったジョン・ゴッティが殺人とゆすりで有罪判決を受け、終身刑となった。その後はカリ氏が組織の束ね役になったと考えられていた。
参照元 : cnn.co.jp
フランチェスコ・カリ
たとえ大金を手に入れて大金持ちになっても、マフィアのボスは敵対組織から命を狙われてるので、人生は短い。
いくらお金があっても殺されたら終わり。
2019.03.15 Fri posted at 13:00 JST
(CNN) 米ニューヨークのマフィア「ガンビーノ・ファミリー」のボスとされるフランチェスコ・カリ氏(53)が13日夜、スタテン島の自宅の前で射殺された。ニューヨーク市警(NYPD)が明らかにした。
NYPDによると、カリ氏は発見時、上半身に複数の銃創を負った状態だったという。搬送先の地元大学病院で死亡が確認された。
捜査当局者はCNNの取材に対し、カリ氏がガンビーノ・ファミリーの幹部であることを確認。ボス代行とみられていると説明した。
NYPDの幹部によると、警察は現場から逃走したピックアップトラックの行方を追っている。これまで逮捕者は出ておらず、捜査を続けている状況。
事件ではカリ氏が自宅で家族と過ごしていた際、外でピックアップトラックが自動車に衝突した。カリ氏を屋外におびき出して容疑者と対峙(たいじ)させる目的で事故を仕組んだ可能性が高いとしている。
容疑者はカリ氏と向き合ってから約10分後、銃を抜いて発砲を開始。カリ氏が自分の車の後ろに隠れようとしたところ、ピックアップトラックが突っ込んだという。
CNN提携局のWPIXによると、ガンビーノ・ファミリーでは1992年、当時のボスだったジョン・ゴッティが殺人とゆすりで有罪判決を受け、終身刑となった。その後はカリ氏が組織の束ね役になったと考えられていた。
参照元 : cnn.co.jp
ガンビーノ一家
ガンビーノ一家(ガンビーノいっか、Gambino crime family)はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。1931年にラッキー・ルチアーノによってニューヨーク・マフィアが五大ファミリーに再編されたときに旧サルヴァトーレ・ダキーラのファミリーを母体として誕生した。
形成期
1次抗争
1900年代後半、シチリアのパレルモ出身のサルヴァトーレ・ダキーラがハーレムでギャング団を率いた。コルレオーネ系のモレロ一家のパートナーとして頭角を現し、1910年にモレロ一家ボスのジュゼッペ・モレロが監獄送りになった時、「ボスの中のボス」を宣言し、1910年代前半モレロ一家残党と抗争した。モレロと共に監獄送りになったイニャツィオ・ルポ(パレルモ派閥)の後継者を自任し、その縄張りを継いだとの説がある。
当時パレルモルーツの派閥にダキーラ派とアル・ミネオ派があり、アル・ミネオ派はモレロ派残党やカステランマレーゼ派と同盟してダキーラに対抗した。1910年代中頃、モレロ派がカモッラ戦争で疲弊している間、ダキーラ派は勢力を伸張し、禁酒法時代ブルックリンに拠点を移した。ダキーラはライバル勢力にスパイを送り込み、危険分子を粛清するなど水面下の策謀に長けたと言われる。ダキーラはまた、クリーヴランド、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ニューオリンズなど全米各都市のシチリアマフィア勢力とネットワークを築き、互いに信頼関係を築いた。
2次抗争
1920年にモレロやルポが出所し、往時の権力を取り戻そうと活動を始めると、ダキーラはマフィア会議を開き、モレロ派残党にまとめて死の宣告を出した。その後2年間、ダキーラ派とモレロ派は再び抗争状態となり、酒の密輸の縄張り争いを伴って激化した末、十数人の死者を出した。1922年、酒の密輸で力を付けたジョー・マッセリアがモレロの支持を得てダキーラ派刺客ウンベルト・ヴァレンティを返り討ちにしたため、ダキーラの野望はとん挫した。
ダキーラ暗殺
1928年7月に暗殺されたフランキー・イェールの南ブルックリンの縄張りをめぐってダキーラが乗っ取りを仕掛け、これにマッセリアが待ったをかけた。同年10月、ダキーラは暗殺され、実行犯は捕まらなかったがマッセリア、モレロ、アル・ミネオの共謀と信じられた。マッセリアは縄張りをアル・ミネオに任せて間接支配した。イェールやダキーラの相次ぐ暗殺はブルックリン情勢に混沌をもたらし、権力の空白を埋めるべく各ギャングが暗闘を始めた。ダキーラ派残党の一部は北ブルックリンのカステランマレーゼ派との提携に走った。
ダキーラの後釜に収まったミネオが元々率いていた派閥は、抜けた穴を埋める形でサルヴァトーレ・ディベッラ、次いでジョゼフ・プロファチがボスを継いだとの説がある(その場合ミネオはプロファチ一家(現コロンボ一家)の創設者となる)。
1928年12月、クリーヴランドで開かれたマフィア会議に、ヴィンセント・マンガーノやプロファチ、ダキーラの側近だったジョゼフ・トライナなどが参加した(警察の手入れにあい会議の存在が露見した)。会議の目的はイェールやダキーラ亡き後の密輸の縄張り処理だったと見られる(マッセリアやアル・ミネオは不参加)。
ミネオ暗殺と五大ファミリーの再編
1920年代後半、ダキーラ暗殺に続いてカステランマレーゼ派を攻略したマッセリアは、同派のサルヴァトーレ・マランツァーノの頑強な抵抗にあった(カステランマレーゼ戦争)。
1930年11月、ミネオはマランツァーノとトミー・ガリアーノの合同暗殺チームに暗殺され、マランツァーノの支援を得てミネオの支配に抵抗していたダキーラ派残党のフランク・スカリーチェが組織を奪い返した。1931年4月、マッセリアは自身の部下に裏切られて謀殺され、スカリーチェはマランツァーノによりあらためて旧ダキーラ組織のボスに任命された。
1931年9月、マランツァーノがルチアーノに暗殺されると、マランツァーノに近かったスカリーチェは後ろ盾を失ってボスの座を降ろされ、代わってヴィンセント・マンガーノがボスに担ぎ上げられた。ダキーラから、ミネオ、スカリーチェ、マンガーノ、一代はさんでカルロ・ガンビーノまでの全員がパレルモ市出身のパレルモ派閥である。モレロ一家、レイナ一家などのコルレオーネ派閥や、カステランマレーゼ派閥と対置される。
ナポリ系・カラブリア系勢力の流入
1916年のマフィア(モレロ一家)-カモッラ戦争でカモッラの主要リーダーが投獄された時、ダキーラ派がカモッラの残党を吸収したのが発端とされる。1920年代、マンガーノらブルックリン臨界区のシチリア勢力(パレルモ派閥)は、カラブリア系のフランキー・イェールと共同で臨海区を支配した。1928年にイェールがアル・カポネ一味に殺された時、ナポリ系・カラブリア系勢力は南ブルックリンのシチリア勢と激しい縄張り争いを展開した。カラブリア系のアルバート・アナスタシア一派はマンガーノと結託して、臨海区の同郷(カラブリア系)ギャングを暴力で排除した上、プロファチら南ブルックリンのシチリア勢と和解した。最終的にこれら南ブルックリンの非シチリア勢力はマンガーノ一派とプロファチ一派に吸収された。
五大ファミリー再編後
マンガーノ一家
マンガーノはルチアーノと親しいアナスタシアを副ボスに据え、再スタートを切った。両者ともユダヤ系ギャングとの合同組織マーダー・インクの幹部となり、暗黒街の反逆者や裏切り者の処刑業務に関与した。1933年の禁酒法終了後は、組合ゆすりや高利貸し、宝くじやナンバーズ賭博に収益源を求めた。ブルックリンの臨海区の港湾組合を支配しキックバックやピンハネ、船の入出港を仕切って貨物の横流しや転売で儲けた。1940年代初頭、エイブ・レルズの密告によりマーダーインクの処刑業務に深く関わったアナスタシアに捜査が及ぶが、盟友フランク・コステロが裏で手を回し、救われた。
マンガーノは、アナスタシアと臨海区支配や政敵排除を通じ20年以上タッグを組んでいたが、次第にボスの自分を無視して勝手に他のファミリー幹部に便宜を図るアナスタシアと関係が悪化した。
アナスタシアの権力奪取
1951年4月、マンガーノは行方不明になり、同時にマンガーノの弟で一家の相談役フィリップは沼地で銃殺死体で発見された。両方ともアナスタシアが殺したと広く信じられている。コステロ一家(現ジェノヴェーゼ一家)のボス、フランク・コステロがアナスタシアの掟破りのボス殺しを事前に了解していたとされる。コステロはボスの座を狙うヴィト・ジェノヴェーゼを牽制するためアナスタシアを一家のボスに後押しした。
アナスタシアは副ボスに古参フランク・スカリーチェを据えた。スカリーチェの副ボス抜擢は傘下に抱えるシチリア勢力を懐柔する意味があったとされる。この時代、ファミリー上層部が小遣い稼ぎにメンバーシップを乱発し、組織が膨張した。メンバーシップの乱発はオメルタに触れ、スカリーチェが責任を取らされて1957年6月に粛清された。
アナスタシアはギャンブルに溺れるようになり、金欠状態に陥って他のファミリーの縄張りを狙うなど悪評が高まった。特にキューバの賭博利権に割り込もうと、キューバに大きな利権を持っていたフロリダのサント・トラフィカンテに触手を伸ばした。
理髪店の虐殺
その後、ファミリーはジェノヴェーゼの権力闘争に巻き込まれた。1957年5月、コステロはジェノヴェーゼの手下ヴィンセント・ジガンテに狙撃され、暗殺は免れたが、組織からの引退を決意した。アナスタシアは怒り狂い、ジェノヴェーゼと戦争する場合は中立を保つよう他のボスに働きかけた。ジェノヴェーゼはアナスタシアの報復を恐れ、スカリーチェを継いで副ボスになっていたカルロ・ガンビーノを抱き込んでアナスタシア暗殺を共謀した。1957年10月25日、アナスタシアはマンハッタンのパーク・シェラトンホテルの理容室で2人組に銃撃され即死した。
当局は密告者の情報を元に、一家の古参幹部のジョー・ビオンドがガンビーノから仕事を請け負い、自前のクルーから暗殺チームを作ったと推論した(ビオンドは直後副ボスに昇格したが暗殺の見返り人事とされる)。数年後のギャロ対プロファチ戦争で脚光を浴びたプロファチ一家のギャロ兄弟が後になって実行犯として脚光を浴びたが、別ファミリーの末端にいたギャロへの繋がりが想定しづらいことやファミリー執行部と対立するギャロに重要な暗殺の仕事を委ねる現実味が乏しいことから、伝説の域を出ていない。捜査は、理髪店でアナスタシアと一緒だった一家のジェロウム・スキランテや、アナスタシアと暗殺の前日に会っていたサント・トラフィカンテに及んだが、犯人の検挙に至らなかった。
アナスタシア暗殺はジェノヴェーゼとガンビーノの共謀というのが定説だが、マンガーノ兄弟、スカリーチェ兄弟と相次いでシチリア人を殺したアナスタシアに対する、ファミリーの垣根を越えたシチリアマフィア総出の復讐とする説もある。
ガンビーノのマフィア外交
ボスの座に就いたガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡におさまらず、ファミリー外交を始めた。ジョゼフ・ボナンノープロファチの同盟関係に対抗して、1962年トーマス・ルッケーゼとの政略結婚を通じて味方陣営を固めた。ギャロ戦争を口実にプロファチに圧力をかけ、引退に追い込もうとした。1962年プロファチが病死すると、副ボスで側近だったジョゼフ・マリオッコのボス就任を認めず、傀儡のジョゼフ・コロンボを据えることに成功した。
旧プロファチ一家を自陣に加えたガンビーノは、ジェノヴェーゼが投獄され不在の中、コミッションの主導権を握った。プロファチに続いてボナンノ一家の切り崩しを図り、自身やルッケーゼへ暗殺を企てたとの理由でボナンノを執拗に糾弾した。ボナンノは息子に全権を譲って引退するなどと譲歩案を出したがガンビーノを中心とするコミッションに拒否されたため、ボナンノは引退を撤回して状況は泥沼化した。その後、ボナンノ一家の古参幹部の不満を利用して内部分裂を起こさせ、最終的にボナンノを引退に追い込んだ。
ファミリー内では旧アナスタシア派の粛清を行なったが、1960年代半ばアナスタシア派で人望の厚かったアニエロ・デラクローチェを副ボスに抜擢し、アナスタシア派の懐柔と監視の両方の役目を与えて組織の分裂を防いだ。1967年ルッケーゼの死亡後、そのガーメント地区の組合利権を乗っ取った。一家は拡大を続け、構成員は正式メンバー以外の関係者を含めると数千人に達し、テリトリーはニュージャージー、カリフォルニア、バルティモア、フロリダ、コネチカットまで及んだ。1976年のガンビーノの死までに、ファミリーはジェノヴェーゼ一家に代わってニューヨーク最強のファミリーとなった[7]。
ガンビーノ後
ガンビーノが自分の後継者に副ボスのデラクローチェではなく、いとこのポール・カステラーノを指名したことから、ファミリーの運命には翳がさすようになる。カステラーノはファミリーの合法ビジネスの進出に力を注ぐとともに、組合や企業強請りなどの「ホワイトカラー」犯罪に基盤を持った。デラクローチェを頂点とするグループは、ヤミ賭博や麻薬、強盗、売春など従来のストリート系「ブルーカラー犯罪」に基盤を持ち、明確に異なる派閥を形成した。
1985年12月2日のデラクローチェの死を契機に、カステラーノの粛清を恐れたデラクローチェ配下の筆頭ジョン・ゴッティは同年12月16日、カステラーノを暗殺し、一家のボスの座に就いた。掟破りのボス殺しとしてマフィア総出の復讐に晒され、側近らを殺害されたゴッティはジガンテらマフィアの実力者への釈明に奔走した。
その後ゴッティはもっとも有名なマフィアのボスとしてメディアを賑わせたが、1990年に逮捕・収監されて2002年に獄死した。1970年代半ばからFBIの摘発は厳しさを増し、副ボスのサルヴァトーレ・"サミー・ザ・ブル"・グラヴァーノなどの司法当局への内通者が続出するに至ってファミリーの統制は地に堕ちた。現在では再びジェノヴェーゼ一家に最強のファミリーとしての地位を譲っていると思われるが、現在でもブルックリンとスタテンアイランドの労働組合を支配している。
近年ではシチリアマフィアとの連携を再び強めているとされている。1981年にサルヴァトーレ・リイナらに殺害されたサルヴァトーレ・インツェリッロ(英語版)の家族と部下らを迎え入れた。さらに2011年にシチリア出身のドメニコ・チェファルー(Domenico "Italian Dom" Cefalù)をボスとした。そして2015年にインツェリッロと親族関係にあるフランク・カリ(Frank "Franky Boy" Cali)がアンダーボスからボスに昇格し、現在に至る。現在の副ボス(ストリート・ボス)とアンダーボスは不明、コンシリエーレはジョゼフ・コロッツォ(Joseph "Jo Jo" Corozzo)。2019年3月13日、フランク・カリは自宅前で6発の銃弾を受け、その後ピックアップトラックに轢かれ死亡。
参照元 : wiki/ガンビーノ一家
ガンビーノ一家(ガンビーノいっか、Gambino crime family)はニューヨーク・マフィアの五大ファミリーの一つ。1931年にラッキー・ルチアーノによってニューヨーク・マフィアが五大ファミリーに再編されたときに旧サルヴァトーレ・ダキーラのファミリーを母体として誕生した。
形成期
1次抗争
1900年代後半、シチリアのパレルモ出身のサルヴァトーレ・ダキーラがハーレムでギャング団を率いた。コルレオーネ系のモレロ一家のパートナーとして頭角を現し、1910年にモレロ一家ボスのジュゼッペ・モレロが監獄送りになった時、「ボスの中のボス」を宣言し、1910年代前半モレロ一家残党と抗争した。モレロと共に監獄送りになったイニャツィオ・ルポ(パレルモ派閥)の後継者を自任し、その縄張りを継いだとの説がある。
当時パレルモルーツの派閥にダキーラ派とアル・ミネオ派があり、アル・ミネオ派はモレロ派残党やカステランマレーゼ派と同盟してダキーラに対抗した。1910年代中頃、モレロ派がカモッラ戦争で疲弊している間、ダキーラ派は勢力を伸張し、禁酒法時代ブルックリンに拠点を移した。ダキーラはライバル勢力にスパイを送り込み、危険分子を粛清するなど水面下の策謀に長けたと言われる。ダキーラはまた、クリーヴランド、シカゴ、ボストン、フィラデルフィア、ニューオリンズなど全米各都市のシチリアマフィア勢力とネットワークを築き、互いに信頼関係を築いた。
2次抗争
1920年にモレロやルポが出所し、往時の権力を取り戻そうと活動を始めると、ダキーラはマフィア会議を開き、モレロ派残党にまとめて死の宣告を出した。その後2年間、ダキーラ派とモレロ派は再び抗争状態となり、酒の密輸の縄張り争いを伴って激化した末、十数人の死者を出した。1922年、酒の密輸で力を付けたジョー・マッセリアがモレロの支持を得てダキーラ派刺客ウンベルト・ヴァレンティを返り討ちにしたため、ダキーラの野望はとん挫した。
ダキーラ暗殺
1928年7月に暗殺されたフランキー・イェールの南ブルックリンの縄張りをめぐってダキーラが乗っ取りを仕掛け、これにマッセリアが待ったをかけた。同年10月、ダキーラは暗殺され、実行犯は捕まらなかったがマッセリア、モレロ、アル・ミネオの共謀と信じられた。マッセリアは縄張りをアル・ミネオに任せて間接支配した。イェールやダキーラの相次ぐ暗殺はブルックリン情勢に混沌をもたらし、権力の空白を埋めるべく各ギャングが暗闘を始めた。ダキーラ派残党の一部は北ブルックリンのカステランマレーゼ派との提携に走った。
ダキーラの後釜に収まったミネオが元々率いていた派閥は、抜けた穴を埋める形でサルヴァトーレ・ディベッラ、次いでジョゼフ・プロファチがボスを継いだとの説がある(その場合ミネオはプロファチ一家(現コロンボ一家)の創設者となる)。
1928年12月、クリーヴランドで開かれたマフィア会議に、ヴィンセント・マンガーノやプロファチ、ダキーラの側近だったジョゼフ・トライナなどが参加した(警察の手入れにあい会議の存在が露見した)。会議の目的はイェールやダキーラ亡き後の密輸の縄張り処理だったと見られる(マッセリアやアル・ミネオは不参加)。
ミネオ暗殺と五大ファミリーの再編
1920年代後半、ダキーラ暗殺に続いてカステランマレーゼ派を攻略したマッセリアは、同派のサルヴァトーレ・マランツァーノの頑強な抵抗にあった(カステランマレーゼ戦争)。
1930年11月、ミネオはマランツァーノとトミー・ガリアーノの合同暗殺チームに暗殺され、マランツァーノの支援を得てミネオの支配に抵抗していたダキーラ派残党のフランク・スカリーチェが組織を奪い返した。1931年4月、マッセリアは自身の部下に裏切られて謀殺され、スカリーチェはマランツァーノによりあらためて旧ダキーラ組織のボスに任命された。
1931年9月、マランツァーノがルチアーノに暗殺されると、マランツァーノに近かったスカリーチェは後ろ盾を失ってボスの座を降ろされ、代わってヴィンセント・マンガーノがボスに担ぎ上げられた。ダキーラから、ミネオ、スカリーチェ、マンガーノ、一代はさんでカルロ・ガンビーノまでの全員がパレルモ市出身のパレルモ派閥である。モレロ一家、レイナ一家などのコルレオーネ派閥や、カステランマレーゼ派閥と対置される。
ナポリ系・カラブリア系勢力の流入
1916年のマフィア(モレロ一家)-カモッラ戦争でカモッラの主要リーダーが投獄された時、ダキーラ派がカモッラの残党を吸収したのが発端とされる。1920年代、マンガーノらブルックリン臨界区のシチリア勢力(パレルモ派閥)は、カラブリア系のフランキー・イェールと共同で臨海区を支配した。1928年にイェールがアル・カポネ一味に殺された時、ナポリ系・カラブリア系勢力は南ブルックリンのシチリア勢と激しい縄張り争いを展開した。カラブリア系のアルバート・アナスタシア一派はマンガーノと結託して、臨海区の同郷(カラブリア系)ギャングを暴力で排除した上、プロファチら南ブルックリンのシチリア勢と和解した。最終的にこれら南ブルックリンの非シチリア勢力はマンガーノ一派とプロファチ一派に吸収された。
五大ファミリー再編後
マンガーノ一家
マンガーノはルチアーノと親しいアナスタシアを副ボスに据え、再スタートを切った。両者ともユダヤ系ギャングとの合同組織マーダー・インクの幹部となり、暗黒街の反逆者や裏切り者の処刑業務に関与した。1933年の禁酒法終了後は、組合ゆすりや高利貸し、宝くじやナンバーズ賭博に収益源を求めた。ブルックリンの臨海区の港湾組合を支配しキックバックやピンハネ、船の入出港を仕切って貨物の横流しや転売で儲けた。1940年代初頭、エイブ・レルズの密告によりマーダーインクの処刑業務に深く関わったアナスタシアに捜査が及ぶが、盟友フランク・コステロが裏で手を回し、救われた。
マンガーノは、アナスタシアと臨海区支配や政敵排除を通じ20年以上タッグを組んでいたが、次第にボスの自分を無視して勝手に他のファミリー幹部に便宜を図るアナスタシアと関係が悪化した。
アナスタシアの権力奪取
1951年4月、マンガーノは行方不明になり、同時にマンガーノの弟で一家の相談役フィリップは沼地で銃殺死体で発見された。両方ともアナスタシアが殺したと広く信じられている。コステロ一家(現ジェノヴェーゼ一家)のボス、フランク・コステロがアナスタシアの掟破りのボス殺しを事前に了解していたとされる。コステロはボスの座を狙うヴィト・ジェノヴェーゼを牽制するためアナスタシアを一家のボスに後押しした。
アナスタシアは副ボスに古参フランク・スカリーチェを据えた。スカリーチェの副ボス抜擢は傘下に抱えるシチリア勢力を懐柔する意味があったとされる。この時代、ファミリー上層部が小遣い稼ぎにメンバーシップを乱発し、組織が膨張した。メンバーシップの乱発はオメルタに触れ、スカリーチェが責任を取らされて1957年6月に粛清された。
アナスタシアはギャンブルに溺れるようになり、金欠状態に陥って他のファミリーの縄張りを狙うなど悪評が高まった。特にキューバの賭博利権に割り込もうと、キューバに大きな利権を持っていたフロリダのサント・トラフィカンテに触手を伸ばした。
理髪店の虐殺
その後、ファミリーはジェノヴェーゼの権力闘争に巻き込まれた。1957年5月、コステロはジェノヴェーゼの手下ヴィンセント・ジガンテに狙撃され、暗殺は免れたが、組織からの引退を決意した。アナスタシアは怒り狂い、ジェノヴェーゼと戦争する場合は中立を保つよう他のボスに働きかけた。ジェノヴェーゼはアナスタシアの報復を恐れ、スカリーチェを継いで副ボスになっていたカルロ・ガンビーノを抱き込んでアナスタシア暗殺を共謀した。1957年10月25日、アナスタシアはマンハッタンのパーク・シェラトンホテルの理容室で2人組に銃撃され即死した。
当局は密告者の情報を元に、一家の古参幹部のジョー・ビオンドがガンビーノから仕事を請け負い、自前のクルーから暗殺チームを作ったと推論した(ビオンドは直後副ボスに昇格したが暗殺の見返り人事とされる)。数年後のギャロ対プロファチ戦争で脚光を浴びたプロファチ一家のギャロ兄弟が後になって実行犯として脚光を浴びたが、別ファミリーの末端にいたギャロへの繋がりが想定しづらいことやファミリー執行部と対立するギャロに重要な暗殺の仕事を委ねる現実味が乏しいことから、伝説の域を出ていない。捜査は、理髪店でアナスタシアと一緒だった一家のジェロウム・スキランテや、アナスタシアと暗殺の前日に会っていたサント・トラフィカンテに及んだが、犯人の検挙に至らなかった。
アナスタシア暗殺はジェノヴェーゼとガンビーノの共謀というのが定説だが、マンガーノ兄弟、スカリーチェ兄弟と相次いでシチリア人を殺したアナスタシアに対する、ファミリーの垣根を越えたシチリアマフィア総出の復讐とする説もある。
ガンビーノのマフィア外交
ボスの座に就いたガンビーノはジェノヴェーゼの傀儡におさまらず、ファミリー外交を始めた。ジョゼフ・ボナンノープロファチの同盟関係に対抗して、1962年トーマス・ルッケーゼとの政略結婚を通じて味方陣営を固めた。ギャロ戦争を口実にプロファチに圧力をかけ、引退に追い込もうとした。1962年プロファチが病死すると、副ボスで側近だったジョゼフ・マリオッコのボス就任を認めず、傀儡のジョゼフ・コロンボを据えることに成功した。
旧プロファチ一家を自陣に加えたガンビーノは、ジェノヴェーゼが投獄され不在の中、コミッションの主導権を握った。プロファチに続いてボナンノ一家の切り崩しを図り、自身やルッケーゼへ暗殺を企てたとの理由でボナンノを執拗に糾弾した。ボナンノは息子に全権を譲って引退するなどと譲歩案を出したがガンビーノを中心とするコミッションに拒否されたため、ボナンノは引退を撤回して状況は泥沼化した。その後、ボナンノ一家の古参幹部の不満を利用して内部分裂を起こさせ、最終的にボナンノを引退に追い込んだ。
ファミリー内では旧アナスタシア派の粛清を行なったが、1960年代半ばアナスタシア派で人望の厚かったアニエロ・デラクローチェを副ボスに抜擢し、アナスタシア派の懐柔と監視の両方の役目を与えて組織の分裂を防いだ。1967年ルッケーゼの死亡後、そのガーメント地区の組合利権を乗っ取った。一家は拡大を続け、構成員は正式メンバー以外の関係者を含めると数千人に達し、テリトリーはニュージャージー、カリフォルニア、バルティモア、フロリダ、コネチカットまで及んだ。1976年のガンビーノの死までに、ファミリーはジェノヴェーゼ一家に代わってニューヨーク最強のファミリーとなった[7]。
ガンビーノ後
ガンビーノが自分の後継者に副ボスのデラクローチェではなく、いとこのポール・カステラーノを指名したことから、ファミリーの運命には翳がさすようになる。カステラーノはファミリーの合法ビジネスの進出に力を注ぐとともに、組合や企業強請りなどの「ホワイトカラー」犯罪に基盤を持った。デラクローチェを頂点とするグループは、ヤミ賭博や麻薬、強盗、売春など従来のストリート系「ブルーカラー犯罪」に基盤を持ち、明確に異なる派閥を形成した。
1985年12月2日のデラクローチェの死を契機に、カステラーノの粛清を恐れたデラクローチェ配下の筆頭ジョン・ゴッティは同年12月16日、カステラーノを暗殺し、一家のボスの座に就いた。掟破りのボス殺しとしてマフィア総出の復讐に晒され、側近らを殺害されたゴッティはジガンテらマフィアの実力者への釈明に奔走した。
その後ゴッティはもっとも有名なマフィアのボスとしてメディアを賑わせたが、1990年に逮捕・収監されて2002年に獄死した。1970年代半ばからFBIの摘発は厳しさを増し、副ボスのサルヴァトーレ・"サミー・ザ・ブル"・グラヴァーノなどの司法当局への内通者が続出するに至ってファミリーの統制は地に堕ちた。現在では再びジェノヴェーゼ一家に最強のファミリーとしての地位を譲っていると思われるが、現在でもブルックリンとスタテンアイランドの労働組合を支配している。
近年ではシチリアマフィアとの連携を再び強めているとされている。1981年にサルヴァトーレ・リイナらに殺害されたサルヴァトーレ・インツェリッロ(英語版)の家族と部下らを迎え入れた。さらに2011年にシチリア出身のドメニコ・チェファルー(Domenico "Italian Dom" Cefalù)をボスとした。そして2015年にインツェリッロと親族関係にあるフランク・カリ(Frank "Franky Boy" Cali)がアンダーボスからボスに昇格し、現在に至る。現在の副ボス(ストリート・ボス)とアンダーボスは不明、コンシリエーレはジョゼフ・コロッツォ(Joseph "Jo Jo" Corozzo)。2019年3月13日、フランク・カリは自宅前で6発の銃弾を受け、その後ピックアップトラックに轢かれ死亡。
参照元 : wiki/ガンビーノ一家
フランチェスコ・カリ
— るぅ@もふもふ欠乏症 (@TirlmaLou) 2019年3月15日
しっかし、ギャングが出てくるお話をやってる時に、本物のマフィアの親玉が暗殺されるとはね。— 吉村梨央子 (@rioko_yoshimura) 2019年3月15日
なんとも言えないなあ
NYマフィア「ガンビーノ・ファミリー」のボス、自宅前で射殺か https://t.co/VUmZk401Ck @cnn_co_jp
海外マフィアは暗殺の仕方が豪快ですね。トラックで突っ込んでトドメを刺すとか、ヤバすぎる。NYマフィア「ガンビーノ・ファミリー」のボス、自宅前で射殺か https://t.co/bYXwrl9NZ8 @cnn_co_jpさんから 計画的な犯行だよな。トラックが突っ込んだのも、確実にとどめをさしにきたんだろう。— イカの名を冠するもの (@ikaGeso774) 2019年3月15日
たとえ大金を手に入れて大金持ちになっても、マフィアのボスは敵対組織から命を狙われてるので、人生は短い。
いくらお金があっても殺されたら終わり。
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