最高幹部逮捕の神戸山口組 神戸から追い出される!?
2017.10.17 16:00
3つの山口組抗争が激化する中、六代目山口組から分裂した神戸山口組の最高幹部である寺岡修若頭が10月10日、兵庫県警に逮捕された。
「容疑は寺岡若頭の出身母体・侠友会が組事務所として使用していた神戸市内のビルにおいて、虚偽の登記を行なったことによるもの。同ビルは神戸山口組の執行部会が開かれるなど、淡路島にある本部事務所に次ぐ“第二本部”として使用されていた。寺岡若頭は20日間の勾留で出てくる予定です」(全国紙記者)
問題は、それを機にこの“第二本部”を手放さなければならない可能性が高まるということだ。
実は同じタイミングで、神戸山口組は警察だけでなく市民からも追い込まれていた。逮捕に先駆けた10月2日、公益財団法人「暴力団追放兵庫県民センター」が地域住民の代理訴訟として、淡路島にある神戸山口組本部事務所の使用禁止を求める仮処分訴訟を起こしていたのだ。山口組分裂抗争を取材するライターの鈴木智彦氏が分析する。
「9月に神戸山口組傘下の組員が神戸から再分裂した任侠山口組の織田絆誠代表を襲撃し、ボディーガードを射殺したことで、神戸山口組が報復にあう危険性が高まり、地域住民の不安が高まっている。代理訴訟の前例からして、和解へ持ちこめたとしても、事務所の撤去は避けられません。遅かれ早かれ神戸山口組は淡路島にある本部を手放さざるを得なくなる。さらに今回の逮捕でもう一つの施設まで使えなくなるとなれば、次の本部選びが難航することになります」
神戸山口組が、肝心の神戸から追い出されようとしているのだ。事務所がなくなれば暴力団にとっては死活問題のはず。ところが前出・鈴木氏によれば、「むしろ抗争を煽ることになるかもしれない」というのだ。
「事務所が使用禁止になることで、警察に組員の動きを掴まれることなく潜伏しやすくなる。神戸山口組としては、失敗した織田代表の襲撃をもう一度決行しようとするはず。本部を奪われたタイミングがきっかけとなる可能性は高い」
警察としては、締め上げたはずが、抗争のリスクを高めてしまうことに。深まる混乱のなか、各団体がかろうじて保ってきたバランスが崩れ、分裂抗争は新局面を迎えようとしている。
※週刊ポスト2017年10月28日号
参照元 : NEWSポストセブン
寺岡修(てらおか おさむ)、1949年03月22日生まれ。
三代目山口組二代目細田組若頭補佐、初代西脇組舎弟、侠友会会長、六代目山口組若頭補佐、六代目山口組中国・四国ブロック長、六代目山口組大阪北ブロック長、六代目山口組舎弟を歴任。
六代目山口組を絶縁され、現在は侠友会会長であり、上部団体の神戸山口組の若頭を務めている。
三代目山口組二代目細田組系の組員となり渡世開始。二代目細田組では若頭補佐まで登り詰めた。侠友会を結成し会長に就任する。
1982年10月、淡路島を舞台に三代目山口組と五代目大嶋組との間で『淡路島抗争』が勃発。寺岡は抗争に参戦し武闘派ぶりを見せ付けた。
1983年07月、二代目細田組組長・細田利明が引退し組を解散すると、三代目山口組の直参であった西脇組組長・西脇和美と舎弟盃を交わし西脇組に移籍した。
1992年02月、西脇組から内部昇格し五代目山口組の直参となった。五代目山口組体制では総本部当番長、組長秘書に登用された。
2005年08月、六代目山口組が発足すると若頭補佐に抜擢され執行部入り。中国・四国ブロック長を務めた後、2006年05月からは大阪北ブロック長を務めていた。
また、六代目山口組体制下で山口組の不動産管理会社『山輝』の代表取締役に就任。
2010年06月、兵庫県知事の許可を得ずに2008年07月~2010年04月の間、総本部(神戸市灘区)の土地の一部を新規の直参に売却したり、引退した直参から買い戻したりした宅地建物取引業法違反容疑で指名手配され、その後出頭し逮捕された。
2012年11月、若頭補佐を退任し六代目山口組舎弟に直った。以後、山口組分裂まで舎弟であった。
2015年08月27日、六代目山口組を絶縁となり、寺岡修と侠友会は山口組を離脱した。
どんな人物なのか
淡路島抗争では武闘派ぶりを発揮したという情報があるが、具体的にどんなことをしたのかは分からなかった。この抗争をきっかけに寺岡は勢力を拡大し、淡路島に勢力を張っていた大嶋組が解散してからは洲本市を本拠に揺るぎない地盤を構築したという。
理論整然と筋を通すタイプのヤクザで他団体からの評判も良いようだ。事始めや納会、盃事の儀式などで司会進行役を務めることが多く、優れた統率力で実務能力に長けているとされている。
六代目山口組で若頭補佐から舎弟に直ったのは以前から体調を崩して定例会を欠席することもあり、責任感の強い寺岡は執行部の重責を担うのは困難と自分で判断した為のようだ。
兄弟分
2007年03月、当時六代目山口組若頭補佐だった寺岡は広島県の三代目侠道会会長・池澤望と五分の兄弟盃を交わしている。
姫路のヤクザである深山宏光という人物と若い頃に兄弟分だったようだが、詳細は分からない。
2017.10.17 16:00
3つの山口組抗争が激化する中、六代目山口組から分裂した神戸山口組の最高幹部である寺岡修若頭が10月10日、兵庫県警に逮捕された。
「容疑は寺岡若頭の出身母体・侠友会が組事務所として使用していた神戸市内のビルにおいて、虚偽の登記を行なったことによるもの。同ビルは神戸山口組の執行部会が開かれるなど、淡路島にある本部事務所に次ぐ“第二本部”として使用されていた。寺岡若頭は20日間の勾留で出てくる予定です」(全国紙記者)
問題は、それを機にこの“第二本部”を手放さなければならない可能性が高まるということだ。
実は同じタイミングで、神戸山口組は警察だけでなく市民からも追い込まれていた。逮捕に先駆けた10月2日、公益財団法人「暴力団追放兵庫県民センター」が地域住民の代理訴訟として、淡路島にある神戸山口組本部事務所の使用禁止を求める仮処分訴訟を起こしていたのだ。山口組分裂抗争を取材するライターの鈴木智彦氏が分析する。
「9月に神戸山口組傘下の組員が神戸から再分裂した任侠山口組の織田絆誠代表を襲撃し、ボディーガードを射殺したことで、神戸山口組が報復にあう危険性が高まり、地域住民の不安が高まっている。代理訴訟の前例からして、和解へ持ちこめたとしても、事務所の撤去は避けられません。遅かれ早かれ神戸山口組は淡路島にある本部を手放さざるを得なくなる。さらに今回の逮捕でもう一つの施設まで使えなくなるとなれば、次の本部選びが難航することになります」
神戸山口組が、肝心の神戸から追い出されようとしているのだ。事務所がなくなれば暴力団にとっては死活問題のはず。ところが前出・鈴木氏によれば、「むしろ抗争を煽ることになるかもしれない」というのだ。
「事務所が使用禁止になることで、警察に組員の動きを掴まれることなく潜伏しやすくなる。神戸山口組としては、失敗した織田代表の襲撃をもう一度決行しようとするはず。本部を奪われたタイミングがきっかけとなる可能性は高い」
警察としては、締め上げたはずが、抗争のリスクを高めてしまうことに。深まる混乱のなか、各団体がかろうじて保ってきたバランスが崩れ、分裂抗争は新局面を迎えようとしている。
※週刊ポスト2017年10月28日号
参照元 : NEWSポストセブン
寺岡修(てらおか おさむ)、1949年03月22日生まれ。
三代目山口組二代目細田組若頭補佐、初代西脇組舎弟、侠友会会長、六代目山口組若頭補佐、六代目山口組中国・四国ブロック長、六代目山口組大阪北ブロック長、六代目山口組舎弟を歴任。
六代目山口組を絶縁され、現在は侠友会会長であり、上部団体の神戸山口組の若頭を務めている。
三代目山口組二代目細田組系の組員となり渡世開始。二代目細田組では若頭補佐まで登り詰めた。侠友会を結成し会長に就任する。
1982年10月、淡路島を舞台に三代目山口組と五代目大嶋組との間で『淡路島抗争』が勃発。寺岡は抗争に参戦し武闘派ぶりを見せ付けた。
1983年07月、二代目細田組組長・細田利明が引退し組を解散すると、三代目山口組の直参であった西脇組組長・西脇和美と舎弟盃を交わし西脇組に移籍した。
1992年02月、西脇組から内部昇格し五代目山口組の直参となった。五代目山口組体制では総本部当番長、組長秘書に登用された。
2005年08月、六代目山口組が発足すると若頭補佐に抜擢され執行部入り。中国・四国ブロック長を務めた後、2006年05月からは大阪北ブロック長を務めていた。
また、六代目山口組体制下で山口組の不動産管理会社『山輝』の代表取締役に就任。
2010年06月、兵庫県知事の許可を得ずに2008年07月~2010年04月の間、総本部(神戸市灘区)の土地の一部を新規の直参に売却したり、引退した直参から買い戻したりした宅地建物取引業法違反容疑で指名手配され、その後出頭し逮捕された。
2012年11月、若頭補佐を退任し六代目山口組舎弟に直った。以後、山口組分裂まで舎弟であった。
2015年08月27日、六代目山口組を絶縁となり、寺岡修と侠友会は山口組を離脱した。
どんな人物なのか
淡路島抗争では武闘派ぶりを発揮したという情報があるが、具体的にどんなことをしたのかは分からなかった。この抗争をきっかけに寺岡は勢力を拡大し、淡路島に勢力を張っていた大嶋組が解散してからは洲本市を本拠に揺るぎない地盤を構築したという。
理論整然と筋を通すタイプのヤクザで他団体からの評判も良いようだ。事始めや納会、盃事の儀式などで司会進行役を務めることが多く、優れた統率力で実務能力に長けているとされている。
六代目山口組で若頭補佐から舎弟に直ったのは以前から体調を崩して定例会を欠席することもあり、責任感の強い寺岡は執行部の重責を担うのは困難と自分で判断した為のようだ。
兄弟分
2007年03月、当時六代目山口組若頭補佐だった寺岡は広島県の三代目侠道会会長・池澤望と五分の兄弟盃を交わしている。
姫路のヤクザである深山宏光という人物と若い頃に兄弟分だったようだが、詳細は分からない。
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